紙の本
一見荒唐無稽な設定がうまく生かされている
2015/08/24 20:39
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:紗螺 - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんとも不思議な話。屋根の修理に来た男の人と、施工主の奥さんが夢の中で逢瀬を繰り広げる。語り手である奥さんは屋根にも建築にも関わりがないのになぜか屋根の上にのぼりたいという強い希求を持った人で、その気持ちが夢への扉を開けたともいえる。もともと一心にその景色を思い描くことでその場所に行けるという設定自体非現実的だし、ましてやふたりが夢の中で落ち合うなんて荒唐無稽に近い話なのに、建築の細かい知識を間に差し挟まれつつ描かれるうちに、何だかそれがあり得ることのように思えてくる。そう思わせる書き方がうまい。夢の中で旅をするというふわふわした設定のわりに、語り手は妙にさばけた性格で、それがうまく調和しているのも特徴的。結末も納得のいくものであり、かつ余韻があった。
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ここまで面白いとは思わなかったので、すごく得した気分!
嫁さんのことを世界で一番分かってないのが旦那だということがよく分かった・・・
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上手いタイトルをつけたものだ。上から読んでも下から読んでも、右から書いても左から書いても同じ漢字を使った最短の回文「屋根屋」である。もっとも、作者が名うてのストーリー・テラーとして知られる村田喜代子。この人の書くものならタイトルが何であっても手にとるだろう。空を飛ぶ恋人たちやロバの絵で知られるシャガールの絵を表紙に使って、シャレた本が出来上がった。
「私」は、北九州市に住む専業主婦。夫はサラリーマンで、休日はゴルフ三昧。息子は受験勉強とテニスの部活に忙しい。新しく東京に建てる電波塔の名が「東京スカイツリー」と決まった梅雨に入ったばかりの頃、築十八年の木造二階建てのわが家に雨漏りが始まった。素人の夫では手に負えず、専門業者がやってきた。
「永瀬工務店」は、屋根専門の工務店。永瀬は以前寺社の屋根修復に関わっていたが、長期に及ぶ仕事中に妻が入院、勝手に休むこともできぬまま妻は息を引きとり、死に目に会えなかった。それ以降、大屋根の端から飛び降りたくなる強迫神経症を病み、医者にその日見た夢を記録する日記をつけることを言い渡され、そのお陰で快癒。夢日記はその後も続けること十年、今に及ぶという。
夫と一人息子が出かけた後、週日の日中を独り過ごす「私」は、毎日やってくる屋根屋との休憩時の茶飲み話を楽しみにするようになる。屋根屋は長年の修練で夢を自在に見ることができるという。そんなある日、夢でフランスのとある町の屋根の上にいたことを話したついでに「私」は、屋根の夢が見たいと口にする。永瀬は「私がそのうち素晴らしか所へ案内ばしましょう」と言うのだった。
ここまでなら社交辞令ですむ。ところが、次に会った時永瀬は、自分が見たい夢を見るには、見たい夢の体験を作ることだと言い、手帖を破るとその一枚に福岡市にある寺の所番地を書いて手渡した。近くの高いビルの上から屋根を見るのだと。実際に足を運んだ時点で、女は男の術中に陥ったと言えるかもしれない。次は、夢を思い出しやすいレム睡眠中に覚醒するため、いつもより一時間早く目覚まし時計をセットして眠るように、と永瀬は電話で指示を出した。後は、夢の中で会いましょう、と。
家族にかまってもらえないことで不満を燻らせていた専業主婦が、無意識の裡に募らせていた自分のことを見てほしい、という願望が識閾を超えて噴出したと見るべきだろう。たとえ、夢の中とはいえ、夫以外の男と逢瀬を楽しむことに、女は何の葛藤も感じていない。ところが、夢の中、ネグリジェ姿で寺の大屋根の上で男を待つ女の上に現われたのは、咆哮する金茶の大虎だった。消え去った後で屋根屋が言うには、心の隅で思っていたご主人が出て来たのだろう、と。罪の意識はあったのだ。
