紙の本
注釈のような日常の深み
2012/01/09 23:29
10人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
巷に溢れるこの国に関する統計資料を適当に3つや5つ選んだら、将来に希望があんまりない国だとするのは簡単で、そんな国に住む「若者」たちは不幸なはずであると、物の分かってそうな「大人」は解釈する。でも、20代くらいの世代は、かつてないほどに「幸福」を感じ、今のここに「満足」している。
著者は本書で、若者に関する論考の歴史を探りつつ、若者そのものを定義付けすることを周到に避ける。「若者」という言葉は、大雑把に若年層の価値観を総括してしまいがちだが、ナントカ系がたくさん溢れている2010年代の日本では、若者という括りで代表される塊などもはや存在しない。適当にバラバラでそれなりに孤独だけど小さく繋がってはいる小集団は、いまこの国に住む人間の在り方そのもので、だから著者は終章近くで「一億総若者化時代」なんて言ってみたりする。
怒れる若者などいないこの国では、デモは起きても派手さはなく長くも続かないし、ナショナリズムが沸騰しているように見えるワールドカップでも、ただ単に非日常を盛り上がりたいだけだったりする。詳しいことは分からずともなんとなくこの国の行く末を分かってしまっている90年代以降に生まれた者たちは、いま、ここを楽しむ。それが階級を固定し、将来の希望を捨てることになろうとも、不確かな未来を夢見たり、「あの頃」に戻りたいなんて考えるより(戻りたいあの頃なんてむしろない)、今を肯定する。そんな社会を著者もどちらかというと肯定する。わたしもどちらかというとそうである。
本書は誰に向けて、なんで書かれたのか。
著者は、「自分」のこと、「自分のまわり」のことを少しでもまともに知りたかったからだと言う。思えば文系の本はみんなそんなものだと思う。知ることは意外と楽しい。知って分かった世界は、小市民がそこそこ限定された空間を行きつ戻りつ紡いでいくような世界。そんなミスチル的世界観。
小さな詩のようでもありつつ、柔らかいジャーナリズムでもあるような本書は(注釈が深くてとても良い)、国民国家というフィクションにだって対抗できてしまうかもしれない。そんな大袈裟なものに対抗することなんか目指してないからこそ、生温かいこの論考はきっと、モワッとした深みを醸し出し続けると思う。
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たとえば、ユニクロとZARAでベーシックなアイテムを揃え、H&Mで流行を押さえた福を着て、マクドナルドでランチとコーヒー、友達とくだらない話を三時間、家ではYouTubeを見ながらSkypeで友達とおしゃべり。家具はニトリとIKEA。よるは友達の家に集まって鍋。お金をあまりかけなくても、そこそこ楽しい日常を送ることができる。
実際、現代の若者の生活満足度は、ここ40年間の中で一番高いことが、様々な調査から明らかになっている。たとえば内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、2010年の時点で20代の70.5%が現在の生活に「満足」していると答えている。そう、格差社会や世代間格差と言われながら、日本の若者の七割が今の生活に満足しているのだ。p7
徳富蘇峰は若者の人格5類型化を試みている。安定志向で、上の言うことを守り空気を読む〈模範青年〉、自己中で金持ちになることだけを目指す〈成功青年〉、自由競争の現代(大正)に「生きづらさ」を感じて何も出来ずにひきこもる〈煩悶青年〉、肉欲の奴隷となり退廃的な日々を送る〈耽溺青年〉、自分を持たずに付和雷同的にすべてに流される〈無色青年〉だ。
ちなみに長山靖生は徳富の見出した類型が現代の若者でいう「安定志向」「勝ち組」「ひきこもり」「おたく」「フリーター」と類似していることを指摘している。p23
要するに、若者は決してモノを買わなくなったわけじゃない。買うモノとそのスケールが変わっただけの話なのだ。昔ほど自動車は買わない。お酒も飲まない。海外旅行も行かない。だけど「衣・食・住」など生活に関わるモノは買うし、通信費など人間関係の維持に必要なコストはかける。博報堂発行の広告雑誌の言葉を使えば「過剰な消費や拡大を目指さない、サステイナブル消費の若者たち」ということになる。だから、消費傾向自体は、確かに「内向き」と言ってもいい。p94-95
コンサマトリー化する若者たち。コンサマトリーというのは自己充足的という意味で、「今、ここ」の身近な幸せを大事にする感性のことだと思ってくれればいい。
何らかの目的達成のために邁進するのではなくて、仲間たちとのんびりと自分の生活を楽しむ生き方と言い換えてもいい。つまり「より幸せ」なことを想定した未来のために生きるのではなくて、「今、とても幸せ」と感じられる若者の増加が、「幸せな若者」の正体なのではないだろうか。p104-105
メリトクラシーとは、身分や家柄ではなく「能力」のある人が社会を支配する仕組みのことで、通常日本語では業績主義と訳される。ニュアンスとしては学歴社会や受験競争社会に近い。p106
