紙の本
遠くの同民族より近くの他民族のほうが母方の親戚が多い?
2012/02/15 14:49
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:saihikarunogo - この投稿者のレビュー一覧を見る
この『日本人になった祖先たち~DNAから解明するその多元的構造~』を読もうと思ったのは、ジャーナリストの神保哲生氏が主宰する、ビデオニュース・ドットコム「マル激トーク・オン・ディマンド 第562回(2012年01月21日)~われわれはどこから来て、どこへ向かうのか~」で、著者の篠田謙一氏(国立科学博物館人類史研究グループ長)の話を聞いたからだ。
わかりやすい図を幾つも駆使して、人類の歴史を説明してくれたのが、とてもおもしろかった。
人類の祖先が猿の祖先と別れたのが、100万年ぐらい前のアフリカ。それから、猿もどんどんいろんな細かい種に分かれて行ったように、人間も、幾つかの新しい下位の種に分かれて行って、世界中に、ネアンデルタール人、ジャワ原人、北京原人などが暮らすようになった。それらも全部、アフリカから、分かれて、出て行ったものだ。そして、最後に、現在の私たちの祖先である現生人類が、20万年ぐらい前にアフリカで生まれた。
20万年ぐらい前にアフリカで、それ以前の古い種の人類から分かれて誕生した新しい人類は、どんどんふえて、10万年ぐらい前になると、アフリカの外に、出て行った。そして、だんだんと、ネアンデルタール人、ジャワ原人、北京原人などにとってかわって、世界中に暮らすようになったが、その過程では、ネアンデルタール人との混血も、おこなわれたらしい。
アフリカを出た人類が、アラビアやトルコなどの西アジアから、インド、ヨーロッパ、中央アジア、東南アジア、オーストラリア、東アジア、北アジア、そして、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、そしてそして、南太平洋諸島、ニュージーランドと、広がって行く、その時間差が、なかなか、おもしろい。南太平洋諸島やニュージーランドに人類が住み着いたのは、3000年前から1000年前の期間である。日本列島に人類が住み着いたときよりも、新しいのである。というのも、そういう小さな島では、狩猟採集だけでは人口を維持できず、農業が必要だったからだという。
最初にアフリカを出るとき、舟が必要だった。ということは、アフリカを出る前から、もう、川や湖で舟を利用していたのではないか?と、私は、想像する。100年ぐらい、つまり、5世代ぐらい、舟を作ったり使ったりする技術を継承して、すっかり定着してから、今度は、海を渡ることを考えたのじゃないか? もっとたくさんの食べ物を手に入れるため、だろうか? そして、アフリカからアラビア半島に渡ったばかりのときも、やっぱり、100年ぐらい、つまり、5世代ぐらい、その辺でうろうろしていて、ある程度、人口がふえてから、ほなまたいきまひょか、という感じで出かける、というようなことを繰り返して、広がって行ったんじゃないか、と、私は、想像して楽しんでいる。
なぜ、アフリカを出たのか、という理由については、今のところ、人によっていろいろな説を述べていて、その人の人間観が表われていると、「マル激トーク・オン・ディマンド」で篠田謙一氏は語っていた。まだこれといった定説はないらしい。
日本列島に人類が住み着いたのは、4万年前から3万年前ぐらいだという。そして、日本列島と、朝鮮半島と、中国東北部の、人々のミトコンドリアに含まれる遺伝子の組成は、たいへん、似ているという。中国東北部の漢民族は、中国南部の漢民族よりも、日本や朝鮮の人と、ミトコンドリアに含まれる遺伝子の組成が似ているのだ。
これは、世界中で共通している現象で、どこでも、言語や民族が共通でも距離が離れているところの人々同士よりも、地域が隣接している人々同士のほうが、言語や民族が異なっていても、ミトコンドリアに含まれる遺伝子の組成は似ている。ミトコンドリアの遺伝子は、母から娘へと、母系で伝わる。
