紙の本
とことん辺境で行こうと呼びかけ
2010/01/30 01:19
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:狸パンチ - この投稿者のレビュー一覧を見る
内田樹さんの書いたものは、首肯できるものが多く、ブログや中央公論のコラムは愛読しているので、話題になっている本書はかなり期待をもって読み始めました。期待が大きかったせいでしょうか、8割ぐらいは大いに納得し、残りの2割は首をかしげる論だったと思います。
日本が世界のなかで「辺境」であるということは、これまでに山ほど「日本特殊論」が出ているように、多くの人に共有されている考え方だと思います。内田さんは本書で「辺境」ということをこう定義しています。「『辺境』は『中華』の対概念です。『辺境』は華夷秩序のコスモロジーの中に置いてはじめて意味を持つ概念です。世界の中心に『中華皇帝』が存在する。そこから『王化』の光があまねく四方に広がる。近いところは王化の恩沢に豊かに浴して『王土』と呼ばれ、遠く離れて王化の光が十分に及ばない辺境には中華皇帝に朝貢する蕃国がある。これが『東夷』、『西戎』、『南蛮』、『北狄』と呼ばれます」。
つまり日本は東夷という辺境になるわけですが、卑弥呼から日本はその地位に同意署名をしました。中国との関係は歴史上いろいろと変化をしましたが、「東夷」つまり「辺境人」であるという概念は、中国との関係という実体性の問題とは関係なく、今日までずっと日本人を規定しているという考え方です。自分は劣っているという意識・無意識があるので、外来のものは異常なほどまでにありがたがり、開放的に取り入れていく。内田さんは、「華夷秩序における『東夷』というポジションを受け容れたことでかえって列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得した」と指摘します。朝鮮は中国文化をそっくりまねようとしたのでオリジナルになれなかったけれど、日本はあえて中国から遠いというハンデを逆手にとって、外来のものを工夫して加工できたということです。それは日本優位論というより、辺境人とはそういうものだと中立的に内田さんはみなしています。近代以降も同じことで、今度は西洋のものをありがたくいただき、それを工夫加工していったということです。
だから日本は自分たちの文化や思想を「世界標準」にするという意思や行動はまったくもっていませんでした。いいものは「外」からやってくると考えているのですから、当然でしょう。内田さんは「とことん辺境で行こう」と言います。先の戦争も、日本がたとえ間違ったものであっても何がしかの思想をもって行ったのではなくて、西欧列強という世界標準に「追いつこう」としたことがエスカレートした結果であると、内田さんはみます。
日本人の心性については、丸山真男が指摘した「きょろきょろ見る」ということだと定義します。「きょろきょろ」することが日本人だと、それはその通りだと思います。内田さんは、さらに「辺境人は学びの効率がいい」、日本人の時間論、日本語論へと論を進めていくのですが、文章は平易なのですが、私にはよく分からない、なっとくできないことが多かったです。「学ぶ」ということには、どんな師についても「学びを起動」することができるといいます。時間論は武道の考え方に沿いながら、「先駆的に知る力」があり、「自分にとってそれが死活的に重要であることをいかなる論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力」だと述べます。つまり、日本人はなんにでも「飛び込む」ことができる。飛び込んで、効率よく学ぶことができる「辺境人」というのですが、私にはよく理解ができませんでした。
日本語論は比較的、明快です。文字のは表意文字(漢字)と表音文字(仮名、アルファベットなど)がありますが、日本だけが両方の混じり書きを続けています。朝鮮は漢字を捨ててハングルだけにしましたし、ベトナムもアルファベットにしてしまった。西洋ははじめから表音文字です。混じり書きの強みは、いろいろ言語学的、身体論的な要因によって識字率が上がるといい、さらに日本だけが漫画という文化で一人勝ちができたというのですが、本書を読んでもその筋道が納得できませんでした。
文章は平易なのですが、新書ということで、内容を詰め込みすぎて、失礼ながら飛躍が多かったのでしょうか。そんな印象を持ちました。「とことん辺境人で行こう」という提唱には大賛成です。日本は小国という自覚をもったほうが日本人は幸福に生きられますし、政治や経済での国際的な力の低下のなかでは、日本が進むべき道として正しいと思います。論理が飛躍しているところを自分なりに生めながら、再読しなければいけないかな?という読後感でした。
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きゃー!久々にブログコンピじゃない本だー!
