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落書きは史料になりうるのか?という問いから始まり…。
いろいろ勉強になったんですが、
・落書きには型があるようだ
(現代でいう相合傘のマーク)
・和歌をお堂の壁に書きつけるのは結構一般的
(楠木正行が書きのこしたのって何で?って思っていたけど、武士には一般的だったらしいと分かり、納得した)
・紙に残されていない和歌も一般で伝えられていたものがあったらしい
などなど、新しいことを吸収できた。
文体も読みやすく、すらすらと読めた。
文献を参照、政治史や制度史という王道とは全く違う分野だけれど、落書きは文献と同等の「史料」であることは間違いなく、それを扱う研究者の姿勢が問われているというあとがきにはなるほどと納得させられた。
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古くからの落書きは、特に16世紀後半から17世紀初めに33か所などの寺院巡礼をしていた人の大量の落書きがあるらしい!この落書きを通して当時の世相を知るということは知的好奇心を感じる。「かたみかたみ」「あらあらこいしや」の意味するものは・・・。そして詠み人知らずの歌が落書きを通して広まっていったようだ。それは単なる落書きではなく、時(年月日)、出身地、氏名を残す祈りの言葉でもあり、それが「かたみの歌」※を広めた理由でもある。一方「あらあらこいしや」は今でいう相合傘!人の本性は時代を経ても変わらない!また違醍醐寺の天井板に951年10月の竣工の直前の画工たちの落書きが多いというのも同じ目的なのだろう。
※「書きおくも かたみとなれや 筆のあと 我はいつくの つゆとなるとも」
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☆16世紀後半から17世紀前半にかけて、巡礼という非日常でラキガ期を書いた。本貫地と名前を書いてあるのが多い。
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【落書きに勝っている気がしない】
「落書き」というのは、一般に悪いこととされている。たまに見かける落書きは、確かに品のいいものではない。しかしこれも今に始まったことではなく、昔からあるのだ、という話…ではない。
落書きに歴史をよむときの定形表現「かたみかたみ」。かたみは、残す、という意味の形見、でもあろう。この言葉は、巡礼者によって各地にもたらされ、仏堂に落書きされる。それも、何処の誰だと署名入りで。この部分で今の落書きとは決定的に異なるものがある。落書きは御札を納めることと同等の行為だったのだ。誰もが字を書けたわけでもない時代、いろはにほへと、と書いた落書きも今、その歴史的価値をはかられようとしている。それだけ、当時の人たちには「書く」ということが一大事だったのだ。日々ストレージの片隅を汚している私達は果たしてこれでよいのだろうか。
巡礼をして「かたみかたみ」を残してくる、そんな密度のものつくったことが無い気がして、焦る。