では、父から息子へと父系で伝わる、Y染色体遺伝子でみるとどうか、というと、人類の祖先がアフリカから出発して世界中に広がって行った、という経路は、ほぼ、ミトコンドリアの場合と重なっているが、まったく同じではない。そこがまた、おもしろい。この違いは、男性と女性の、子供の残し方の違いに原因があるらしい。女性は一年に一人しか子供を産めないが、男性は同時に何人もの子供を産ませることができる。というわけで、ある時期に、突然、大勢の息子や娘を持ち、息子たちにY染色体遺伝子を継がせることも可能なのだ。更に、文明が発達して来ると、男性だけの集団で移動することも多くなる。私は、航海や漂流なども遺伝子の拡散に影響があると思うが、その場合、Y染色体遺伝子だけが遠くへ運ばれるということもあるわけだ。
本書の後半は、縄文時代や弥生時代の遺跡から発掘された人骨のDNA解析を中心に、人類史のなかでも特に日本人に焦点を当てて述べられている。本書の特徴は、全体に、図表が多いことで、私は、すべてにしおりをはさんで、何度も読み返したが、ビデオニュースで見たときと比べて、わかりにくく、ちょっとむずかしかった。グラフがモノクロなので読み取りにくいせいもある。
そこで、インターネットで調べてみると、本書に載っていた図表をもとに、色づけしたり、地形図などと関連付けて、わかりやすくして見せているサイトが、幾つも見つかった。
それはいいのだが、いろいろなサイトの解説を読んでいると、かえって、混乱してしまった。というのも、縄文時代というもののとらえかたが、なんだか、本書のニュアンスと異なるからなのだ。
本書には、次のような文章がある。
>DNAの相同検索の結果を見る限り、朝鮮半島にも古い時代から縄文人と同じDNAを持つ人が住んでいたと考える方が自然です。考古学的な証拠からも、縄文時代の朝鮮半島と日本の間の交流が示されています。縄文時代、朝鮮半島の南部には日本の縄文人と同じ姿形をし、同じDNAを持つ人々が住んでいたのではないでしょうか。玄界灘の沿岸にある支石墓に眠る人たちは、朝鮮半島から渡来した縄文人と同じ姿形をした人々だったのではないでしょうか。
(「第八章 日本人になった祖先たち~朝鮮半島に縄文人はいたのか~」)
上記のように、「朝鮮半島から渡来した縄文人」と、本書には、書いてある。しかし、幾つかのサイトでは、縄文人が朝鮮半島に進出していた、と書いている。そりゃまあ、日本列島と朝鮮半島で、行ったり来たりしていただろうから、お互い、進出し合っていたと思うけど、どうも、ニュアンスが違う。つまり、それが、中国南部から日本列島に稲作が伝わり、それから朝鮮半島へと伝わった、という説へとつながり、朝鮮半島から渡来した弥生人が日本列島に稲作を伝えたのではない、というふうに、結論づけているものがあるのだが、そこまで言い切れるのだろうか。私には、稲作の伝播についても、朝鮮半島由来も、南方由来も、両方あるように思えるのだが。
紙の本
DNAの歴史は平和な世界を求めている
2007/04/04 06:19
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:未来自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る
宇宙の誕生、生命の誕生、人類の誕生、日本人のルーツは、科学に対する興味は尽きない。私が科学に興味を持つのは、この世の仕組み・真実が知りたいから、そしてその中での人間を知り、人として真摯に生きたいから。
本書は、最新の分子人類学が導き出した日本人のルーツについての現在知りえる範囲でのルーツについて書かれているが、最後に著者は科学を学ぶことの意味についても言及している。
「DNAを用いた人類の由来に関する研究は、この日本国憲法前文の精神の正しさを生物学の立場から保障しているように思えます。これからの私たち社会のあり方は、この精神を否定するところからではなく、ここから出発し、平和な世界を構築することが求められているのではないでしょうか」
「出生前診断」「臓器移植医療」などの様々な問題に対して、日本の教育は「問題を正しく理解するための基礎的な知識を習得するコースが用意されていません」
そして興味深いのは「DNA的世界観」の提唱である。これについては後で述べたい。
本書の内容が後回しになってしまったが、アフリカを起源に「狩猟採集民として出発した私たちの祖先は、最初は緩やかな拡散によって」「農耕を開始した一万年前以降には新たな移住の波が世界に起こり、それが一段落することで現在につながる地域的な違いが生じ」た。
この最初の拡散時に日本にたどり着いた人々が縄文時代を形成、その後の農耕を携えた人々が縄文人と混血しながら弥生時代を形成した。そして重要なのは、縄文・弥生移行期の渡来人の流入が、平和的に行われた」ことが状況証拠から浮かび上がってくるということだ。