一度味をしめるともう止まらない。次は奈良にある瑞花院吉楽寺。瓦に落書きがあることで知られる古刹である。ここでは、オレンジ色の火の玉に脅かされる。どうやら屋根屋の死んだ妻らしい。どちらも疚しさを感じつつの道行きなのだ。極め付きは連続夢を使ったフランス旅行だ。シャルトルやアミアンの大聖堂の屋根を見てみたいと言う屋根屋の夢につきあって、毎晩夢での逢瀬を楽しむ「私」。二羽の黒鳥になって大空を飛ぶうちに屋根屋は、いっそこのままここで暮らさないかと女を誘う。男性読者としては、お気楽な夫に注意してやりたくなるが、同様の不満をかこつ女性読者なら、このまま突っ走れと応援するところかもしれない。
なにしろ夢の話だからフランスにだって行ける。豪華なホテルに宿泊し、料理だって味わえる。それどころか、鳥になったり、透明になったりして成層圏近くまで上昇し、ヒマラヤ山系の上を飛んで日本に帰ってくるという豪華な旅が家にいながら楽しめるのだから、考えようによっては最高である。しかし、部屋こそ別とはいえ、連日夫以外の男と海外旅行を楽しんでいるのだ。夢であることを自覚しながら見る夢を「明晰夢」という。この明晰夢の危険性の一つとして現実との区別が付かなくなることがあると言われている。「夢うつつ」の毎日が過ぎるうちに「私」が陥る危険とは…。
かつては、時々見た「空を飛ぶ夢」をほとんど見なくなった。フロイトの性的欲望説をとるなら、まあ当然と言っていいし、ユングの現実逃避や希望の拡大説をとっても、今更これといった希望もなければ、受け容れられないほど苛酷な現実もない。しかし、主人公のような立場にある人物なら、どうだろう。地方都市の住宅地にいて、夫も息子も自分のことに忙しい。自分のアイデンティティをすべてかけるほどの趣味もない。自分の知らない世界に住む強烈な個性を持った異性が現われれば、まして現実ではない夢の中の逢瀬なら、心が動くのは当然だろう。
「夢オチ」というのは、極めて安易な解決の手法であって、村田喜代子ほどの作家がそんな結末を採用するはずはないが、どうするつもりか、と楽しみにしながら最後まで読んだ。なるほど、こうきましたか、という結末に上質の怪談を読む喜びを感じた。すべてが終わった後に背中に残るざわつく感じ。読書の愉しみをたっぷり堪能させてくれる一冊。
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作品が読者を巻き込み、グイグイと中へ連れて行く。屋根屋の永瀬と屋根の修理をしてもらう家人の奥さんが中心の話。夢というのは起床時にはほぼ忘れている事もあり、深くは考えてないがこの作品を読むと夢ってコントロール出来るのかとちょっと興味を持った。しかし、夢日記に関してはいろいろと怖い話を聞くので実践はしたくない。すごく不思議な作品だがなぜか、それが心地いい。
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店頭で村田喜代子だぁってすぐに手に取り、立ち読みし始めたが即購入。夢と現実の境界がどんどんあいまいになっていくのが、ファンタジー的ではある。主人公の女性の家庭生活の中での思いにはとても共感できるリアルさがあるので、おはなしのなかにひきこまれる。
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楽に読めるお話し。
いろいろツッコミたいところはあるけれど、夢のシーンは面白い。
でも自分の夢を操ろうとは思わないなぁ。それじゃ夢が自分の想像の範囲内に収まってしまって、突拍子もない夢がなくなっちゃうよね。
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表紙のシャガールの絵がイメージぴったりの、不思議な物語だった。
雨漏り屋根の修理に来た職人の永瀬は夢を自在にコントロールできるという。
話を聞くうちに夢の世界と、そこで見る屋根の上に興味を持ち始める施主宅の「奥さん」。
夢に同行したがる「奥さん」と渋る永瀬。押し切られるように夢旅行を重ねてゆくうちに、二人の積極性が逆転し、だんだん雲行きが怪しくなりはじめる。
ファンタジー?
妄想?(なら、誰の?)
夢か現か?(どこからが?)
