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ニューギニア人ヤリの疑問
「あなた方白人は、たくさんのものを発達させて
ニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には
自分たちのものといえるものがほとんどない。
それはぜだろうか?」
への解答。
1. 大陸間での栽培化、家畜化が可能な動植物の分布に差があった。
・ユーラシア大陸にはそれらが豊富にあったが
他の大陸には殆どなかった。
・穀物の栽培、家畜の使用によって余剰食糧の備蓄が可能になり、
非生産社会級の専門職を養うゆとりが生まれ、
技術や文化の向上に繋がった。
・その結果人口の稠密な大規模集団が形成され、
軍事面、技術面、政治面で有利になって他の集団を圧倒した。
*オーストラリア、南北アメリカでは人類が移住した頃に
前後して大型哺乳類が絶滅し、アフリカ大陸では家畜化に
適した性質の哺乳類がほとんどいなかった。
2.伝播、拡散速度の違い
・ユーラシア大陸は東西に長いが、アフリカ、南北アメリカ大陸は
南北に長い。南北方向への移動は気候の変化が大きいため
困難を伴い、時間がかかる。
東西方向には比較的障壁が少ないので
素早く伝播、拡散が起こる。
3.大陸間での伝播の困難度の違い
・オーストラリア大陸は海洋による隔離の影響が大きかった。
4.大陸の大きさ、総人口の違い
・人口が多いほど、文化や技術を発明する人間も増える。
また刺激し合うことでより発展の速度が増す。
・人口が多いほど、多くの病原菌に触れる事になり、
死者も出るが抵抗力を持っ機会も増える。
以上のことから、著者は
「人類の進化の差は人種の優劣によるものではなく、
置かれた環境による影響が大きい。」
と結論づける。
ごく自然な結論であるが、
現実に圧倒的な征服者である欧米人が人種優勢論を唱えることは
現代に於いては道徳的なタブーであるのだろう、
そこは非常に気を遣って何度も否定しているのが印象的だった。
また、同じユーラシア大陸の中でも、先に文明が発達した
メソポタミアと中国がヨーロッパに追い越されてしまった
理由については、次のように考察している。
・メソポタミアは最初に穀物の栽培に成功したが、
少ない降雨量と低い森林再生率によってやがて生産力が
低下してしまい、文化の中心が西へと移っていった。
・中国は早くから統一王朝ができて中央集権化が進み、
国内の権力闘争の影響を受けて海外渡航を禁止し、
孤立政策をとってしまった。
対してヨーロッパでは多くの国が存在したため、
他の大陸への探検を認める君主もいた。
それがコロンブスなどの遠征を可能にした。
つまり、持続可能な食糧生産と、
政治的多様性を持ち得た集団が、
生き残ったという事だろう。
現代に生きる我々にとっても、
ここから学ぶことは多いように思うん��けどなぁ。
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『銃・病原菌・鉄 下巻』を読んで、全体を通読。
著者が医学部の先生というのも、訳者あとがきで知った。どうりで、訳本にしては論理的で読みやすいと思った。理系の人の本は概して読みやすい。
全体を通じて、著者のいいたかった結論。
(1)ヨーロッパが近代化の成功したのは、人種的な差ではなく、環境の違い。
(2)人類の歴史において、差がでたのは、野生の植物で栽培に適したものがあったか、家畜になる野生の動物がいたか、新しい栽培種や家畜が移動しやすい大陸の形をしていたかによって違いがでる。ユーロシア大陸は他の大陸に比べ、穀物になる野生種がおおく、牛、馬、羊などの家畜にできる野生動物がたくさんいたこと、新しい家畜、穀物が移転するには、南北に長い大陸より東西に長い大陸であるユーロシア大陸が有利だったこと。(p363)
(3)ユーロシア大陸の中では、中国は統一が進んでいたため、新しい技術が発明されていても、政府が一律的に禁止してしまい発展がとまった。これに対して、ヨーロッパは多数の小国に分かれていたため、統一性がないかわりに、新しい技術、新しい冒険などに支援する国を見つけることができたこと。(p382)