早く読みにかかりたい!
読んだー!
ブログで常々拝聴していることなのでさらりと飲み込めはするんだけども、自分が使うにはまだ理解が足んないなあ。本を開いている間は「そーよ!そーですよ!そのとーりですよ!」と感激してるんだけども。
自分を「無知で愚か」という位置に置くことで、代わりに自由を獲得する狡猾さ。すごくわかる気がする。
で、ちょうど師弟論も書かれていて、自分の中ではすっごいタイムリーでした。
読んでいて思ったんですけどー、「私はあなたをもう背負えます」とお師匠様に言ってしまうことは、つまりお師匠様から師の資格を剥奪することにほかならないのではないかと。それは決して成長ではなくて、成長の終了という悲しい現象ではないのかな。だって目標を達成しちゃったんだから。もうそこからの伸びしろは必要ないっつーか。ありえないってゆうか。
弟子は師を乗り越えてはいけないと言ってるんじゃなくて、そーじゃなくて、乗り越えられないものを「師」と呼ぶんだから、乗り越えたと宣言した瞬間に、それは文意上「師」ではなくなってしまって…
うがー!
ああそうさ「彼」の話さ!
こうやって「本を読んで自分の考えとして使おう」というふるまいこそが、日本人の特徴…ともこの本には書いてあります。
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11月12日発売。ブログ「内田樹の研究室」で発売を知り購入しました。
積み木を積み上げていくような独特の理論展開を読んでいるうちに、いつしかファンに・・・・・・。
「辺境」とは「中華」に対する概念。そこに住む「辺境人」は、中心たる「絶対的価値体」を
自分以外の外部に求め、その「絶対的価値体」を判断基準に、専らそれとの距離の意識
に基づいて思考と行動が決定されている人だといいます。主体との距離で物事を測る、
それが日本人なのです。したがって、その主体が変わればその思考・発想も変わるが、
この変化する仕方は変化しない、という日本文化論を展開していきます。
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はじめに
I 日本人は辺境人である
「大きな物語」が消えてしまった / 日本人はきょろきょろする / オバマ演説を日本人ができない理由 / 他国との比較でしか自国を語れない / 「お前の気持ちがわかる」空気で戦争 / ロジックはいつも「被害者意識」 / 「辺境人」のメンタリティ / 明治人にとって「日本は中華」だった / 日本人が日本人でなくなるとき / とことん辺境で行こう
II 辺境人の「学び」は効率がいい
「アメリカの司馬遼太郎」 / 君が代と日の丸の根拠 / 虎の威を借る狐の意見 / 起源からの遅れ / 『武士道』を読む / 無防備に開放する日本人 / 便所掃除がなぜ修業なのか / 学びの極意 / 『水戸黄門』のドラマツルギー
III 「機」の思想
どこか遠くにあるはずの叡智 / 極楽でも地獄でもよい / 「機」と「辺境人の時間」 / 武道的な「天下無敵」の意味 / 敵を作らない「私」とは / 肌理細かく身体を使う / 「ありもの」の「使い回し」 / 「学ぶ力」の劣化 / わからないけれど、わかる / 「世界の中心にいない」という前提
IV 辺境人は日本語と共に
「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか / 「もしもし」が伝わること / 不自然なほどに態度の大きな人間 / 日本語の特殊性はどこにあるか / 日本語がマンガ脳を育んだ / 「真名」と「仮名」の使い分け / 日本人の召命
終わりに
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日本人の特性を、地理的に辺境であることに軸をおいて論じている。
辺境であるがゆえに、恐るべき学びの構造(現在へのキャッチアップと理解の深化)を手に入れた一方で、決して未来を創造できない、というのが辺境人としての日本人の特性(?)。
新書なんだけど、内田マニア向けという感じで、内田語法に慣れていないと内容をフォローできなさそう。なので星は一つ少ない
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内田樹さんの本。
前半はあれって思ったけど、
後半になって内田節が炸裂。
内田さん得意の「師弟論」と
日本人の偏狭的特性を結びつけて話す。
「師弟論」とか「学習論」とかは
いつもの内容と変わらず。
それを日本人の辺境性と結びつけて
話しているところが、新しいところかな。
いつも同じこと書いているような気がするが、
(本人もそう言ってる)
何回聞いても面白い話ってのはやはりある。
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2009.11.28読了。
国の成り立ちから言って、世界を引っ張る中心になることはできないし、それをだれも望んではいない。だからとことん辺境で行こう!というのが氏のメッセージ。
無知であるふりをして、実を取る。そんな日本人の得意技をくりだして、世界の中でうまく立ち回る。そういう生き方に、大いに同意。
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091206
朝日新聞書評
日本人の行動パターン分析
世界標準を作らずその時々で正しそうな案に乗る?