着地点が気になりページを繰ったが、中盤以降、冗長な気がした。
もっと短くしたほうが、二人の積極性が逆転する辺りからの不穏な空気感、夢に囚われてしまいそうな怖さ、なのに振り払いきれない未練、などが生きてくる気がする。
結末に向けての数十ページも少し描きすぎに感じた。
国宝級のお寺の屋根瓦に残る「落書き」についての話がおもしろかった。
瓦師の味わい深い日常、若い坊主の想い人への賛辞と名前、庶民の大工の手習いの歌、などユーモアやロマンたっぷりのそんな話を聞いたら、私が「奥さん」でも、きっと夢行きに同行したくなると思う。
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★2014年6月15日読了『屋根屋』村田喜代子著 評価A+
北九州市に住む主婦が、家の屋根の修理に呼んだ屋根大工とひょんなことから、夢を共有し、その中で、各地をともに飛び回り、人生を語り合い、彼女はまた日々の生活に戻ろうとする。しかし、屋根大工は結局姿を消してしまう。
もともと、寺社の五重塔や建造物が好きな私にとって、何とも楽しい作品。たとえば、物語に出てくる醍醐寺には、幼稚園の頃にあまりに長い距離を歩かされて、へばってしまった上醍醐の思い出がある。
また、法隆寺の塔は言わずと知れた世界最古の木造建築であり、その五重塔の中にある羅漢像は、物語に語られるとおり、人々の嘆きを象徴するような塑像である。
まだ訪れていないが、フランスのアミアン大聖堂、シャルトル大聖堂、ノートルダム寺院、ランス大聖堂と一度は訪れてみたい塔建築が次々と夢の中に現れてくるとは、何と素敵な物語でしょうか。
これらの設定に夢という舞台を追加して、人の情念、人生を巧みに絡めて、しかもファンタジックに、時にはおどろおどろしく、物語る村田喜代子という作家は恐るべし。いままで、こんな作家に気が付かなかったのは、恥ずかしい限りです。
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雨漏りのする屋根の修理にやってきた屋根屋。自在に夢を見られると語る彼の誘いに乗って、「私」は夢のなかの旅へ一緒に出かける。屋根職人と平凡な主婦の奇想天外な空の旅。
思い通りの夢を、しかも他人と共有できたら…といった夢に関する夢を小説で実現。作者の想像力には脱帽するが、作者の年齢を伺わせる表現が何カ所かあったのは残念。私が肝心の建築物に無知なので作品の本当の魅力を理解できたかどうか…。
(C)
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ある主婦が、雨漏りを修理に来た屋根屋の職人と雑談をするうちに、
夢の中で好きな所に連れて行ってやると言われ、
半信半疑ながらも教えられた通りに。
夢の中で待ち合わせ、彼女の希望通りの場所へ行く二人。
夢行きの旅はしだいに遠く、しまいにはフランスまでの長旅へ。
それは幾晩も連続した夢を見るという、難しい技術が必要だった。
リアルな夢に耽溺した主婦はどうなるのか....?
誰かの夢と自分の夢がドッキングするという発想が、とても面白い。
しかも相手はゆきずりの(?)屋根屋だ。
旅する場所は、大きな寺院や大聖堂の屋根ばかり。
地上から離れた、足場の安定しない屋根の上という状況が、
吊り橋を渡る時のような緊張感を生み出すのか、
他人同然だった二人の距離がどんどん縮まっていく危うさに、
なんだかドキドキした。
セクシュアルな関係ではないけれど、精神のエロティシズムを感じた。
夢と現実が入り交じったような、不思議であいまいなラストがこのストーリーにはぴったりだ。
表紙のシャガールの絵にインスピレーションを得て書いたのでは?
と思わせる、斬新な着想の大人のファンタジー。
いろんな場所へ連れ回され、なかなか楽しい疑似体験の読書だった。
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屋根の修理に来た永瀬という大男、すなわち『屋根屋』。彼の話から夢にただならぬ興味を持ち始める主人公の主婦。
「奥さんが上手に夢を見ることが出来るごとなったら、私がそのうち素晴らしか所へ案内ばしましょう」
その言葉通り、屋根に魅せられた二人が夢の中で様々な所を訪れる。
夢の世界なのに、夢とは思えぬほど丁寧でこと細やかな描写。
読んでいる自分自自身も夢の小旅行を体感しているかのよう。
結末には衝撃と物悲しさが残った。
一体どうなってしまったのだろう、と。
でもこれでよかったのかもしれない。
夢の続きがもう少し見たかったな、そんな気分になった。
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どこからこの夢と言うか妄想が始まっているのかが分からない。でもいろんな屋根あるいは塔を眺める旅(夢)は素敵だった。屋根屋さんはさてどうなったのか?
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雨漏り修理する屋根屋。元は瓦職人。家を空けがち。妻が死んでいあまった。屋根から飛び降りそうになり、屋根の修理屋、屋根屋を開業。治療には夢を記録することだった。
主婦が夢に興味えお持つ。自分の夢に屋根屋が登場。
フランス旅行も夢で一緒。夢で黒鳥になり、移動した時。このまま、ここに一生、一緒にいませんか?
京都に旅行する。部屋が別々だが、夢では一緒。抱きしめられる。目覚めると自宅の布団。家族に聞いたが、京都旅行なんて行っていない。屋根屋を尋ねるが誰もいない。失踪してしまった。
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自由に夢を見ることができるという屋根修理屋に、施主の妻が夢見を習って夢で会う。
自由に夢で会えるってずるいな。
夢の中ではなんでもありだし、そりゃ現実よりも楽しいでしょう。
と、ちょっと嫉妬まじりで読んだ。
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日本のお寺の屋根は、西方のほうに飛んで行けるように広がっているが、教会の屋根は高く高くそびえている。天は上にある。屋根の話はおもしろかった。大聖堂も1万人が入れて、そこで生活が行われていたなどという話はおもしろかった。
夢で出会えて、行ったことのないところへ飛んで行ける。なんだか、屋根の話がつまらなくなってしまった。