紙の本
専門家ではなくても楽しめる
2015/11/08 21:51
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投稿者:qoo - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは心理学の専門家に向けて、河合さんが講演した内容を書籍化したものです。私は心理の専門家ではありませんが、仕事の上で心に寄り添う仕事をしているので、気づくことがたくさんありました!後、単純に河合先生の話は面白いです。
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体系的じゃなかったけれど、含蓄が深いな。
・非常におもしろい言い方をしますと、われわれは普通、生きている人間よりも、もう少し扱いやすい人間と接しているのです。みなさんも人と話をしているとき、よそゆきの声を出しているときがあると思います。お互いによそゆきの声で、「おじいちゃん、元気?よかったねえ」「ありがとうございました」とやっている。ところが、自分の家のおじいちゃんとではそうはきません。生きている人間と生きている人間が会うというのは、世界と世界がぶつかるほど大変なことなのです。
・普通は学校へ行っていないと言われたら、「行ったらええやないの」とか、「何、やってるの」とか言いたくなります。そういうふうに行って、みな失敗した。ところが、余計なことを言わずにただ聴いていると、その人が自分で考え、自分の力でよくなっていくので、型どおりのマニュアルどおりやっていても軽い人はどんどん治っていきました。私も不思議でした。
ところが、それをやっても全然治らない人がいます。それで、これではだめだ、こんなふうに言われたとおり、マニュアルどおりやっているだけではだめで、やはり人間と人間が会うことを大事にしないといけないのだと思うようになったのです。
・たとえば、クライエントのなかに、「先生のところへ来ても、何にもよくなりませんわ」と言う人がいます。そう言われると、「どうも、本当にすみません」というのと、「勝手なこと言うのなら、帰れ」というのと、返事が二つ浮かびます。
そのとき、二つの返事を同時に言えたらなあと思います。たとえば、「そんな気持ちなら、もう帰れ」というのと、「何とか私も頑張ります」というのと、二つが一緒に二重奏で出てきたら、ものすごくかっこいいのになあと、いつも思いますけれども、口は一つしかありません。
…だから、弦楽四重奏曲を聴いていて、四つの音が鳴ると、私は一つの口であれと同じように言わないといけないとよく思うのです。
…そのように思うと、クライエントの心の中でもオーケストラは鳴っています。口は一つですから「先生のところへ来ても、全然よくなりませんわ」と言ってみたり、「もう死にます。これが最後です」と言ったりしますけれど、心の中ではオーケストラが鳴っているのですから、そのすべての音を私が聴き取らなければ心理療法をやっているとは言えません。その人の口から出てきている言葉以外の、心の中に高鳴っている音を自分はちゃんと聴いているだろうか、とオーケストラの演奏を聴きながら、私はよく思います。
・(藤村美穂子さんについて)ドイツ人は、何の真似をしなくてもドイツ人です。本物のドイツ人が本場で歌っているのに、自分が真似をして同じようにしたところで、所詮は真似の域を出られない。こんなことをやっていても追いつかない。やっぱり、日本人がドイツの音楽、ワグナーをやるというのは無理ではないかと思ったと言われました。
思っているうちにふと気がついたのは、ワグナーはあのような大歌劇をつくっているのですが、ああいうものすごい歌劇によってワグナーが伝えたいと思っていることの根本、本当に言いたいことは、ワグナー自身にも分からなかったのではないかということです。
これはすごくおもしろいうと思いました。本当に、人間が「これだ!」ということは、誰にも分からない。ワグナーはそれを必死になって求め努力をしているうちに、ああいう大歌劇をつくって、みんなに聴いてもらうことになった。聴いている者はみな感激し、ドイツ人も彼らなりにすごいと思っているけれど、ワグナーのいちばん底にあるものは、ドイツもアメリカも日本もない、人間共通の「X」なんだと思い至るのです。
・「この世にたった一人ということを体験したことがない」という人は、残念ながらわらしべをつかんでもあまりよいことは起こりません。
・うつ病の人というのは元気なときはまったく元気で、颯爽としているので、どうして会社に出てこられないのか、なかなか周りの人たちにはわかりにくいところがあるのです。
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人は全存在といえるもの、根源X、を賭けたときに、うまく生きられるというような話。だから、マニュアル通りにやっても、その人の全存在を賭けてはいないので効力がないということ。
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20140617
誰の心の奥底にも潜むXの話、
絶対的な孤独を経験したからこそ掴めるものがある、