日本に国家が成立する以前は人々は平和的に暮しており、私たち祖先の歴史は国家成立後の10倍もの長さがある。
「特に日本へのDNAの流入の最大の通路であった、朝鮮半島から大陸の東北地方には、アフリカから出て、この地にいたるまでの歴史を私たちと共有している」
「言うまでもないことですが、・・・、人がいて国ができたということは、国というものの有り様を考えるときに、大切な認識だと思います」
日本人のルーツを煎じ詰めれば、世界の人々と祖先を共有し、近隣の人々ほどその祖先の血が近いということである。グローバル化が進む現在、外部からのDNAの流入がいっそう進み、最後には均一化が進むだろう。
そんな今、「普遍的な価値を持たないナショナリズムにこだわって未来があるとは思えません」という観点から、「DNA的世界観」は「平和な世界を構築すること」を提唱している。
科学の真実から見える世界観。ここに科学を学ぶことの意味があるのだろう。
投稿元:
レビューを見る
ブライアン・サイクス『イブの7人の娘たち』、『アダムの呪い』やS.オッペンハイマー『人類の足跡10万年全史』などの良書でも紹介されているミトコンドリア遺伝子による母系分析とY遺伝子による父系分析ですが、本書は日本人研究者によって日本人の遺伝子プールについてさらに深く調査したものを紹介したものです。日本人の遺伝子分析のサンプル数は他と比べても非常に多いというのは少々意外で驚きでした。元々統計的手法であることかつ必要な情報がすべて得られているわけではないため確実なことは言えないようですが、日本人の出自を高い蓋然性を持ってある程度辿ることができて興味深いです。
巻末の参考文献のリストを見ると、この人はまじめなんだなと思うとともに、この分野の研究成果の多くがほぼこの10年に得られたものでことがはっきり分かります。面白いですね。
投稿元:
レビューを見る
何処より来たりて -2008.05.12記
篠田謙一著「日本人になった祖先たち」-副題:DNAから解明するその多元的構造-によれば、
現在のDNA分析と化石の研究といった知見から、現代人に直結する新人は20万年~10万年前にアフリカにあらわれ、
出アフリカは8万5000年~5万5000年前頃、地球上の各地へと拡がっていった、と類推されている。
写真の図は、その世界拡散の経路と時期のあらましを示したもの。
中東から東へと、アジアに向かった集団がオーストラリア大陸に辿り着くのが4万7000年前、
東アジアにもほぼ同じ頃到達したと見られ、西のヨーロッパに現れたのははおよそ4万年前と考えられている。
日本列島へは、東南アジア諸島の南方海上の道から、あるいは東アジアの朝鮮半島から、さらにはシベリアからの北方ルートと、それぞれ時代を隔てつつ重層していることになる。
1万5000年前頃になると、当時は陸橋だったベーリング海を越えてアメリカ大陸へ進み、
またたくまに南アメリカの最南端にまで到達している。
人類にとって最後に残された未踏の地は、南太平洋に点在して浮かぶ島々やニュージーランドだった。
このルートは、今から6000年ほど前、中国の南部か台湾あたりにいた先住民が農耕をたずさえて南下を始めたことに端を発し、東南アジアの海岸線を進み、パプアニューギニアへと辿り着く。
そして3000年ほど前、そこをベースに南太平洋の島々へと乗り出し、
ほぼ1000年以上の年月をかけてこの広大な海域に行き渡るようになる。
最終の地とみられるニュージーランドに達したのは今からわずか1000年前のことだ。
投稿元:
レビューを見る
ミトコンドリアDNAから日本人のルーツを探る話。自分のハプログループを調べて女系先祖がどういうルーツなのかを知りたくなった。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
最近、DNAの分析技術が飛躍的に進歩し、現代人はもとより古人骨に残された遺伝子から日本人のルーツとなる人々が溯れるようになった。
アフリカを出た人類がどのような道をたどって東アジアに到達し、日本列島へ渡ったのか、分子遺伝学の立場からその足跡に迫る。
また、縄文人が先住する日本に大陸から稲作技術を持った弥生人が移り住んできたという日本人の二重構造論をDNA分析から検証。
縄文から弥生への移行は平和的に行なわれたのか?
渡来した集団の規模は?
