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≪目次≫
第1章 うわさの影響力
第2章 うわさを考えるー「古典」を繙く
第3章 都市伝説の一世風靡ー1980~90年代
第4章 人と人をつなぐうわさ・おしゃべり
第5章 メディアとの関係ーネットとケータイの普及の なかで
第6章 ネット社会のうわさー2010年代の光景
≪内容≫
「古典」的な研究から現代のネット社会までを見通した「うわさ」の概説書。非常に教科書的でわかりやすい。
通常の「うわさ」に対する悪い印象(関東大震災時の朝鮮人暴動ネタなど)だけでなく、東日本大震災時のボランティアの話など、が斬新だったし、「うわさ」とコミュニケーションとの関係(対人関係の潤滑油的要素)なども気がつかなかった話だった。
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思っていたよりもライトな本だった。 個人的には、 『教養主義の没落』のようなヘビーさを勝手に想定していたので、 こんなもんか、 という気分だ。 しかし、 うわさとSNSとの関連が論じられている本はおそらく(存在したとしても)数少ないだろう。 一読する価値はあったと思う。
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トイレットペーパーの買い占めなんて、噂を超えて社会問題。最大の社会問題は関東大震災は朝鮮人の仕業というもの。
噂は既存の人間関係の中で広がっていく。
ハーバード図書館の噂
・今居眠りをすれば、あなたは夢を見る。今学習すれば、あなたの夢がかなう。
・あなたが無駄にした今日はどれだけの人が願っても叶わなかった未来である。
・勉強に励む苦しさは今だけであり、勉強しなかった苦しさは一生続く。
これって、ただの噂。
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フランスの社会学者ジャン-ノエル・カプフェレはうわさを「もっとも古いメディア」と呼んだ。ネットというツールの生まれた今、人々を惑わすうわさは、新たに何をもたらすのか。
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松田美佐『うわさとは何か』中公新書、読了。「根も葉もない」とも「火のないところに煙は立たぬ」と両義性をもって扱われるのがうわさ。対極の受容ながらどこか今ひとつわかりにくい。本書は古典的研究を踏まえた上で「ネットで変容する『最も古いメディア』」(副題)の特質を明らかにする。
石油ショック下でのトイレットペーパー騒動や口裂け女といった都市伝説、東日本大震災下におけるチェーンメールやSNSでの不確か情報拡散など、具体的事象を本書は精緻に検証する。事実性を超えた物語は以外にも人々のつながり(関係性)を取り結ぶことには驚く。
「もっとも古いメディアであるうわさは、太古の昔から現在も、そしてこれからも、情報を伝えるだけでなく、人と人との“つながり”=関係性を結ぶ。さまざまな新しいメディアによってうわさも人と人との“つながり”=関係性も変容する」。
うわさと聞けば、強烈な反発と「もしかして」という二者択一で議論されがちだが、冷静にその本質を腑分けする本書の議論は、その本質を把握したうえで、どのように「付き合っていけばよいのか」読み手に示唆する。現代を理解する上での非常に秀逸な一冊。
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情報とうわさの決定的な違いが分かった。情報は伝達することで授受することが目的だが、うわさは伝達そのものが目的。良くも悪くも伝達という行為で人はつながっていたい。だからそこにうわさというものが存在する。
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うわさの発生や影響力など。事例やデータが多め。2014初版
合理的な行動が引き起こす予期せぬ結果、興味深い。
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ツィッターをするようになってから、人気ランキング?をよく見るようになった。
みんなにシェアされていても、デマも沢山ある。、東大の卒業式での学部長が言った通り、一次情報に当たることや少し考えてみることは簡単なのだから、自分一人で留めるにしても広げるにしても、面倒くさがらずにやっていきたい。
