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目次
・真冬の海に舞う品川の食売女(めしうりおんな)
・象牙の撥(ばち)と鬼の連れ
・みわと渡し守
・磔(はりつけ)になる孕(はら)んだ女
・取り逃がした大きな獲物
・中秋の名月、不忍池池畔の謎
・孰(たれ)か微生高(びせいこう)を直(ちょく)なりと謂(い)うや
・ちよの負けん気、実の父親
なんかひねりのない長いタイトルが増えましたが、手抜きではないでしょうね。
話も過去の判例や法の解釈よりも、紋蔵の周囲の家族の話が多かった。
それはそれで面白いんだけど、窓際族の報われない紋蔵がびしっと難事件を解決する話も読みたいものです。
「孰か微生高を直なりと謂うや」とは
”微生高という男は善意に満ちた正直者と評判をとっていた。その微生高のところに、ある人が酢を借りにいった。あいにく家には酢がなかった。微生高は隣の家から貰ってきて貸した。そんな、微生高がいかに善意に満ちた正直者かを物語っているかのような逸話があるのだが、孔子さんはそうは思わないという。できないものは素直にできないと断ればいい。無理をしておこなうのはおかしい。おこなおうとすると無理や破綻が生じる。だから孔子さんは、微生高は本当の善意に満ちた正直者だとは思わないのだといわれる。”
ということだそうです。
できないことはできない。
これが言えずに無理を重ねている人、今の世の中にもたくさんいますね。
ところで、ちよの負けん気。
確かに負けず嫌いでおきゃんなちよは可愛げがあったけど、今巻の千代はちょっといただけない。
他人の美点や努力を認めることなく、自分が一番でなければ気がすまない。
こんな調子ではきっと幸せになることはできない。
今回のちよの反省は、彼女の転回点になるのだろうか。