さまざまな疑問に縄文・弥生人の遺伝子分析から答える意欲的な一書。
[ 目次 ]
第1章 遺伝子から人類史をさかのぼる
第2章 出アフリカ―ミトコンドリアDNAが描く新人の拡散
第3章 DNAが描く人類拡散のシナリオ
第4章 アジアへの二つの道すじ
第5章 日本人の持つミトコンドリアDNA
第6章 日本人ミトコンドリアDNAの地域差―北海道先住民、沖縄、そして本土日本人
第7章 古人骨の語るもの
第8章 日本人になった祖先たち
第9章 父系でたどる人類の旅路―Y染色体を追う
第10章 DNAが語る私たちの歴史
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
このフィードが面白かったので、買ってみました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120313/229777/
投稿元:
レビューを見る
昨今の歴史学が明らかにしている、東アジア圏の中の日本を考えるべきという潮流を見事に後押ししているように思える。
=============
pp.5-6
「本書では、主として私が研究しているミトコンドリアDNA分析によって明らかになってきた私たち日本人の成り立ちについて紹介しようと思います。現代人のDNA分析からわかってきたことを説明し、その後[…]中妻縄文人のDNA分析結果が教えてくれることを語る」
pp.7-8
「分子生物学は人類学の分野で二つの大きな貢献をしています。[…]ひとつはミトコンドリアDNAの多様性から導かれた新人ホモサピエンスのアフリカ起源説です。[…]この説にしたがえば北京原人やジャワ原人、あるいはネアンデルタール人といった各地の先行人類はすべて絶滅したことになります。[…]もうひとつの成果は、ネアンデルタール人の系統に関する問題です。[…]DNA解析の結果、彼らは私たちと七〇万~五〇万年前に分かれたグループであることが判明したのです。」
p.17
「(DNAの複製)の過程で間違って複製してしまう[…]突然変異の結果を利用しているのがDNA鑑定です。」
p.26
「これまで行なわれたヒトのルーツをDNAから探る研究の多くはミトコンドリアDNAを解析の対象としていて、今日では世界中の人類集団について充分な量のDNAデータが蓄積されています。[...]ミトコンドリアDNAは、一つのミトコンドリアに複数個含まれています。[...]また、[...]体のなかには核のDNAよりずっと多くのコピーが存在しているのです。」
p.30, 2
「ミトコンドリアDNAは母親からのみ受け継がれる[...]。母系の相続のみを考察すればよいので系統を単純化して考えることができるのですが、[...](父系の遺伝的な解析のためには)父系に遺伝する核の遺伝子であるY染色体上の領域を解析する必要があります。」
p.50
「私たちの祖先がアフリカから旅立ったとき、世界には私たちとは異なる人類が生存していました。ヨーロッパにはネアンデルタール人が、東アジアには北京原人の子孫が、そして党七次兄はジャワ原人の子孫たちが住んでいたのです。私たちの先祖はやがて世界の各地で、これらの人々と出会うことになったのです。」
pp.51-2
「さまざまな分野の研究で、アフリカからの拡散については二つのルートが推定されています。ルートのひとつは北アフリカから出ていくもので、紅海の北端からシナイ半島を通って中東に抜けていく経路を想定しています。[...]想定されているもう一つのルートは、エチオピアを通ってアラビア半島を抜け、南アジアに達するというものです。」
p.80
「オーストラリアの先住民やパプアニューギニアの人たち、そして東南アジアの先住民のなかには、直接アフリカに結びつく分岐の深いミトコンドリアDNAの系統が点在しています。」
p.87
「私たち日本人に注目すると、本土の日本人に近縁なのは朝鮮半島の人々で、さらに遼東半島や山東半島の漢民族集団と類縁性を持っています。」
pp.103-5
「日本人にもっとも多いハプログループはDです。[...]D4、D5の双方で日本の人口に占める割合は四割弱とな��ます。ハプログループD4と5は中央アジアから東アジアにかけてもっとも優勢なハプログループで、朝鮮半島や中国の東北地方の集団でも、この二つがおおむね人口の三割から四割程度を占めています。」
pp.107-10