まず真偽のわからぬまま、うわさとして広がり、偽なら事後にデマになるということが興味深かったが、全体として色々手を広げてしまっているように感じ、読みにくい本だった。
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本書を読んで興味深かった点をいくつか下に記す。
①「朝鮮人来襲説」
関東大震災後、日本にて流布したうわさ。最初は「朝鮮人が放火している」という話からはじまったそうだが、つぎには「井戸に毒を投げこんでいる」という内容に飛躍、さらに「朝鮮人が襲ってくる」というふうに変化した。このうわさに日本各地で自警団が組織され、最終的には「自衛」と称して朝鮮人やそれらしき人が虐殺されるに至った。とくに、朝鮮人が「井戸に毒を投げこんでいる」といううわさは、中世にユダヤ人が迫害され虐殺された際に蔓延したものとまったく同じ文句である。
②うわさの公式
ゴードン・W・オルポートとレオ・ポストマンの共著『デマの心理学』によれば、うわさの強さ(流布量)=当事者に対する問題の重要さ×そのうわさについての証拠のあいまいさ、という公式が成り立つという。著者は、この公式が掛け算となっていること、すなわちどちらがかけてもうわさは成長しないことに注目する。
うわさを科学してみるというべきか、たかがうわさなれど、冷静に分析するとじつにおもしろい社会現象である。いつの時代にもうわさはあり、歴史には明記されず仕舞いがほとんどだが、事件の背後にはかならずうわさがある。目にはみえないが大きな影響力をもつこの媒介物に視点をおくことで、いままで表面的にしかみえなかったものがより立体的に理解できるようになるかもしれないという期待感をもった。
③うわさはときとして真実を語る
清水幾太郎は『流言蛮語』にて、言論統制下のために顕在化が禁じられた世論が流言蛮語として流出するとする。対して、体制化にとって不都合な情報が「うわさ」とされることもあることを指摘する。こうなると、うわさはときとして真実の叫びにもなる。
④うわさは人と人との関係を結ぶ
著者は、共通の話題として、関わり合いの薄い人とでもうわさ話なら話がつづくという。気持ちの共有への欲求が、うわさ拡散の原動力となる。本書によれば、戦時下や災害時にうわさが流れやすいようだが、極対極となる際にうわさがはたす役割は大きいように思う。うわさは人をまとめる力があるが、そのうわさには仮想敵が存在する場合が多い。ユダヤ人しかり、朝鮮人しかり、だれかが自分たちの不幸を招いているというようなうわさがそれだ。うわさはよくもわるくも、社会の鏡となって人の心を映すようである。
⑤「連絡可能な知り合い」
若者を中心として、連絡先に登録されている件数が実際の友人数より圧倒的に多いことについて、著者は「連絡可能な知り合い」の増加ととらえ、「ケータイが電話以上に手軽で維持したい”つながり”=関係性を維持するために用いられていた」とする。著者の見解をあやまっているとは考えないが、はたして実際につながる連絡先はいくつあるだろうか。実際に連絡をしたことがある人はそのうちの何人なのだろうか。わたしも若者のひとりとして体感していることなのだが、連絡先の件数、SNSの友人数ほどあやしいものはない。ここで考察すべきなのは、なぜそうまでしてたくさんの連絡先を登録���、それを維持しようとするのかということではないか。著者は、うわさの肯定的な要素として、人と人とのつながりを生むことを説くが、そのつながりこそが若者をある種の強迫観念に晒す凶器になりうる場合もあるだろう。
以上、著者によって紹介された例や古典の名著などはどれも興味深く、より深く知りたいと思った。
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噂というと悪いイメージが強かったけど、本書は噂の良い側面と悪い側面の両方を取り上げていて面白かった。人の悪口や自己顕示欲を満たしたいがためのホラ話など、悪意のある噂が拡散する反面、役に立つ情報を他人にも教えてあげたいという善意からくる噂もあり、そうした噂が人々の関係性を新しく生んだり、既存の関係性をより強固なものにしたりと、プラスの働きをすることもあるというお話に納得。噂の本質を見極める判断力を持ちつつ、人間関係を円滑にするための良い噂を上手に利用して、これから過ごしていけたらいいと思う。
