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雑誌「母の友」に連載のエッセイ。国立市の公民館でジェンダーに取り組んでいた著者。
色々な人を見てきたのだろうけれど、これだけまとめて読むと、正直ちょっと疲れた。
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著者が、福音館の月刊誌『母の友』(なかなか時代がかったタイトルだ)で1985年から1995年まで連載した小文「女のせりふ」をまとめたもの。なんだかとにかく「懐かしい」感じが強くした。言葉遣いにも、書かれている考え方にも。
その「懐かしさ」は、むかし、こんなことが書かれた本をいろいろ読んだなーとか、こういう話をしたことがあるなーとか、そういう記憶を、あらためて見直した感じ。いまも、それなりに共感はするけれど、これは母の世代の言葉やなーとも思う(奥付で、著者が死んだ母と同年生まれと知る)。
とくに「主婦」について語られている言葉には、「懐かしさ」ひとしお。こういう「主婦」モノは、今も出てるのだろうか?図書館に古い本があるだけだろうか?と思った。
かずかずの「女のせりふ」が書きとめられている中で、丸岡秀子の「生命は人と人との間にある」の言葉が、いいなと思った。物理学者の解説からヒントを得て、「生命とは、究極には固体に属するのではなくて、個と個の目に見えない中間に運動現象としてあるともいえる」(p.171※)と丸岡は考えたという。
この本が、未来社から1995年に出たときの「あとがき」が巻末に再録されている。その末尾の部分は、これが書かれて20年近く経ついま、すっかり普及してしまっているように思えて、ちょっとこわい気がする。
▼最近よくきく言葉のなかで、用心したい、耳に快い言葉といえば、たとえば、「価値の多様化」とか「多様な選択肢」という言葉。ちょっときいただけでは、個が尊重されていると思いがちだ。しかし、実際は、外してはならない原則までもが「どれをとってもよいこと」の一つに位置づけられたり、出せる金額次第の「自由な選択」であったりする。人権尊重と人権軽視が対置されるのでなく並列され、「いろいろあっていい」「人それぞれでいい」ものにされていたりもする。
本質を読み分けにくい修辞がはびこっている今日、そして、異質化がこんなにも進行してきている今日だから、なおのこと、女たちが確かな自分の言葉・言葉の力を養う必要を痛感する。(pp.273-274)
書かれた時代もあるのだろう、女の対になるのは男、という素朴な前提を感じた。そこには懐かしさというより少しばかり「古くささ」を感じた。
公民館職員として働いてきた著者の本は、前にも読んだことがある。『新版 子どもからの自立』とか『育児力』とか。この本の続編『続 女のせりふ』とあわせて、また読んでみたい気がする。そっちにも「懐かしさ」を感じるかどうか。
(7/31了)
※ここの「固体」は「個体」ではないのか?と思ったが物理の話が絡んでいるので、やはり「固体」でいいのだろうか?
(広辞苑第六版)
固体:物質の状態の一つ。一定の形状と体積とを有するもの。結晶質と非晶質に大別。
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「男の人ってタダのことはしないでしょ」
が一番印象に残った
確かに家事、育児、老人の介護と看護など、人間の暮らしのなかで大切なことのほとんどは、女がタダでやってる!
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個性的な書店の店頭で発見。
女性学とか、公民館活動という言葉を初めて知った。
勇気付けられる言葉もあれば、現実を突きつけられたり、そんなものなのかと驚くことも。
すべてをすんなり納得はできないけど、同じ女性として心強い一冊になりうるかも?一度読んでみたら、気持ちが楽になる「せりふ」が見つかるかもしれません。
ただし、やはりこれだけ重い?言葉が一気に120も自分に入ってくるのは、かなり読むのに疲れます。
連載を1篇ずつ読むくらいがちょうどいいのでしょう。
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2015/9/8読了。
女のせりふ
と言うよりも
女の言い分
の方がピッタリくるタイトルかと。
確かにごもっともなご意見も多々あるけど、全てが同じ深さの話で留まっていてあまり奥行きを感じない…