模倣、応用する傾向のこと?
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2009年12月7日購入
うんちくがたいへんおもしろかった。
ことに日本語が会話になると
論理性を離れて位取りに終始するという話は
ちょっと身につまされるところもあり印象に残った。
論理性を離れてという点について簡単な例を挙げると
母親が味噌汁にみそを入れ忘れたとして
「おめえの味噌汁は味噌汁じゃねえ」
といった場合などが考えられる。
これは明らかに日本語として間違っている。
非常に合理的なコメントなのだが
合理性とは全く違う軸が存在する。
英語でどういうか考えて比較してみると
分かりやすかろうと思う。
まあええねんけど。
話が飛ぶなあ、と思うところもあったが
「辺境」という捉え方に
なるほど~と唸ってしまった。
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091206 by朝日 自分では世界標準を決して作ろうとせず、なんとなく体制に流されて、、、辺境人たる日本人の特性・行動パターンを分析して、なかなかスリリング。
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1 日本人は辺境人である(「大きな物語」が消えてしまった. 日本人はきょろきょろする ほか)
2 辺境人の「学び」は効率がいい(「アメリカの司馬遼太郎」. 君が代と日の丸の根拠 ほか)
3 「機」の思想(どこか遠くにあるはずの叡智. 極楽でも地獄でもよい ほか)
4 辺境人は日本語と共に(「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか. 「もしもし」が伝わること ほか)
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日本人とは辺境人である―「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。
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最初の章は日本人の思想の矛盾について書かれていて批判的な文章を読むのが苦痛だった。
でも読み進めていくうちに辺境にあるからこそ日本があるという風に思い返せた。
ひとつだけ思ったのは、アイデンティティは他者との関係性で分かるもので日本人が他国との比較でしか自分たちの国について語ることができないというのはそれほど不自然なことではないのかなと僕は思ったけど。
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決定的に面白い、日本人は「辺境人」【 赤松正雄の読書録ブログ】
2年ほど前に、内田樹『私家版・ユダヤ文化論』を読んで、「なぜユダヤ人は迫害されるのかとのミステリアスな問い」との見出しで、さっぱり分からないと嘆くばかりの読書論を書いた。その内田さんが今度は『日本辺境論』を出版された。養老孟司さんによる「これ以降、私たちの日本人論は本書抜きでは語られないだろう」との絶賛文つきの話題作だ。あとがきに、この本のタイトルは「私家版・日本文化論」でも良かったと書いているように、二冊合わせて「内田版・日本人とユダヤ人」になっている。日本人論が大好きな私は、かつて公明新聞記者時代に、識者に日本人論を書いてもらう企画をたて原稿取りに歩いた。岡本太郎さん始めいろんな人に会ったのは懐かしい思い出だ。そんな私が掛け値なしにこれまで読んだもののなかで、最も面白い日本人論だといえる。
「他国との比較を通じてしか自国のめざす国家像を描けない。国家戦略を語れない」のが日本人のきわだった国民性格で、「侵略相手の国民にさえ、空気の共有や場の親密性を求めてしまう」―などと指摘され、なるほどと納得し、それらが畢竟「辺境人」であることに端を発しているとの議論の展開にうなる。その辺境人の本質は、日本語と共にあるとの指摘はかなり痺れる。「外来のものが正統に地位を占め、土着のものが隷属的な地位に退く」―漢字(真名)と仮名の関係を説きほどいた最終章は圧巻だ。
「韓国でもベトナムでも、母語しかできない人にはしだいに大学のポストがなくなりつつあります」が、「その中で、日本だけが例外的に、土着語だけしか使用できない人間でも大学教授になれ、政治家になれ、官僚になれ」るのは、「世界的にはきわめて例外的」だとの指摘は息を呑む。それは何故なのか。ユダヤ人論とはまた違った意味でのミステリアスな問いかけの連続もあって、一気に読ませた。