すなわち創造の病(クリエイティブ・イルネス)の話、が好きだった。
祭りはXの解放、現在ではあまりXの解放になっていない祭りが多い。
社会生活を営みながら自分のXをどのように表現していくか。
それは私自身の課題でもあると思った。
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河合隼雄先生がカウンセリングと世の中についてわかりやすい言葉で話してくれている本。
感想を書くのも恐れ多いけど、やさしいような厳しいような、一回読んだだけじゃわかってないよなあと自省する気持ちになった。
専門以外も勉強して、芸術にも触れて、人間性も高める。
すごい仕事なんだなあ。
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人間共通に持っているものにXというものがある
Xを生きるために金を儲けたり色々なことが行われる
人間の奥底にある根本的なものそれがX
心理療法を行う人は芸術、つまり音楽演劇文学などに触れるべき
それもXに関わるからである
言葉から出て言葉に出る、著者の考えの根幹
言葉から離れて、言葉に戻ってくる運動
クライアントの言葉に対する寄り添い方
いっぺんガシャンとつぶれて、もういっぺん作り直す
我々は大抵ある種の体系いわゆる人生観とか世界観を持っている
これがどうにもならなくなってやってくるわけだから、外から心理療法家が壊す契機を作ることが理想
沈黙の重要性、そこにクライアントの変化が生まれているのかもしれない。内省、自己対話、了解
創造の病
人間は誰しも広い解釈でみるとこれを経験している
思いがけない失敗、病気などなど
もつれた糸をほどくように今の問題をとらえる
端を引っ張れば、ある程度はほどけるが残りは切らなければいけなくなる
だが、一本糸を引っ張るだけでなく、全部残したいならふわふわっとほどく。
深いなああああああ
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河合隼雄先生が「四天王寺カウンセリング講座」での講演記録をまとめたもの。
カウンセリングって、なんだろうか。という疑問に対して、色々な視点から本質を明らかにしてくれていると思う。
けれど、自分は、一回読んだだけでは、ぼんやりとしかわからなかった。これは、自分にとって、時間を開けて、何度か読まなければならない本なのだろうな。
第1章 カウンセリングと女性
→人間にも、カウンセリングにも、一つになってわかったという感じ」と「やっぱりあなたと私は違う」と分離するところの両方が必要で、重要。→「1人の人間」であるということの大切さ
第2章 カウンセリングと芸術
→芸術においてもカウンセリングにおいても「Xとしか言いようのないもの」を扱っているというのは腑に落ちる。→個性を生かすことの大切さ
第3章 禅仏教とカウンセリング
→カウンセリングにおいていかに言葉のないところが問題であり、それが言葉になり、またそれが捨てられるか?という動きが繰り広げられている。→言葉の裏にあるもの、言葉では表せないもの、言葉だけではないもの
第4章 日本中世の物語の世界
→宇治拾遺物語を手がかりに、中世の物語における夢やあの世への関わりから、心理療法へのヒントを得るように書かれている。→たった一人の経験の大切さ
第5章 病をいかに受けとめるか
→病によって人生が豊かになったり、新たな展開が生まれたりするか→「嫌だなあ」と思うようなすべてのことを「病」と、呼ぶなら、人間は誰しもいろいろなところで病に直面している。それわ乗り越えていくことてわ人生が変わっていく。
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講和形式で、とても理解しやすかった。
カウンセラーとして、難しい用語や技法を使うより、一人の人間としてクライアントと向き合うに限ると思いました。
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「カウンセリング教室」より考えさせられる内容でした。
なんか、今まで身体的に死にそうな体験とか、鬱でねこんだりとか、辛いことがたくさんあったけど、それをまるごと全部それでよかったのだと思えました。
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河合先生はすごいけど、次元が違いすぎて日々の臨床には役に立たねえよ!と思いながら読む。
でもやっぱり、読むと得るものがある。そこがすごい。
カウンセリングの技術としてはシンプルな伝え返しでも、河合先生の内部で起こっているのは共感的理解だけではない。
澄み切った湖面のように、ただクライエントの感情を伝え返せばよい、という受け身の態度ではなく、言葉には出さなくてもアグレッシブだ。
クライエントの話を聴いてたら、勝手に(自律的に)よくなっていく、という雰囲気で語られがちだし、河合先生もそう言っている。
けど、あくまで表面上そう見えるだけで、水面下(意識下)では、カウンセラーの無意識が積極的に働きかけているように思われる。
active listeningとはこういうことなのだ。だからカウンセリングは、カウンセラーがとんでもなく疲れるのだ。