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仏師の話。主人公が悩みに悩むのだろうなぁと想像できたので、それは予想通り。ただ何か足りないまま終わってしまった印象です。おゆきの苦しみは分かりますが、それが直接読者に伝わってこない気がしました。だから清三郎への共感も上滑りしてしまうのかもしれません。
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L
仏師の一生。
仏の話もあっていささか厳かな気持ちに。
仏師だけに基本静だけど、熱いものもってます。
ただ結果的に自己満足で終わったような。
戦いに鑿を使った時点で終わったような…。
さくさく読めます。
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柊清三郎が、師匠の浄雲に娘のおゆきとは夫婦のままで京で修業をしたいと申しでた時に、「手中にないものを得るためには手にしているものを失うのが道理」と諭された言葉が、テーマとなったストーリーであった。私も、この言葉を忘れないようにしたい。
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天は耐えられぬほどの苦しみは人に与えないものだ。わしは天からこの苦しみに耐えられると見込まれたのだと思っています 木に物性はなく、人に物性あり、仏像を彫るとは、すなわち、わが物性を木に注ぎ込み、仏の像となすことになり
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葉室さんの本にしては、サクっと読めすぎた内容だった。
仏師・柊清三郎が本物の仏師となる物語。
木に仏性を見出せず苦悩する中で、師匠や妻おゆきが苦難に逢い、おゆきを助けるためにひたすら木に向き合って仏を彫っていく。
静かに黙々と木を彫り続ける中に、とても熱い想いを抱いている。
誰かを愛おしみ、慈しむ心はどんな想いより強いんだ。
ただ、ここまできたのにラストはちょっと残念。
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内容紹介
柊清三郎は福岡藩の普請方の三男。十七歳で仏師の修行に入り、師匠の娘おゆきの婿に望まれた。しかし、仏性が見出せず、修行のため、三年間京に出る。戻ったとき、師匠は賊に殺され、妻は辱めを受け、行方不明に。妻のおゆきが豪商・伊藤小左衛門の世話になっていると判明し、お抱仏師に志願して、十一面観音菩薩像を彫った。しかし、抜け荷の咎で小左衛門が磔となり、おゆきも姫島に流罪になってしまう。清三郎はおゆきのため、姫島に渡ろうとして…。
平成31年3月21日~23日
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2020.07.17
4ヶ月振りに読んだ。何という本を書くのか。お釈迦様の顔が目に浮かぶようだ。ラストが切ない。やっぱり葉室麟は良いなあ。