日本のことはあまり触れられていないが、日本人は遺伝的には、中国、南方、北方の三つの方向からの住民の混血だと言われている。このように、違う言葉を話す小規模なグループが、すくなくとも、小規模には殺戮をしたのかもしれないが、マクロ的には混血化したというのは、日本人の柔軟な優れた特性ではないかと思う。
日本民族とかいって肩肘はるのではなく、むしろ移住民にオープンな社会体質を誇りにすべきではないか。そのような他民族、あるいは他宗教への寛容性が、これからの日本人の活躍の場を広げるような気がする。
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人類13000年に渡る壮大な歩みを様々な視点から辿ることのできる素晴らしい読み物です。著者は自然科学の生態学や進化生物学を専門としていますが、父母の影響を受け途中医学や言語学も志していたこともあるため、この本の内容は疫学や遺伝学、文化人類学、地理的要因を基礎とした世界中の植物や動物の分布はもちろんのこと、言語学からの文字と技術の伝播についても詳しく述べられているのですから驚きです。事実を丹念に積み上げ検証を伴う科学的な手法を用いることによって、人類の歴史を単なるロマンに終わらせることのない説得力のある内容に仕上げています。
私は人類の祖先ホモ・サピエンスはアフリカで誕生したということをこれまで知識として持っていました。しかし、この事実はなんだか漠然とした違和感がありました。人類が誕生した土地なのに現在アフリカ地域は世界的にみると決して発展を遂げているとは言い難い、何故なんだろう・・・。著者もヨーロッパ人がアフリカに入植するのではなく、アフリカ人がヨーロッパに入植しなかったのは驚きである・・と述べていたりします。スタートで有利でいたはずなのに気の遠くなるような膨大な時間は因果関係を全く異なるものとしました。そこにはどういう要因が潜んでいたのか。俄かに知的好奇心が湧きだすのです。表題になっている銃や病原菌や鉄はその地域ごとの格差を生んだ象徴的な要因として登場します。スペイン人のインカ帝国の征服の場面などは歴史の必然性を物語っていて印象深いものでした。大陸ごと気候や地形の違いなど地理的条件に伴う人間の生活様式の違いが様々な社会を生み、それをその時々に合わせ取捨選択した結果が発展や孤立につながり、その結果として現在のような格差のある世界が出来上がったという論理が展開されています。
この中で技術の伝播を述べている章で、技術は非凡な天才がいたおかげで突如出現するものでなく、累積的に進歩し完成するものである。・・という内容にあらためてたゆみない名もなき人々の努力の積み重ねの上に私たちの今の生活が成り立っているのだと実感することができました。また環境とは全く違った文化的要因、最初は取るに足らない要因が定着してしまって恒久的に定着してしまうような現象も、タイプライターのQWERTYキーボード配列の採用の経緯を取り上げていて興味深いものでした。初めの些細な差異が時間の経過とともに大きな変化をもたらすという歴史の予測不可能な側面は、以前に読んだ「歴史はべき乗則で動く」の内容を思いださせるものでした。
壮大な人類の歴史を学ぶことは、そこに不変の法則を見出し、今に生きる私たちに何らかの示唆を与えてくれるのだろうと考えています。
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昔読みたかったのが、文庫版になってたから上下読んでみた。
人類史の謎と言いつつ、結局のところ「運」と言ってしまっていいような、いい意味でニュートラルな環境決定論ありきの長い考察。
それでも飽きずに読めるのは、自分自身(と研究分野そのもの)の限界を知りながら、トンデモ理論を持ち出さないであくまで整然と説明してくれるからだと思う。
憧れの美徳の一つ。(長い説教がなければ)上司にほしいタイプ。
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非常に興味深い考察。思ったより時間かかっちゃったけどww
これで、また新しいネタを仕入れることができた!
