紙の本
谷川俊太郎氏の清冽な言葉が心に刺さる
2016/02/01 12:19
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投稿者:Otto - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題である「しんでくれた」という言葉が端的に表現するように、
他者の死を贖って生きる、命の業を、「感謝」という美辞だけで
はなく、「死」を直視することで、改めて心に響かせた作品です。
紙の本
生命の連鎖
2022/08/19 23:49
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
私たちは、ほかの生きものを殺して、それを食べて生き延びている。
切実なことだが、明るい絵と共に、命をいただく、ということについて考えさせる。
谷川俊太郎さんの言葉。小学生への読み聞かせにも良い。
紙の本
大人にも
2017/01/18 08:09
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投稿者:こりえ - この投稿者のレビュー一覧を見る
谷川俊太郎さんの絵本を探していて、タイトルにひかれて(というかびっくりして)興味を持った本です。子どもだけでなく、大人の心にも響く絵本ではないでしょうか。
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動物の命を食べて人は生きている。
谷川俊太郎の、そういう詩に絵をつけたもの。
リアルとデフォルメのバランスが面白い絵。
でもこれ子供のころに読んだら怖かったと思う。
このテーマを「こわいこと」にすべきではない。
最後に詩だけ置いてあった。
詩だけで読むほうが好きだ。
しんでくれるのは動物だけで、植物がカウントされていないのが残念。
だれもたべないから ってとこで、普通に死んだらたしかにそうだよなって思った。
少なくとも私の周りの弔いかたでは、微生物の繁殖さえあやしい。
ニンゲンは犬に食われるほどの自由もない。
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人は生きていくために多くの命からエネルギーを頂いています。違う言い方をすれば沢山の犠牲があって生きています。そのことを知るきっかけの一冊だと思います。
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びっくりしたタイトル
文字通り
死んでくれてありがとう
ぼくは生きる
って詩
その通りなんだけど直球すぎてびびった・・
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わが子はすんなり受け入れていた様子だけれど、
食卓で目玉焼きを食べる際に「これはひよこが死んでくれたの?」と質問をしてきたのには、ぎょっとさせられた。
いえ、それは事実であり、
ぎょっとしてしまうこちらに問題があるのかもしれない。
かなりストレートなタイトルだけれど、
そこが好ましい。
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最近、この手の内容のお話が多いですが、小さい子に向けてなのか…いきなりハンバーグになるのも。
もう少し大きくなって、内容のわかるようになったら内田美智子さんの「いのちをいただく」の方が私はいいなと思います。
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図書館で 背表紙を見て ビックリ!! 表紙は ハンバーグセット。
色々な 命で 私たちは 生きています。残さずに 「いただきま~す」
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衝撃的なタイトルに、まずドキッとするこの絵本は、作者、谷川俊太郎さんがイベントなどでよく朗読しているという詩を絵本化した作品。
ストレートの豪速球で、私たちの心のど真ん中にドスン、ドスンと投げ込んで来るような率直な言葉で語られるのは、私たちは他の生きもののおかげで生きているという事実。食べ物への感謝の気持ちを込めて「いただきます!」とおいしくいだきたいと思いました。
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烏兎の庭 第五部 書評 6.7.15
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto05/diary/d1506.html#0607
動物は人間に食べられるために死んでくれた
それは違う。人間は自分が生き延びるために、ほかの動物を殺している。その証拠に、動物を殺さないように動物を食べないと決めている人もいる。
現代では、動物を「殺している」場面を見る機会がほとんどないから、野菜が畑で育てられるように、肉は肉屋で、「人間のために」作られたと勘違いしてしまう。そこから「死んでくれた」という発想が生まれる。
「死んでくれた」と「殺した」とでは、意味がまったく違う。
「殺した」の代わりに「しんでくれた」という論理を認めてしまうと、「アーリア人の血統と文化を純化するためにユダヤ人は死んでくれた」という暴論までまかり通ることになりかねない。
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谷川俊太郎さんの詩を絵本にした作品。小さい子供でも読める内容になっているので、大人が詳しく説明しながら読んであげるといいと思います。
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しんでくれた命に感謝するいい絵本だとは思うけど、命を大切に思う理由が私の考えとは合わない。「ぼくはしんでやれない だれもぼくをたべないから」の一節に納得がいかない。詩だったらこれでいいと思う。でも絵本だからこそ、言いたい。ぼくもしんだらたべられて役に立つんだよ。しんでやれない理由はそこにはないよ。牛もこどもがしんだら(いなくなったら)悲しむよ。
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タイトルと谷川俊太郎の詩が気になっていた。
図書館で目にしたので、その場でよんだ。
うし、ぶた、ぼくのためにしんでくれたいきものたちは、ぼくになった。
ぼくは、いきていく。
食育・自殺防止。
詩はさすが。
絵は、どうなんだろう。
でも、この詩に合う絵のトーンを思い浮かべることができない。
いのちのつながりは、血の縦のつながりだけじゃないんだね。
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残酷なまでに傲慢で、あまりにも人間至上主義的な詩だった。
何かが歪んだままページが途切れる後味の悪さ。
嫌いじゃない。
「ぼく」は、命の糧となった「うし」や「ぶた」に子どもらしく純粋に感謝の心を伝えている。
「うし しんでくれた ぼくのために」
どれほどの高みから見下せばこんな邪悪な感謝の言葉が出るのだろう。
もちろん、「ぼく」には多少の哀れみの気持ちがあっただろう。それらに嘘があったとは言わない。
しかし、しんでくれたものにとって感謝や哀れみなど何の意味も成さないものだ。
こんな無垢ないきものも結局はにんげんの子どもで、
弱肉強食の頂点で命をむさぼってきた一匹にすぎないのだと、
ある種の絶望を覚えてしまった。
すてきだ。
「それにもししんだらおかあさんがなく おとうさんがなく」
自分が死んだらみんなが悲しんでくれると信じて疑っていないのも面白い。
その愚直さ。あまりに可哀相で、いっそ愛おしくすら思う。
親から愛されなくなったとき、誰からも悲しまれない存在になってしまったとき、
この子は「しんでくれる」のだろうか?
そんなことはできない。
人間だけが、何のためにもしんでやれないのだ。
たとえ、誰からも惜しまれない身体になったとしても、
「だれもぼくをたべないから」
そんなところが、とてもすてきだ。