紙の本
流れ去る言葉
2016/08/17 10:14
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
「流跡」「家路」どちらの作品も、目で文を追っていくとその世界に入っていけるのに、読み終わると何を読んでいたのかよく分からないという不思議な感覚に陥りました。
文字、言葉、文章の運びが独特で読者を選ぶ作品だと思いました。
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少しも読み進めることのできない本を手にした、正体の分からない語り手の独白から始まる。
意識に浮かぶとりとめもない言葉をただつらつらと並べたようなそれに、『徒然草』の序文のフレーズを思い浮かべた。その意味する通りに、「なんだかおかしな気持ちになってくる」ような、不思議な小説だった。
流れるのは、水か、意識か、時か、言葉か。
舟を運ぶ川の流れ、傘を伝う雨の流れ、常に傍には水が流れていた。
前半の「もののけになるか、おにになるか」、「ひとになるのでなかった」というあたりは、もしかしたら人が人になる前、胎内で、得体の知れない塊(または魂)として漂っている時のことを言っているのではないだろうか。
それがいつしか舟頭となり、川を下っていく。この「川」は、もしかすると「三途の川」なのかもしれない。
羊水の海に浮かんでいた魂が、やがて三途の川の岸辺に辿り着く。
流れているのは、そうした人の「魂」そのものなのかもしれない。
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異世界。きことわとはまた違う雰囲気だが、夢の中にいるような感覚は、共通していると感じた。文語と口語が混ざっていて、使っている言葉の種類が多い。存在するものもしないものもすらすら言語化されていて、言葉ってこんなに自在なのかと驚いた。
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難解。読めない本に初めて出会った。これを理解できるようになるにはもっと読書量を増やさないといけないなと思った。
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<流跡>
した‐え・む ・・ゑむ【下笑・下咲】
〘自マ四〙(「した」は見えないところ、心中の意)心の中でうれしく思う。胸中でにこにこする。〔真福寺本遊仙窟文和二年点(1353)〕(精選版日本国語大辞典より)
現代の小説を読んでいたのに、久々に電子辞書を引っ張り出した。大辞林や広辞苑はおろか、日本国語大辞典でも載っていないような単語まであって驚く。
古い言葉があると意味が分からなくてテンポよく読みにくくなることもあるけど、現代語はあまりにも解釈の幅が広いのに対し、ある程度辞書を信用してしまえば良い的なところもあるし、上に挙げたような単語は、その文脈で適切に使われていると、カチッとはまっている感じがして心地よい。
この小説の場合、古語も「なう」みたいなツイッター語(?)も含まれており、チュツオーラ『やし酒飲み』で意図されているであろう(日本人から見て)いびつな感じとは違うんだけど、何か読後感の中に創が残される感じがする。
物語性は別段なくて、始まりも終わりもない、それでいて刹那的な寂しさ。主人公が誰かも登場人物が何者かも曖昧。冒頭と結末の一致には、夢野久作『ドグラ・マグラ』の「ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。 」を思い出した。
何十冊何百冊の本を読んでも、この本の冒頭にあるように、すべては無為に流れて行ってしまうような感覚がある。もう小説とか読まなくてよくね?的な。
しかしその一方で、この小説からは、何かが心に創を残していくという事実も伝わってくる。どっちやねんと思う。
どちらにせよ、自分が立っている足場をぐらぐら揺るがすという意味で言えば、きっと良い小説なのだろう。つまらないんだけど、面白い小説。どっちやねんと思う。
<家路>
「流跡」とは異なり、一応ストーリーがあるので読みやすく、ちゃんとオチまで付いている。小説っぽいのはこちらだし、人に薦めるならこちらだろう(多分両方とも薦めない)。
家に帰ろうとしていた普通の日本人サラリーマンが、帰り道を間違えたのか気が付くとイタリアの湖の傍にいる。
主人公の回想が入り、回想の中の主人公が回想を始める。香水の匂いで前の女を思い出す。紅茶に浸したマドレーヌ食べて過去のこと思い出す的な。これはひたすら回想が進む地獄の読書体験が始まるのではと思った矢先に、今度は自分の記憶の不確実性を突き付けられる。そして時空は歪んでいき、夏、夏、夏、夏、夏。そしてようやっと回想が終わったらと思いきや。
という話。怖かった。
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本書は朝吹真理子さんのデビュー作「流跡」と短編の「家路」の二篇が載っています。
この本は友人のオススメで、読むと浮遊感が得られるというのでずっと読もうと思っていた作品でした。
ただ、書き方、言葉のチョイスが非常に文学的で、近代文学に親しまない自分には正直読みにくい文章でした。
「流跡」は、物語の筋のありやなしやなオムニバス映像を観ているようなつかみどころのない文章で、その流れを掴んで漂えば友人の言う「浮遊感」が得られたのかもしれません。
がやがやした電車の中よりも、ちょうど今時分の雨の日にひとり静かに読みたい本です。
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世界観が独特で、流し読みしていると置いてけぼりにされてしまう。
日本語が独特というか古語を交えてきて辞書をひかないと難しい。
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文章では表現できないものを、あえて文章で表現しようとしていると思った。
解説がないと意味がわからない現代アートを見ているかのようだった。
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メモ
・幻想的視覚、目眩く体験が動的に絶え間なく生成されていく。
・ラストの華やかな幻覚とその高揚感
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これはもうアートだと思う。ストーリーを追うんではなくて、感覚的に感じとる作品なのでしょう。
自分にはあまり体感できない経験だったので、面白く感じれた。
先日NHKでやっていた、大江健三郎さんをフォーカスする番組「個人的な大江健三郎」に朝吹真理子さんが出ててコメントしてたので、彼女の作品も読みたくなって読んでみたけど、正解だった。非常に独特の世界観。
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不思議な文章である。正に液体がとめどもなく流れていくような世界。小説といってもストーリーがあるわけではない。文章を書く(キーボード入力)ということを独特の表現で示してるかと思うと、ラストもそれで締めくくられる。書名の「流跡」はそれから来ているようだ。死ということをテーマにした文章が多く、暗い翳に富んでいる。岩にへばりついた牡蠣の一生を自らに顧みる。「少年が青年になり青年もくたびれかかったころ中年になりやがて老年期にいたる」「ある程度の年齢になると、日常的にちかしい人が死にはじめる」などの文はその通りだと感じた。難しい漢字が多く登場し、「融滌(ゆうでき)する」という言葉(P97)には初めて出会ったが、これが正にこの小説を象徴するかのような言葉。「溶けて流れること」という意味らしい。意味不明の文章が続く中で、文章には独特のリズム感があり読み進めることは難しくなかった。文も流れる!ことを痛感した。