まるでムラに住む人のように、「仲間」がいる「小さな世界」で日常を送る若者たち。これこそが、現代に生きる若者たちが幸せな理由の本質である。p109
世界中どこにいても「日本」みたいに暮らせることは、新しいナショナリズムの出現でもある。海外に行っても母国を想像し、母国の一員としてのアイデンティティを抱き続けるような状況は「遠隔地ナショナリズム」と呼ばれている。p140
僕はかつてピースボートに乗船する若者を対象とした研究で、「共同性」が「目的性」を「冷却」させると結論した。つまり、集団��してある目的のために頑張っているように見える人々も、結局はそこが居場所化してしまい、当初の目的をあきらめてしまうのではないか、ということだ。p186
「日本」を変えるために運動を続ける若者たち。彼らの活動は、閉塞感を紛らわせるための表現活動だったり、承認を求めるための「居場所」探しという毛色が強かった。それでいいのだ。p191
結局、ツイッターの提供する「共同性」に「社会を変える」という「目的性」は回収されてしまうんだろうと僕は考えている。p251
中国では格差社会という以前に、「都市戸籍」と「農民戸籍」という越えられない身分の壁がある。中国では都市と農村では戸籍が異なるため、農村で生まれた人は都市に居住することができないことになっている。
実際には、都市部では「農工民」と呼ばれる農村出身の労働者が多く働いているが、社会保障も受けられないし、子どもができても多くの公立学校は受け入れてくれない。p254
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一般の若者論とは一線を画した本。日本?うん?別に無いならないで。。同感。前作といい、古市さんの軽快な文体が爽快。ホントおっさんどもに読ませたいわ。。
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日本の若者は、いたるところでガス抜きされている。
というより、「一億総若者時代」にあっては下手な年齢の区切りを持ち出すまでもなく、日本全体が何だか妙な幸せに包まれている。
不満というガスは、日常にあふれる娯楽や承認によって、抜けていってしまうのだから。
その幸せはしかし、何の先の支えにもならず、風が吹けば飛んでしまうようなものだ。
「承認は現在の問題、貧困は未来の問題」(フレイザーがそうしたような、しっかりとした分け方だ)なのであり、現在を無限に延伸することができない以上、貧困の問題はいずれ直面せざるを得ない。どう考えても現状の年金システムが崩壊しているこの国でそれに直面するということが、どれほどの事態であろうか。
社会を変えるにあたって連帯やデモの力を信じる人たちにとっては、この本が全体を通して示す若者の「ぬるっとした」幸せに対して、強い拒否感を覚えるだろう。「こんな現状肯定はとんでもない」と。
しかし、一通り読めば著者がそうした若者の姿を「よい」と価値付けしているわけではないことは明らかだ。
文体もぬるっとしているので、読み通すのに全く時間はかからない。
団体行動の力を盲信する前に、その行く手にかかる幸せの濃霧の実情を捉えておく必要はあるだろう。
そして、不満や不安と幸福感は対ではあったとしても、ゼロサムなものではない。
それは常に各人の中に同居していて、ふっと出てくる場面が違うだけの話。
「個人の中の複数性」を改めて考慮しなければいけない。
社会にあって変革をしたい。そう考える人こそ、この不気味な問題提起を直視する必要があるだろう。
ちなみに自分は、共感ばかりしてしまった・・・(暴かれた気持ち悪さというより)
身近なところで承認を得て「ほどほどに幸せそうに見える」若者の、自分は典型例だったのかもしれないから。
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修士論文をカジュアルにリライト、追補したものだそう。前半は、過去から現在に至るまでのいわゆる「若者」像について、公開されている統計等を読み込みながら検証。後半については作者なりに新たな「若者」の切り口を提示していく。
とりわけ前半のいわゆる「若者」像の考察は、作者の主観を交えながら非常におもしろくまとめています。私たちの世代かまとっている雰囲気を的確に、ところどころ踏み込みながらよく描いているなぁと。
震災を経て、際立って感じている世代の温度差。そこを読み解くヒントを得られたように思います。
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■昔ながらの若者論
最近の若者はだらしない、という話は良く聞くが、
年食ったおっさんが若者を批判する若者論は何も今に始まった事ではない、というイントロ。
新聞で若者、という単語の数を調べると戦後から急激に増えていて、戦前は青年、というが、まあ内容に対した変わりはない。
昔は若者を持ち上げて国家のために命を尽くさせる、という。
■若者たちは幸福度は過去最高!?
