紙の本
読みやすく面白い
2021/06/18 20:57
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投稿者:calimero - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルに惹かれて購入。
高階先生の本は何冊か読みましたが、オールカラーで図版も豊富で分かりやすく読みやすかったです。
ただ、最後の晩餐の内容がもう少しボリュームがあってもよかったかなあと思いました。
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絵画を読み解くのはなんとエキサイティングな営為なのか。聖書の物語と描かれた時代の背景。素材と表現の両方を知らなければ、正しい鑑賞も成り立たない。表現者と社会の関係を位置付ける作業とも言える。自分の社会の基層に何があるのかを知ることが重要だとも思った。
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近代になって風景画や静物画が独立したジャンルとして成立する以前は、西欧では絵画は基本的には何らかの物語りと結びついて、その中身を人々に語り伝えるためのツール。つまり絵画とは「読む」ものだった。
その中心となるのが、「ギリシャ・ローマ神話」であり「聖書」の世界である。
本書では、後者の「聖書」を中心とした絵画の話で、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井に描かれた「天地創造」から始まり、最後の第7章はタイトルにもなっているレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」へと続く。
特に第7章は面白く「最後の晩餐」のテーマが過去にどのように描かれてきたかということから説き起こし、レオナルドの「最後の晩餐」への話へ展開してゆく。
この作品はその誕生から極めて不幸な歴史を歩んできた。遅筆で描き直しを好んだレオナルドは(堅牢で保存性の高いフレスト画を嫌い)テンペラ画で描いたため、レオナルドの生前から既に剥落が始まり、その後2度の洪水に水没し、第2次世界大戦では連合軍の爆撃で、建物が半壊し3年も雨ざらしになり、16世紀~19世紀にかけての修復作業が結果として、かえって絵を損傷させた。このような度重なる不幸にもかかわらず、今でもこの絵を観ることができるのは奇跡であるという。本当に奇跡としか言いようがなと思う。
そしてこの絵が何故名画なのかの解説が始まる。これ以上書くと、まだこの本を読んでいない人は、楽しみが減ってしまうので、以下省略します。
ただこの絵にしろ初めに書いたミケランジェロの絵のにしろ、壁や天井に描かれているので、日本では観る事が出来ないのが残念です。
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豊富な図とともにその絵画にまつわる物語を分かりやすく解説してくれている。サロメの物語と絵の変遷や水浴のスザンナの表現の変遷が面白かった。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は結構ボロボロになってしまったんだなと思った。裏切り者の描き方、犬と猫、イエスのこめかみに打たれた穴、絵の外部との一体化、イエスの口の描き方で物語のどの場面を指しているのかの特定などが述べられている。絵画の鑑賞は聖書の物語を字を読むことなしに伝えるものだと分かった。
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淡路島を通るとき、時々大塚国際美術館に寄ってみます。精巧に作られた陶板画を見ていると、図鑑では得られない力を感じます。いつも最初に行くシスティーナ礼拝堂の迫力と美しさには圧倒されます。
高階先生のこの本は、絵に表わされた物語を読み解く手ほどきをしてくれました。背景の時代的な変化や描法の進化。画家の創意工夫など。天井画の図解付きの解説は、新しい発見でした。創世記からは、ミケランジェロの有名な「アダムの創造」「エヴァの創造」中でも「光と闇の創造」「天と水の創造」は拡大した図解があり、眼からウロコでした。
「光と闇の創造」ではまだ太陽はなく、光は神自らがつくりだしています。周囲の四人の裸体の人物は、神の手が光と闇を分けている隅にいるのが「朝」、白い光の隅にいるのが「昼」、下半身側の闇の隅にいるのが「夕」、顔を背けて逆光になっているのが「夜」をそれぞれ表す「擬人像」です。「擬人像」とは、観念や事物、自然現象、場所などを人物の姿で表したもので、西洋絵画ではよく用いられる手法です。
こんな風に代表する絵画について説明があります。