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うわさといっても、芸能ネタから風評、都市伝説等色々とある。そんな中、そもそもうわさとは何処から始まり、どうやって広まっていくのかを具体的な事例を挙げながら説明している。
現在は昔と違い、インターネットやメールといったものがあるため、風評被害含めてあっという間に広がり、あっという間に収束する特徴がある。また、なるほどと思ったのが、この広がりはパニックが原因ではなく、念のため知らせるや念のためやっておくといったどちらかといえば善意から発生している。しかし、その内容は各個人の考えが入ることで歪曲したものとなっている。
だから話がどんどんデカくなっていくのだろう。
こういったうわさの見極め方については、正直、冷静に耐性を持って対応するしかないとのこと。なぜなら、うわさは人間同士のつながりを持たせ、関係性を構築する重要な用件の一つだから。
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著者はケータイなどのコミュニケーションについて、学識に優れているひとらしく、インターネット以後のコミュニケーションについての解説が、わかりやすく深かったです。たとえば、メールの非同期性と記録性といった面から、メールの情報を伝えるメディアとしての性質、そして、メールでのコミュニケーションの性質をあかるみに出し、そういった面から、うわさの発生の仕方、伝達の仕方などを解いていく。インターネットの場合でも、その記録性や、増殖性、などを見ていって、うわさの伝達、発生、終息までを解いていきます。そういうところは一番おもしろかったです。ただ、本書の大半は、インターネット以前のうわさについてのものでもあり、そこらあたりに物足りなさを感じる人もいるかもしれない。しかし、うわさというのは、ただ情報を伝えるばかりではなく、ひととのコミュニケーションのネタとして役立つ面があったり、「おわりに」で書かれているように、<情報であると同時に、事実性を超えた「物語」である。>ということでもあるようです。
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口裂け女に代表されるような都市伝説も含めた「うわさ」という真偽の不確かな「インフォメーション」について説明を試みた一冊。
こう言ってはなんだが、「口裂け女が存在しないことを証明せよ」となったところで証明することは不可能である。
それを踏まえずに「普通に考えていないだろう」や「元々はXXで作られた話が拡散して」「新聞にうわさとして書かれているので」という「うわさの起源」を出典を引いて説明して「居ない」ことを証明してしまっている点で「うわさ」を「うわさ」から外せていない。
いわゆる「道具立てに失敗している」状態か。
とにかく全体的に道具が甘い。例えば「海外旅行中に起きた誘拐犯罪に関するうわさ」というのが紹介されているのだが、これを渡航者数の増加だけで説明してしまう。本来は被害に遭った数の増減、例えば「行方不明者数」が重要で、これがゼロであれば「根拠のないうわさ」で、一定数が存在すれば「事実を元にした作り話」としての「うわさ」として説明がしっくり出来そうなものだが、その「普通に考えて当たり前」の数字をすっ飛ばして「それはただのうわさです」と結論ありきで書かれているので読んでいて辛い。説明自体がただの「うわさ」に感じる。
「うわさ」というものがどういったもので、どのように拡散して行くのかという機械的な仕組みは一通り説明してあり、この点では読む価値はあるのかもしれないけど、こんなん中公から出す意味あるのか。
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うわさや風評被害はメディアの特性に大きく関係していた。
2014年出版なので、少し古い感はあるけど、うわさ・流言の特質はとてもよくわかる。
たくさんの参考文献を紹介しながら、わかりやすく書かれていた。
デマやうわさに惑わされないには、自分ごととして考えられる想像力。
新型コロナで混乱している今にぴったりの本だった。
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( ..)φメモメモ
流言は、社会にとって好ましくない結果を生む、大きな「社会的逆機能」を持つが、うわさにはそういった機能はなく、毒にも薬にもならないものが圧倒的に多い。
——ゴシップは、個人に関するうわさ話である。