「日本人の七人に一人が該当する第二のグループがハプログループBです。[...]ハプログループBは、およそ四万年ほど前に、中国の南部で誕生したと推定されています。[...]誕生の地である中国南部から東南アジアにかけて人口に占める割合が大きくなっていますが、それ以外にも南米の山岳地域や南太平洋の集団に多いことがわかります。[...]最初に北上した新大陸にまで到達するハプログループBの人たちのなかに、のちに縄文人となった人たちがいたのかもしれません。」
pp.111-3
「ハプログループM7にはa、b、cという三つのサブグループが存在します。[...]M7aは、主として日本に、[...]分布の中心があるのです。[...]おそらくM7の起源地は、今は海底に沈んでいる(黄海から東シナ海にかけての広大な陸地である)この地域だったのでしょう。そこで生まれたサブグループのうち、ハプログループM7aは、琉球列島を伝って日本に入ってきたと考えられます。[...]沖縄はこのハプログループのルーツの地なのです。[...]M7aを持つ人をDNAデータベースで検索すると[...]フィリピン人のなかに二例だけ、このハプログループを持つ人が登録されています。」
pp.114-5
「このハプログループ(A)は日本人では七%を占めるだけで、[...]新大陸では普遍的に見られ、特に北東シベリアと北中米の先住民では人口の過半数を占めています。バイカル湖周辺から南下したのでしょうが、A4が東アジアの各地に広がったのに対し、A5の方は、比較的一直線に朝鮮半島に向かったように見えます。」
pp.116-7
「ハプログループGもAと同様、人口の約七%を占めています。[...]日本にはおもに朝鮮半島を経由して入ってきたと考えられますが、その時期や規模といった詳細な解析が難しいのが現状です。」
pp.118-20
「このハプログループ(F)が日本の人口に占める割合は五・三四%です。分布の中心は東南アジアにあります。[...]新大陸行きの流れにも、南太平洋への航海にも乗れませんでした。中国の南部や台湾の先住民には比較的高頻度に見られるので、どうも北上しようとする熱意はあまりなかったようです。」
pp.120-2
「このハプログループ(N9)にはN9aとN9b、そしてYという三つのサブグループがあります。[...]ハプログループN9aの分布は広く、特定の起源地を推定することができませんが、中国の南部や台湾の先住民などに比較的多く見いだされますので、分布の中心はこのあたりと考えてよいと思います。[...]このハプログループ(Y)を持つ人は、本土の日本人にはほとんどいないのですが、実は北海道のアイヌの人たちに多く含まれていることが、[...]わかっています。[...]オほ着く文化をになった人々は[...]多くがハプログループYに属するものでした。オホーツク文化人は忽然と姿を消しましたが、そのDNAはアイヌの人たちに受け継がれていたのです。」
pp.122-4
「ハプログループM8にもM8aとC、そしてZという三つのサブグループがあります。[...]過去の朝鮮半島を経由しない中国と日本の直接の結びつきの存在を��唆しているのかもしれません。[...]研究を進めていけば、渡来系弥生人の江南ルートの存在を証明できると考えています。」
pp.124-5
「このハプログループ(C)は日本にはほとんど見られませんが、分布域は中央アジアから新大陸にまで広がっています。[...]中央アジアの草原地帯に分布の起源があったと判断できます。中央アジアの地域集団が遊牧民として西域に勢力を伸ばしたときに、このハプログループも勢力を広げたのでしょう。」
p.126
「ハプログループZの分布は、他に例を見ない非常にユニークなものです。ハプログループZはこれらの地域(=東アジアから中央アジア)のどこかで生まれたと考えられます。それが北極海に面した先住民の集団を介して、ヨーロッパまで伝わっていったのでしょう。」
p.126-7
「このハプログループ(M10)が日本の人口に占める割合は一・三%。これも少数派です。[...]アジア全体で見ても少数派ですが、チベットでは人口の八%を占めており、これが人口比では最大の地域です。[...]このハプログループは中国の北部で生まれたのだろうと想定されます。」
pp.128
「出現率は一%に満たないものですが、現代日本人のなかにもヨーロッパのハプログループの系統が存在します。」
p.131
「ミトコンドリアDNAから私たち日本人の直接の由来を考える場合には、東南アジアと東アジアをその源郷の地域と考えればよいことになります。」
p.136