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上巻で人類史の根源は語り尽くされた気がする。
下巻は各大陸の具体的な発展の話だった。後は国家の成立について。
オーストラリアの特異性、中国の統一、アフリカの民族分布など。突然言語学レベルの研究になって面食らった(私は面白かったけど)。
結果論で考えてしまえば今の世界が必然的であるように思うけど、「なぜ違う道には進まなかったのか」と考えると深くなるのね。まったく無から食料生産、文字などの必要性に気づき、作り出した人々は凄い。
あと2000年くらいでアメリカでも文字が発達していったのかもと考えるのは胸が熱くなる。
どんなに未熟な古代国家でも、成立するのは人類の大進歩の証なんだね。
私としては古代宗教の話や「時間」の発見なども言及して欲しかったなー
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人類は世界において何故、不均衡な発展をし大陸間で格差を生むことになったのか?何故、侵略者達の手に銃器や科学技術があって、その逆ではなかったのか?この問題を科学的な視点で捉え徹底的に考察される。本書で披露されるこの謎解きには目からウロコである。文庫が発刊されたのが読むための良い機会となった。
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下巻は文字と人類の関わりや、各地域論など話題が現代に近くなってくる。
私は、こういう世界全体を相手にしている本は、その中での日本の位置づけがどうしても気になるのだが、戦国時代に渡来してきた銃を、江戸時代に作らなくなってしまったことが「せっかくの技術を捨ててしまった例」として挙がっているのがとても印象的だった。この本の中で「これはよく知られていること」として書かれているのがまた自分には新鮮で、果たして自分は何を勉強してきたのだろう?と思ってしまった。鉄砲伝来は1543年(以後予算なく…)と覚えていたのを思い出し、そういえばその後の歴史でしばらく鉄砲は出てこないんだ!、といろいろ思いを巡らす。
論点を網羅するためか、オーストラリア近辺、アフリカ、中国にまで考察が及ぶ。論点が広すぎて個別に見るとひょっとすると突っ込みどころがあるのかも?と思っていたが、そういう読み方は野暮というもんなんだろう、と思う。
「知」の在り方のようなものも自身よく考えることだ。各カテゴリへ分割された諸学問を精緻に掘り下げていく手法も大事なのだと思うけれど、広い視点というのも必要なのだろうと思う。ある精緻な分析が世界全体のことを結局語ってしまっているような書物(なんとなく『資本論』とか?)もあるけれど、そもそもの視点の広さ、というのも必要に思われる。そしてお互いを補完しあうような関係になればいいのだという気がする。
これはもっと現実世界とか実務レべルでも思うことである。ゼネラリストとスペシャリスト。どっちがいいとか言うわけではなくて、お互いに補完しあえればいいのではないか。
「あいつがこっちをやっているから、私はこっちをやろう」
「こっちは私がやっておくから」
「あれはあいつがやっているから任せよう」
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アフリカから広がったとされていた人類の起源に関する通説を圧倒的な研究データから詳細に検証し直している。人類史13000年の時間から全世界を俯瞰するような内容。
と、興味深い内容でしたが、、、上巻だと思って読んでいたのがなんと下巻(!)どうりで読みはじめが唐突だと感じたわけだ。読了しましたがこの大作をあらためて上巻に戻って読む気が起きず。いずれ挑戦してみます。
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歴史のダイナミズムを科学的な観点から分析している。特に生物学的な、言語的なアプローチは、今までにない新しい科学的手法で、新鮮だ。
スケールの大きな本で、私にとっても大いに啓発された、貴重な本となるだろう。
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個人的には上巻の方が面白かった。下巻は結構同じ事の繰り返しの部分が多かったし。
全体的には成る程ねと思えたけど、どうもこの著者は東洋の言語学は余り得意じゃないのか、それともアンチ漢字なのかという気が。
日本人が覚えるのに大変苦労する漢字を未だに使っているのは、漢字が日本社会にとってステータスが高いからだそうで、それは全く同じデザイン・品質のジーンズでも、わざわざ高い金額を出してブランド物の方を買うのと同じである、とされても……そうかな??? と。
