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文学周遊丸谷才一「だらだら坂」 東京・渋谷
それは何となく、とつても上手につかれた嘘みたいな感じでした。
2018/1/27付日本経済新聞 夕刊
たまに道玄坂を歩くと、この不可思議な短編小説を思い出す。人を2人殺したかもしれない浪人生の青年が返り血を浴びた学生服で、だらだら坂を下りるのだが、行き交う人々は誰ひとり振り向きもしないのだ。
返り血を浴びた青年が向かった渋谷駅前。互いに無関心な雑踏を人々が足早に過ぎていく=伊藤航撮影
返り血を浴びた青年が向かった渋谷駅前。互いに無関心な雑踏を人々が足早に過ぎていく=伊藤航撮影
1950年6月の昼下がりだった。彼は大学を滑って田舎から上京、従兄(いとこ)のアパートに転がり込んでアルバイトの日々。郷里の母が下宿に移る金を工面してくれ、道玄坂の上の焼け跡に並ぶ貸間仲介の店で張り紙を眺めていると、3人組の男に絡まれて空襲で焼けた屋敷の庭に連れ込まれる。
金を出せと言われた途端、「母が苦労した金だ」と思うと闘志がわき、1人の顎を力任せに殴った。男は吹っ飛んでコンクリートに頭を激突してピクリとも動かなくなった。
屈強な男がドスを抜いて殺到してきた。刃物を避けながら激しくもみ合ううちに男が誤って自分の腹にドスを突き立てて倒れ、苦悶(くもん)し始めた。黒い血がみるみる地面を染める。もう1人は逃げ去った。
彼は渋谷駅に向かった。坂を下るにつれて増える人混みの中、霜降りの学生服を血に染めて歩く彼に誰も一顧だにしない。苦い陶酔と苛立(いらだ)ちが襲った。どぎつい形で大人の社会に参加したと思った。
渋谷駅前のスクランブル交差点は来日外国人には都内屈指の観光スポットらしい。信号が青になると、大勢の人たちが、あらゆる方向から一斉に横断歩道を渡り始めるのが面白いという。でも私のような中年のオヤジには人とぶつかりそうで怖い。
道玄坂の路地を歩いた。にぎやかで明るい若者向けのショップばかりが目立ち、まるで異界だ。上まで行っても決闘ができるような空き地なんかない。
宇田川交番の近くに健在の古い酒場に行こうとして迷子になった。道行く人に尋ねた。2組とも中国人だった。ドコモショップで聞いてたどり着いた。
主人公の青年は死守した金は新宿の遊郭を4軒はしごして使い切る。群衆の中で感じた孤独をそれで癒やしたのだろう。翌春、彼は志望の大学に合格した。年を経て、どこかの企業の温厚な部長になった彼は、殺したかもしれない2人のことを一度も夢に見ない。
(編集委員 中沢義則)
まるや・さいいち(1925~2012) 山形県鶴岡市生まれ。旧制鶴岡中学を出て旧制新潟高校文科乙類に入学。山形歩兵連隊入営を経て47年、東京大学英文科に入学。卒業後は英文学者としてジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」の翻訳などを手がけ、文筆活動にも取り組む。60年に初の長編小説「エホバの顔を避けて」を刊行。
68年「年の残り」で芥川賞受賞。話題作を次々に世に問う。その一方で文芸、文学史を軸に多彩な評論や軽妙なエッセーを発表。代表作は「笹まくら」「たった一人の反乱」「裏声で歌へ君が代」「��ざかり」「後鳥羽院」「忠臣蔵とは何か」など。「だらだら坂」は73年に発表した。
(作品の引用は講談社文芸文庫「横しぐれ」より)