最近の若者は就職もできず、
低賃金で結婚もできず、将来は年金もあまりもらえず…
という「若者はかわいそう」論をよく聞く。
しかしこの本では、
実は若者は自分たちのことを幸せだと感じていて
1970年代から現在までの比較で、
過去最高に生活満足度が高いという
意外なデータが紹介されている。
■半径3メートル、「いまここ」の幸せ
しかし将来や社会の話になると結果は一転。
「日頃の生活の中で、悩みや不安を感じているか」という設問では
「不安がある」と答えた20代が1980年代後半の4割弱から2008年は67.1%に上昇。
自国の社会に対する満足度は1972年から上昇し続け、
その後バブル前夜の1988年をピークとして減少。
このパラドクスな状況を端的に表したのが
この本のタイトル「絶望の国の幸福な若者たち」。
■諦めてしまっている若者たち
以下引用。
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将来の可能性が残されている人や、
これからの人生に「希望」がある人にとって、
「今は不幸」だと言っても自分を全否定したことにはならないからだ。
逆に言えば、もはや自分がこれ以上は幸せになると思えない時、
人は「今の生活が幸せだ」と答えるしかない。
つまり、人はもはや将来に希望を描けないときに
「今は幸せだ」「今の生活が満足だ」と回答するというのだ。
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絶望しきっている方が幸せだということだろうか。
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「若者」論という視点から、アイロニカルかつ冷静に「日本」社会について論じられている。随所に細かい笑いのツボも用意されていて、それが内容をよりひきたてている。中身はもちろんだが、あとがきがとても良かった!学術的な内容にも関わらず、エンターテイメントの本を読んでいるような軽快な文体で、本当に文章の上手い人だと思う。
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著者の姿勢や表現に反感を持つ読者もいるだろうが、是非読むべき一冊だと思う。現代日本の一側面を正確に把握し、わかりやすく提示し、重要な問題提起になっている。このような著者の見方を乗り越えていくべきと主張するなら、きちんと別の著作で提示してほしい。
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皮肉った感じの口語文章で割りと読みやすい。
途中中だるみした感じだけど、後半から言いたいことばんばんでてくる感じの勢いを感じた。
作者と年齢が近いこともあるのか、すごくしっくりくる。
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とりあえず、序盤だらだらした文体で読み進めにくい。
さらに中盤あたりから、著者も最近の若者は・・・・という論調になっている。
自分は若者じゃないと思っているのだろうか?
自分とは異質な存在を排除しようとしている節がある。
特に5章の知識人への皮肉がなんとも稚拙。
2章と4章はなるほどと思えた。
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『なんとなく幸せで、なんとなく不安。そんな時代を僕達は生きていく。
絶望の国の、幸福な「若者」として。』
すごく自分は幸せな状況にいると思う。
けれど、その幸せを味わうには不安が尽きない。なぜか。
そう感じている若者について考えることで、その背景を探っていく。
現在の「若者論」がいかに語りえないものかを示すとともに、
じゃあどうやって考えていけばいいんだろう、というのが裏テーマかと思う。
迷ったけど、買って、読んでよかった。
読み終わると、カバーの表紙もさらに印象的。
装丁は住吉昭人。
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明治末期から現代まで続く「イマドキの若者はなっとらん」と綴られた「若者論」を引用しつつ、「若者論」括られた若者を統計的に分析している。後半は少し日本人論的に拡大し、日本人の一億総若者時代に言及している。著者26歳の社会学者というのも頼もしい。
内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、2010年の時点で「20代」の約70%が現在の生活に満足している。1960年代後半で60%、1970年代には50%まで下がった年もあるが、1990年代後半から70%前後が満足しているのだ。また、「友人や仲間といるとき」充実感や生き甲斐を感じるようになったのも同じ頃からで、その変化は1970年38.8%、80年58.8%、90年64.1%、98年以降74%前後と安定している。
ここから導くと若者の約50%は友人や仲間に恵まれていて幸福、20%はそれ以外で幸福そして残り30%が不幸なのだな。最後の30%が明日に光が見える今の不幸なのかどうかが気になります。
また、東北大震災以降の原発関連のデモの取材などから、「共同性」が「目的性」を「冷却」させ「居場所」化すると論じ、ソーシャルメディアについても『ツイッターの共同性に「社会を変える」目的性は回収される』とあった。ソーシャルメディアから行動を喚起するのは確かに難しいのだが、苦難を乗り越えてでも可能にしなければと改めて思った次第です。
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読んで面白くないわけじゃないけど、ネットで著者のインタビューとかを読めば概ね把握できる内容。若者が幸か不幸かは人それぞれとしか言えない。幸せと思ってる人多いよっていわれても、不幸な人を救わなくていいという話にはならないし。
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タイトルと装丁が素晴らしい、カバーを外すと更に空に漂う雲、ああ若者論よ儚さを…というのは置いておき、如何に以前の若者論の馬鹿らしさをユーモアで持って捨て前著『希望難民ご一行様』の共同体論から、世代間格差(但しその有効性も疑う)、将来の日本国まで考察される。
承認欲求を満たされていれば良い口なのだけど、如何せん金の話は別であり、前著とか読むと「ああ、俺って意識高い人なのかなぁ」なんて思ったが、この本でいえばある程度将来に備える金が必要だから賃金を今より多く得る必要があるという話だったみたい。
だから俺は幸福ではないのだなぁ(笑)
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2週間以上かけて読破。自分がまさに「若者」であるためか、共感して読める部分、皮肉な笑みを浮かべてしまう部分、色々あった。研究ってこういう風にするのだなあ、と思った。社会学に興味を持てた、きっと忘れられない本。