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感情とは何か プラトンからアーレントまで(ちくま新書)

感情とは何か プラトンからアーレントまで みんなのレビュー

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みんなのレビュー8件

みんなの評価3.8

評価内訳

  • 星 5 (3件)
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8 件中 1 件~ 8 件を表示

2014/06/22 00:11

投稿元:ブクログ

感情は古代から現代まで多くの哲学者が取り上げてきたテーマ。しかし哲学者たちのあいだに、感情の問題とは何の問題であるのかという点に関するエクスプリシットな合意はない。
感情が心理の表現であり、心理が感情として与えられていることは多くての哲学者たちによって認められてきた点。
全ての感情は驚きの性格を共有している。

2014/09/16 15:36

投稿元:ブクログ

(状況メモ)
3日間ほど読んでいる。全3章だが2章でいったん休憩中。感情の哲学史をざっとたどれるのは良い。「情動主義」というコンセプトも便利だ。

だが情動主義を批判して、では感情をどう捉えるか、という見晴らしがとても悪い。

2016/02/13 20:15

投稿元:ブクログ

快という感情を紐解くための不快を理解していくと、人間の感情はドロドロしてる。
ドロドロを快に変えるのは容易でなさそうです。
私の今年のテーマはJoyなので、ある意味いい本に出会えたのかもしれません。

2014/09/06 06:28

投稿元:ブクログ

「感情」の本質を明らかにするために、感情を考察する視点、即ち、「感情の意味の正しい問われ方」に照明を当てることに多くの文字数が費やされている本である。

2015/10/30 02:18

投稿元:ブクログ

古代から現代に至る哲学史をひもときながら、感情をめぐる哲学的思索が何を問題としてきたのかということを解説しています。

感情をめぐる哲学は、理性と感情の対立という枠組みを採用してきましたが、著者はこうした枠組みから感情を問題にしても得るところは少ないと述べます。そして、ストア主義の思想家やアウグスティヌス、デカルト、マルブランシュといった哲学者たちの感情論を解説しつつ、その中で感情が「私とは何者なのか」を教えてくれるようなものとして理解されていたことが明らかにされます。そして、「私とは何者なのか」という問いの答えは自然に湧いてくるようなものではなく、日常的な感情を吟味し、これを単なるショックとしての「体験」から「経験」へと磨き上げていくことが必要であり、芸術作品はそのプロセスを促進する道具であると著者は主張しています。ここに見られる「体験」と「経験」の対比は、『パスカルに於ける愛の研究』という著書のある森有正の議論を連想させます。

次に著者は、感情についての実証的研究や論理実証主義の感情論に見られる「情動主義」を批判し、情動主義的な側面とそれを超える側面を持ち合わせたヒュームの感情論について解説しています。著者によれば、多くの哲学者たちは感情が価値判断によって基礎を与えられるべきものと考えていました。しかし情動主義は、そのような問題設定そのものを流し去ってしまうという意味で、きわめて不毛な立場だとされます。

最後に著者は、カントの『判断力批判』を手がかりにして展開されたアレントの感情論を取り上げます。アレントによれば、感情は共通感覚を価値基準としており、その意味で公共的な領域に由来するものであると考えられることになります。著者はこうしたアレントの主張に、情動主義を超えた哲学的な感情論が考察するべき課題を見ています。

著者自身の感情論というよりも、その前提となるべき哲学史的な整理がなされている本で、感情をめぐる諸問題がどのような領域に置かれているのかという見通しを与えてくれます。

2014/06/30 17:33

投稿元:ブクログ

感情の経験により、わたしたちは自己了解が可能となり、わたしと世界の関係も明らかとなる。つまり感情とは真理の記号であり、そのような真理とは公共性(世界?)への意志によって支えられている。というのがプラトンからアーレントまでの哲学が召喚される意味である。
道徳教育とは、正しいふるまい方を教えるのではなく、何が正しいふるまい方であると世間では認められているかに関するものでなければならない、とする著者は、端々で現代日本社会への不安をちらつかせる。拙速な答に懐疑を表明し問いかけること、その仕方についてを問いかける熟考派であるようだ。