「受胎告知」で必ず百合と鳩が象徴的に描かれていること。様々な画家が題材にしている「原罪・アダムとエヴァの楽園追放」オスカー・ワイルドが創造した「サロメ」は、題材にしたそれ以前の画家たちの創造による変容も興味深かったのですがサロメもヨカナーンの首も画家によって違った印象で書かれているのが解説付きで見比べてよくわかりました。
聖書に「書かれていないこと」の描き方です。
ところで、旧約であれ新訳であれ、聖書中に書かれていないことがらをどのように描くかという問題です。
例えば「知恵の実」はリンゴの事であると思われがちですが、聖書にはそれがどのような実であったのかは実際には書かれていません。むしろヨーロッパのさまざまな伝説や神話において古くから、リンゴが知恵や豊穣の象徴とされていたからこそ、「知恵の実」として描かれるようになったのです。
このように指摘されたところは部分的に拡大されてよくわかります。
ダヴィンチの「最後の晩餐」は修復前の物と修復後の二枚があります。修復中にキリストの口が少し開いていることで「ユダの裏切りを告げた後」だということが判りました。弟子たちの驚きが横並びの構図でよくわかります。
それまで「ユダ」を離して描いていたのが横に弟子たちと同じ位置に並べています。構図的にイエスに向かう視線が収斂していき、静的な構図と動的な描写から、衝撃を受けた弟子たちの動揺が伝わり、明日磔刑に処されることを知っていながら静かに食事をするイエスの姿を描き出しています。
「パッション」という映画をご覧になったでしょうか。メル・ギブソン監督で当時話題になりました。私も映画館で見たのですが、明日処刑されるというゲッセマネの夜に、犯罪者として処刑されることに血の汗を流しながら苦悶するイエスの姿に感動をしました。
そんなことを思いながら見ると、穏やかな晩餐の場面の静かさに打たれます。
イエスの衝撃を与える言葉の力が描かれているのだともいえるでしょう。しかし同時に、これらの動静は、イエスを中心とする古典的な均整の取れた構図の中で秩序立てられ、いわば止揚されています、つまり、この場を支配しているのはあくまでもイエスであり、この絵が新約聖書の単なる図解でなく、この物語の中心であるイエスの内面を描いていることもまた明らかになるのです。
絵を読み解く手がかりになりました。知っているつもりの名画の持つ物語りや時代、当時の画法など
同じ高階秀爾先生監修の「西洋美術史」も参考にしましたが、ルネッサンス期の名画に的を絞ったこの書籍は、的確な画像選びと、わかりやすくその上名文の解説がとても役にたちました。
ゆっくりじっくり見てきていない、近代、現代もまた改めて読んでみたいと思います。
美術展でもなければ現物を目にすることができませんし、世界各地の大聖堂など見る機会はないだろうと残念に思います。
先月久しぶりに訪ねてみて、この時代の絵は、見ることも大切ですが、宗教画を読み解く知識があればあるほど興味深いことがよく判りました。
首が痛くなるほど上を見上げて、あれはどういうシーンだろうと思いながらも、聖書については分からないことが多く、今まで見過ごしていたことなど胸のつかえが少し下りた気がしています。
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高階秀爾は難しいと思い込んでいたけど、本によるのかな。これはカルチャーセンターの講座をまとめたもののせいか、とても読みやすかった。
絵が全てカラーだし、文庫や新書サイズにしてしまうと細かい部分がみえなくなるものだが、大事なところは拡大して載せてある。さらに良いのが、キーワードや絵に全て(P○○)と入っているところで、絵に(図1)とかしてあると、あとからたどるのが大変だし、キーワードもどこに説明があったっけ?と探すのは面倒だが、それもクリア。ここまでは高階さんではなく出版社、編集者のおかげ。
しかし、本文も流れが分かりやすくスッキリとまとまっており、楽しい講義を聴いているようで、知的好奇心を刺激された。
特に聖書では名前すら書かれていないサロメが、時代を経るにつれ無邪気な少女から妖艶なファム・ファタルに変容していく様子や、バテシバやスザンナなど水浴姿が描かれる女性の描かれ方の変わりよう(バテシバはダビデなしの手紙を持つのみとなり、スザンナも長老なしになる)は面白い。マネのスザンナはこちらを見ており、ハッとさせられる。
「マネにおいて絵画はルネサンス的な「仕草の言語」によって物語を表すものではないのです。それは、心理や感情、理念など絵画の外にある意味や価値を表現するものではなく、絵画そのものの価値を観る者に問いかけているのです。そしてそのような絵画こそが、「近代絵画」なのです。」(P64)
『ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?』も読まなくちゃ。