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「辺境」という言葉を聞くと、大学時代に習った周辺理論を思い出す。歴史の中で、新たな文明の担い手は、現在の文明国の周辺でなく、辺境から生まれると。
この本は、新しい日本文化論である。日本人論としては、かつて「菊と刀」「日本人とユダヤ人」等記憶にある。それぞれ読んだと思うが、あまり記憶に残っていない。
本書は、「辺境」をキーワードに、歴史的な日本人の受身姿勢等日本人・日本文化の特質を説く。
一部哲学的な部分は難解であるが、全体的に分かりやすい文章になっている。
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内田先生の本はほとんど読んでますが、今回もとても良かったです。
ちなみにこれはブログをまとめた本ではないので結構固めの書き方してます。
この本を読んで、「そうか、だから日本はダメなんだぁ~」ってな感想はまさしく辺境人の感想なんだよねぇ~。
そんで問題はこの辺境人は国内の関係においてもキレイに入れ子構造になっていて、東京に対する地方の眼差しって辺境人の中の辺境人の眼差しなんだよね。
そんな私はスーパー辺境人。。。
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久しぶりの内田樹さんの本でした。
この本では日本人について書いてありました。
せっかくなので自分の言葉で説明すると(内田さんの論とは変わってしまうかもしれませんが、、、)
日本人は、辺境人だそうです。
自分とは違う外部に「上位文化」や「正しさ」があると認識していて、文化的劣等感を持っています。
この文化的劣等感を持っているお陰で学びに対する過剰反応とも言える姿勢を持ち続けてきました。
本来であれば、学ぶものに対して事前に適否をチェックするなり、判断を留保するなりしますが、日本人の場合は、とりあえず宥和的な態度でそれを取り込もうとします。例えるなら、「これはすごい」と誰かが言うとそれがたちまち集団感染していくイメージです。
日本人には学ぶ力として最も必要な「先駆的に知る力」が備わっていました。
「先駆的に知る力」とは、今はまだその意味や有用性を示されていないものであるが、将来死活的に重要であると確信できるものを先駆的に感じる力です。
日本の基本原理・基本原則は「渾然たる一如一体の和」です。外国のように「理性から発した互いに独立した平等な個」ではなく、「全体の中に和を以って存在し、一体を保つところの大和」。言いかえれば、「相互の間に区別が明らかでなく、ぼんやり漠然と一体をなし溶けあっている」状態です。
この原理・原則があったからこそ、変わり身が早く、成功例を模倣する卓越した能力が持てたといえます。
日本の特徴とも言えることろは
「親しさに固執する」ということです。
自分のアイデンティティーの一貫性より場の親密性を重視すること
もっと言えば、
「何が正しいか」より「誰と親しくすればよいか」ということを優先する。
「メッセージのコンテンツの成否」より「発信者・受信者ともどちらが上位者か?」立場の差を注目する
ということ。
残念なことは、「私はあなたより沢山の情報を持っている。私はあなたより合理的な判断をとることができる。よってあなたの結論がどんなものであろうと、私の結論が正しい」というロジックが出回り、たくさんの場で使われ、
「それは、もう私は知っている」とうんざりしたフリをし、「私が上位者である」というポジション争いが多く行われていること(内容の争いではなく)。
そして、先ほどの先駆的に知る力を使わず、値札のついている商品(今、現在において価値のあるもの)にだけ注目をし、手持ちの貨幣でいかに値の高いものを交換できるかのみを訓練されている現在の日本人には、以前に較べ学ぶ力が衰えている。
そしてまた「敵」の話し。
ベストコンディションの私がいることを前提として、私のパフォーマンスを下げるものを「敵」として認識すると「敵」は限りなく無限に考えられ、理想状態が私以外いない状態。つまり絶対的な孤独のうちに引き籠ることになる。「原因」で「結果」を説明しようとするロジックそのものが「敵」であるといえる。
「私」、「他者」などとして捉えるのではなく、オーケストラをす���奏者の集まりのように「多細胞生物」としてある存在、生き方の提案
がある。
・・・本は、多細胞生物で締める形ではないのですが、私が紹介したいことをまとめるとこの流れになってしまいました。ごめんなさい。
文化的劣等感が、学びに対する過剰反応を作る要因の一つをなしている。
場の親密性を重視している。コンテンツの成否より立場の差に着目しており、現に立場の取り合いが行われている。というところが今回の大きな収穫であったように思います。
この本にも感謝。