2015/02/23 00:54

投稿元:ブクログ

大きく見ると次のようになる。
情動主義批判がある(第2章)。そして、情動に対して感情を理性と対立するものでないことを芸術とからめて論じる(第1章)。さらに、この感情が共同性に関わるものであることを論じる(第3章)。
感情の経験は、真相においては「私とは何者なのか」を問うことができるものであるというのが一貫した趣旨。そのために、まず自己認識としての感情の性質を明らかにして、情動主義を批判して、最後にそれが個人的でないことを示すと。

第1章はわかりやすい。
感情についてはストア派の影響が大きい。理性と感情を対立図式でとらえ、感情がないアパテイアーを理想とする。だが、この見方においては感情は理性の敵としか現れてこない退屈な議論になる。そもそも感情は理性の敵としてコントロールできるものではない。それは「気分」であり「感情」ではないと論じられる。
また、感情についての議論で名を残す哲学者おおむねストア派を批判しているから、わざわざそれを取り上げずに、感情の肯定的な側面から取り上げることに価値があるという。
芸術作品の体験から、感情一般の特徴を取り出す。芸術作品の享受における感情とは快楽であり肯定的なものである。それは、真理が感情として与えられているからである。
哲学史における感情論は三段階を踏む。特別な感情を選び出す、他の感情とそれの関係を記述する、特別な感情のうちに見出された本質を元に、感情が快楽の経験であることを示す。プラトンから中世、デカルトまでは驚きが特権的であり、マルブランシュにおいては悦びが重要となる。ここらへんは丁寧な整理。

「感情の科学」批判に対して。
感情の科学は、感情を入力と出力を持つブラックボックスと考えることしかできず、その際には感情に関する通俗的な見方を持ち込まざるをえない。既存の感情について条件やその基礎を明らかにするだけであって、新たな感情を発見できない。また、そうして体験された感情というのは、実際に体験されることにより意味が与えられる感情とは別物である。具体的な経験の豊かさこそが感情ではないか。
しかし、そもそもなぜ感情は科学の対象となるのか。それは行動との関わりにおいてである。
著者によれば、情動主義とは、道徳的判断を含む価値判断は、同じ意味を持つ事実判断に置き換えられない、つまり真偽を持たないという立場。しかし、もし価値判断が感情についての文であるならば、それは真偽を持ちうることになってしまうから、情動主義は、価値判断一般が感情についての文ではなく感情に刺激されてつくられた文だと主張せざるを得ない。しかしそうすると、感情と価値判断が結びついてしまい、価値判断の根拠を失ってしまう。また、これは価値判断を「好き」「嫌い」に還元することであり、そうすると判断に賛成したり反対したりすることの意味がなくなってしまう。
しかし、ここらへんは支離滅裂な気がする……。

最後は感情の共同性について。妬みを中心に。
アーレントのカント解釈。感情とは、カントが『判断力批判』で普遍的に妥当するというところの趣味判断であり、その普���的な妥当のうちにアーレントは共同感覚と共同体の存在を読み込む。感情は共同体において伝達可能なものでなければならない。
そうじゃないものは自己欺瞞的な意識だと片付ける。

全体として、感情に対してある種の理解の狭さはあるけれど(様々なものを感情でないと斥けて分析のカテゴリから外してしまう)、一方で自己認識という感情の深層の機能を見出そうとする。
にしても明晰でなく読みづらい感じ。

2015/05/31 19:09

投稿元:ブクログ

感情の基準は共通感覚にある(共同体感覚),善悪は自明ではなく,その価値評価は心のうちにあるといったように感情が周囲の環境とともに形成されていくものであることが述べられており,共感できる部分が多かった。

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