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『罪と罰』ノート みんなのレビュー

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紙の本

新訳の訳者・亀山郁夫による、「新書」とは到底思えない、というより「新書」であるがゆに密度の高さを感じさせる『罪と罰』論

2009/06/30 21:20

5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る

 『罪と罰』のような世界的名作になると夥しい種類の訳があり、また長い批評の歴史がある。たとえば今から百年以上も前に、北村透谷は英文からの邦訳を読んで、そこに当時の日本における物語のスタンダードとは全く異なる、作品の核心を見抜いている。勧善懲悪的なものの跋扈のなかで、重訳の壁を貫いて読まれるべきものは読まれた。
 『罪と罰』にかぎらないが、大まかに言えば作品追究には批評的なものと研究的なものがあり、透谷のものは前者だ。また外国の文献を参考にしているが、小林秀雄のものも日本有数の『罪と罰』批評であろう。
 これまで刊行された、『罪と罰』のみを論じた単行本では、かつて読んだことのある江川卓の『謎とき「罪と罰」』以外に多くのものがあるのを今回、知った。特に清水正の『ドストエフスキー「罪と罰」の世界』(初版は江川の本と同じ1986年)は、新版で500ページもある大部の本である。専門のロシア文学者ではないものの、清水の本をめくるとロシア語の引用が目につく。
 新訳の訳者による本書は、徹底的にロシア語本文および現在の世界水準にあるだろう研究を(ウェブサイトまで含めて)読み、考えうるかぎりの重要な問題点を、明らかにしようとした『罪と罰』研究である。江川本にも言及しているが、さらにそれを推し進めたものと言えよう。
 著者には徹底した『罪と罰』論の企図がなくはなかったと思う。《『罪と罰』の深奥に読者を導くには、おそらく何百ページにもわたる熱い思いが必要になるだろう》と記しているからだが、続いて《しかしたとえそれを実現できても、小説の「圧倒的なリアリティ」に同期し、全身でこれを受けとめることのできる若い読者の理解の深さに追いつくことはできない》とも記し、「研究」にとどまらない『罪と罰』熱をみずから確認している。
 本書のなかの次のような言葉は、私の関心を強くそそる。
 《『罪と罰』を満たしている圧倒的なリアリティと、本書はある意味でほとんど接点をもたないといってよいかもしれない。》
 《ラスコーリニコフの殺意に同化できる読者もいれば、できない読者もいる。同化できる、できないの前に、そのリアリティを全身で受けとめてしまう読者もいる。たとえば、かつて十代半ば近くに『罪と罰』を読んだわたしがその例だった。》
 《じつのところ、今回の翻訳の作業のなかで、わたしは、主人公ラスコーリニコフに同期するという若い時代の経験を甦らせることができなかった。》
 私は著者がこの『罪と罰』論において、若き日の、人が読めばそれなりに興味深いだろう作品から受けた読後感などを記さなかったのを正解だったと思う。というのは、「圧倒的なリアリティ」と著者が呼ぶ、『罪と罰』が人にもたらした何かは、そのような回顧的叙述によって簡単に把握できないがゆえに、そう呼びたくなるものだからだ。
 簡単に書くことができはするものの、真剣に書こうとすれば、その核心への到達しがたさが分かるものとして、若き日のドストエフスキー、若き日の『罪と罰』がある。
 また著者は、これも新書である『ドストエフスキー/謎とちから』(07年)の「あとがき」で、《それこそ命がけの読み込みでなければ、ドストエフスキーの読解に新しい世界は開けない》、《徹底した読み込みをとおして生まれてくるドストエフスキーの世界は、創作ノートや、書簡などをとおして彼自身が語っている世界とも大きく異なる》といい、また《どのようなかたちであれ、仮説を提示できなければ、話は先に進まない》と記している。アカデミズムのなかにいながら、そこから捻り抜けようとする著者の強い姿勢が感じられる。
 このドストエフスキー文学全体を俯瞰する著作が、新書の分量におさまりきらない著者の6回にわたるアカデミズムにおける最終講義を、新書用に新たに口述したものだというのも面白い。短いスペースのなかで、どれだけ貴重なことを語りうるかの実践のようだ。
 『罪と罰』論の本書も同じで、ここには『罪と罰』のエッセンスがある。ただし新訳巻末の解説と内容がだぶっていることを言い添えておきたい。この新書が貴重な著作であることを認めつつ、内容のだぶりが気になる人には購入を薦められない。『罪と罰』の新訳に親しみ(まだ3巻目が残っているが)、さらにこれから他のドストエフスキーに挑もうとする人には、同じ著者による前記の『ドストエフスキー/謎とちから』が面白いと考える。
 とはいえ、『罪と罰』を全く評価しない人もいる。ナボコフは、『アンナ・カレーニナ』についての素晴らしい分析を披露している書物のなかで、『罪と罰』に関し、殺人者と娼婦を一緒に並べていると批判する。《キリスト教の神を信じる人たちが理解しているところによれば、キリスト教の神はすでに千九百年前から売春婦を赦している。一方、殺人者は何よりもまず医者の診察を受けなければならない。両者は全く異なるレベルの存在である。》
 実は今回、久しぶりに、この小説を読み返す前まで、私はナボコフの考えに半分くらいは傾いていたことを告白する。現在、ナボコフへの傾きは極端に減じたが、それでもほんの少しまだ、その人物設定その他におけるリアリティのなさが意識のどこかにひっかかっている。だがそれは亀山郁夫のいう、過去に私も確かに生きた「圧倒的なリアリティ」を、その訳文のなかに、新たな気持ちをもって嗅ごうとすることと背反はしない。

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2011/05/28 17:08

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2012/04/21 22:59

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2014/04/09 22:50

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