「ミトコンドリアDNAのハプログループの頻度から見て、アイヌと沖縄の人たちは本土日本とはその構成が異なっていると述べました。それは当然、それぞれの集団が異なった成立の経緯を持っているためであると考えられます。」
p.179
「私たちは自身の由来を考えるとき、「日本人の起源」に囚われずに、朝鮮半島の南部や沿海州などを含めた東アジアの東端における集団の成立を考えることが必要なのかもしれません。」
pp.191
「Y染色体の共通祖先は、およそ九万年(プラスマイナス二万年)ほど前に誕生したことがわかりました。」
pp.204-5
「私たちのルーツは大陸の広い地域に散らばっており、それがさまざまなルートを経由してこの日本列島に到達し、そのなかで融合していくことによって日本人が成立したことは明らかです。」
投稿元:
レビューを見る
☆彡日本人の起源についてDNAの視点から解説
〈概要〉
・遺伝子を受け継ぐ者たち
・祖先をさかのぼるということ
・DNAで系統をたどる
・アルコール分解酵素をコードする遺伝子
・遺伝子の分布からヒトの移動を考える
・なぜアフリカなのか
・拡散の跡を探る
・南アジアの道すじをたどる
・東アジア集団の南北のDNA勾配
・アメリカ先住民はどこからきたのか
・日本人のハプログループ
・各ハプログループの故郷を探す
・東アジアの内での日本人
・ミトコンドリアDNAから見た本土日本の地域差
・分子生物学にとっての古人骨
・日本人起源論の系譜
・縄文人のDNA
・多様性を持つ関東の縄文人
・古代東アジアのなかでの縄文人
・朝鮮半島にも縄文人はいたのか
・あとがき
投稿元:
レビューを見る
日本人や世界各国の集団の来歴を遺伝的に解き明かそうとする好著
歴史好きにも科学好きにも満足できる内容だと思います
投稿元:
レビューを見る
筆者は分子人類学という、DNAの解析により人類の歴史や成り立ちを紐解こうという学問をされています。
主に、母系に引き継がれるミトコンドリアDNAの解析によって、アフリカを出た人類がどのようにアジアへと拡散し、日本にたどり着いたのか?
日本人というのはもともとどこからやって来た人々によって形成されたのか?
を考察していきます。
アフリカを出てアジアを通り、アラスカからアメリカ大陸へという流れがあった、ということは聞いたことがありましたが、それがけして一本道では無く、何度か波のようにそういった流れがあったというのは、言われてみればそうかぁ、という感じでした。
日本人の成り立ちですが、確としたことはやはりまだ分かっていないようです。
ただ、南からのルートと北からのルートがあったらしいこと、大きく分けて縄文人と弥生人(渡来人)の2度の波があり、二重構造になっているらしいこと。
このあたりは間違いがないようです。
筆者は基本的には生物学者という立場のようで、いわゆる考古学的なアプローチはほとんどありません。
考古学的アプローチにより想定されるルートと必ずしもDNA解析によるルートは一致していないようで、これからまた新しい発見とかがあり、だんだんとどちらが正しいのかはっきりしてくるのかもしれません。
遺伝子関係の話はチンプンカンプンでも、そこから予想される人の拡散の歴史についてはわかりやすく解説されていますので、分子人類学ってなんぞや?という感じで読んでみても良いかもしれません^^。
投稿元:
レビューを見る
日本人がどこから来たのかをDNAレベルで解析した研究に基づき書かれた本。
DNAやミトコンドリアから、人類の移動ルートや時期がある程度特定されていると言う事を聞き、現代の技術力はとんでもないところまで進化しているんだと痛感した。
そもそも学術書に近い感じの文書なので非常に読むのが大変だった。
投稿元:
レビューを見る
遺伝子検査して興味が出たので、ざっと読み。
ミトコンドリアDNAによる分類で、(母方だけの)自分のルーツがわかる。ちょっと面白かった。
投稿元:
レビューを見る
ネアンデルタール人のような旧人がアルリカで生まれ世界に拡散し絶滅し、数十年前、直接的な人類の先祖が再びアフリカで生まれた。女性だけに受け継がれていくミトコンドリア遺伝子のパターンから、人類がどんなルートで世界に拡散していったのかを科学的に追うサイエンスストーリー。アイヌや琉球民族のマイノリティーを除けば単一民族という意識を思いがちな日本人だが、DNA的な観点からみれば、充分すぎるほど、多種多様の血がいりまじっている。瀬名秀明のパラサイトイヴをもう一度読んでみようかな。
投稿元:
レビューを見る
この本の内容も、今では時代遅れになってるのかな。
よくわからないけれど、一人一人の人間の違いなんて、誤差の範囲に思えてくる。
本土日本人
甕棺人骨