更に別の章でも「日本は日本の話し言葉を表すには問題がある漢字を未だに使っている」というような記述があって、成る程確かに漢字は数も多くて、覚えるのには非常に時間が掛かるし、暫くの間使わなければすぐに書き方を忘れてしまうような難しい文字ではあるけれど、はて、では他に日本語を上手く書き記すのにどんな文字が有効であるのか、日本語しか分からない自分にはサッパリ。
仮名とアルファベットだけの文章は甚だ読み辛いのだけれど、それは今の文章の形態に慣れているからだけだろうか。
外国人の目から見れば、勿論仮名やアルファベットだけの文章の方が読みやすいだろうけど、同音異義語の多い日本語だと、ある程度以上の文になれば、やはり漢字なしでは苦しい気がするのだけれど。
より効率的に日本語を書く為には、既存の文字は全て忘れ、新しい文字を開発すべき、という事なんだろうか。
どうも下巻はその辺りに引っ掛かってしまって、上巻に比べて読み終わるまでに大分時間を食ってしまった。
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1万3000年前の更新世末期は全ての人間が狩猟採集活動を行い、同じような生活水準にあった。ところが、今日の世界では富は大きく偏在する。欧米のような富が集中する地域・民族がある一方で、アフリカ・アジアなど恵まれない地域・民族が存在する。医者であり生物学者でもある著者が、ニューギニアでの体験を通じ、この1万3000年の間にどのようにして富が偏在していったのかを検証する壮大な歴史大著。
下巻では、本書のタイトルである銃や鉄といった技術や、文字がどのように生まれ伝播して行ったか、そして成熟した政治形態がどのようにして生まれて行ったのかを検証して行く。また、具体的な事例としてオーストロネシア・中国・アフリカに焦点を当て、先史時代から文明の発達までを考証していく。
もうね、とにかくすんげー面白い。歴史が好きな人もそうじゃない人もとにかく読むべき。
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有益な新たな知見はたくさんあったが、本書が探ろうとしていた結論は、ほぼ上巻で語り尽くされていたようにも思う。
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①文字の発明は最大の発明。
文字を発明するのは容易なことではない、ということを理解するのは容易なことではない。なぜなら、この文章を書いている自分は、文字と言うものを既に存在しているものと捉えていて、文字がない世界を想像するのが難しいからだ。言語学の勉強をしたい。
②発明は必要の母である。
これが一番秀逸だった。必要は発明の母ではない。多くの場合、偉大な発明は、単なる思いつきや全く異なる用途のために生み出されたものだった。
エジソンが蓄音器の主要な用途を音楽の録音再生と認めたのは20年後のことであり、それまでは自分の発明の品位を汚すものとして拒んでいた。
自動車は発明された当初、未だに馬の使用がメインであり、自動車は信頼性のない金持ちの道楽とされていた。第一次世界大戦でアメリカ軍が必要性を認識するまで、トラックや自動車は必要とされていなかった。
蒸気機関は、もともと炭鉱の水を除去するための動力源として採用された。その後当初の意図とはことなり、汽車や汽船の動力源となった。
このようなことから、発明は必要の母である。というよりも、発明と必要の因果関係はあやふやである。発明があり、その後環境に合わせたニーズが生まれてくることもあれば、商業的にニーズを作りだす場合もある。ニーズから発明が生まれることもあるだろう。
そしてその発明とは、一人の天才と言うよりも数多くの努力の積み重ねなのである。
功績が認めらている発明家とは、必要な技術を社会がちょうど受け入れられるようになっていた時に、既存技術を改良して提供できた人。
ライト兄弟の前には、有人グライダー、無人飛行機が存在していたことからも分かる。
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2012/4/1 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。
2013/7/25〜8/1
これぞ文理融合の知の結晶。なぜ人類の発展には地域差が存在するのか、という謎に挑み説得力のある論を展開する。私自身は理系の業界で生きているので、客観的事実による議論のみ信用できる口であるが、文科系の議論は根拠に依りつつも、最終的には正解はわからず、どれだけ説得力が有るか、が評価対象となろう。そういう観点からは著者は大成功を納めていると思う。評判になるのも尤も。