紙の本
アメリカのジャーナリストによる殺人事件の背後に隠れた神々への信仰があったことを解き明かした驚愕の書です!
2020/05/31 10:32
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、アメリカのジャ―ナリストであるジョン・クラカワー氏によるノンフィクションです。同書の内容は、1984年にアメリカのユタ州で起こった殺人事件を著者が独自に調査を進め、その裏には何と過激宗教団体モルモン教の教えがあることを説き明かした驚愕の書です。河出文庫からは上下2巻で刊行されており、同書はその下巻です。同書では上巻に引き続き、弟の妻とその幼い娘を殺害したラファティ兄弟が熱心なモルモン教信徒であったことを事実として、その背景であるモルモン教とアメリカ社会の歴史を綿密かつドラマチックに一つ一つひも解いていきます。人間の普遍的感情である信仰、さらには真理や正義の問題を次々突きつけてくる刺激的傑作でもあります。
投稿元:
レビューを見る
下巻。
上巻と同じように、殺人事件を軸にしているが、モルモン教の歴史や他の原理主義グループについても語られる。
時系列がバラバラなので混乱してしまうようにも思えるが、実際はそんなことはない。訳者あとがきや桐野夏生の解説にもあるように、モルモン教の重要なポイントである『一夫多妻』(後に破棄される。このことも本文中で語られる)と『神の啓示』が共通点としてしっかりしているからだろう。
『作者の言葉』に書かれた『この本を書こうと思ったきっかけ』も面白い。成立から現在に至るまでの歴史が克明に記録されている宗教は、確かに、なかなかあるものではない。
投稿元:
レビューを見る
アルコール禁止、おとなしく平和主義だと思っていたモルモン教徒が、こういう側面も持っていたとは‼︎宗教は恐ろしい。
投稿元:
レビューを見る
「神」の御名のもと、弟の妻とその幼い娘を殺した熱心な信徒、ラファティ兄弟。その背景のモルモン教原理主義をとおし、人間の普遍的感情である信仰の問題をドラマチックに描く傑作。解説=桐野夏生。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
<上>
「彼らを殺せ」と神が命じた―信仰とはなにか?
真理とはなにか?一九八四年七月、米ユタ州のアメリカン・フォークで二十四歳の女性とその幼い娘が惨殺された。
犯人は女性の義兄、ロナルド・ラファティとダン・ラファティであった。
事件の背景にひそむのは宗教の闇。
圧巻の傑作ノンフィクション、ついに文庫化!
<下>
弟の妻とその幼い娘を殺害したラファティ兄弟は、熱心なモルモン教信徒であった。
著者はひとつの殺人事件を通して、その背景であるモルモン教とアメリカ社会の歴史を、綿密かつドラマチックにひもといてゆく。
人間の普遍的感情である信仰、さらには真理や正義の問題を次々突きつけてくる刺激的傑作。
[ 目次 ]
<上>
第1部(聖徒たちの都市;ショート・クリーク;バウンティフル;エリザベスとルビー;第二の大覚醒;クモラの丘;静かなる細き声;調停者)
第2部(ホーンズ・ミル;ノーヴー;教義;カーシッジ;ラファティの男たち;ブレンダ;力のある強い者;殺害
<下>
第3部(退去;水では役に立ちそうもないから;スケープゴート;神の御旗のもとに)
第4部(福音主義;リーノ;プロヴォの裁判;大いなる恐ろしい日;アメリカの宗教;ケイナン山)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
投稿元:
レビューを見る
中学時代から世界史が好きであった僕にとって、世界史を学ぶ中で最初に感じた疑問は宗教の存在であった。僕自身は特定の宗教を信仰していないし、どちらかと言えば宗教に対しては批判的である。しかし、宗教の何に自分が嫌悪感を感じるのかは正直曖昧であり、明確に言語化できていないもどかしさがあった。そんな自分にとって、本書のラストの一文を読んだとき、「そうか、この曖昧さはこういうことだったのか」という大いなる気づきを得た。それはこういう一文である。
”「信仰生活をつづけている人々はーこのコロラド・シティに暮らしている人々は、たぶん、ほかの土地の住民たちよりも、全体的に見ると、幸せだろうと思います」
彼は赤い砂を見つめ、顔をしかめて、片方の靴のつま先で石をそっと突いた。
「だが、人生には、幸せよりも大事なことがあります。たとえば、自分で自由にものを考えることです」”
(本書下巻p244より引用)
============
本書は1984年、アメリカ合衆国ユタ州の惨劇から始まる。24歳の女性とまだ幼い娘が2人の男により惨殺されるという事件。犯人は被害者の夫の兄弟であり、神からの殺せという命令に沿っただけであると主張する。
極めて不可解なこの事件であるが、犯人の2人は末日聖徒イエス・キリスト教会、いわゆるモルモン教の原理主義を信奉していた。著者のジョン・クラウワーはこの事実から、モルモン教がユタ州(特に聖都としてのソルトレイクシティ)を中心にどのように発展し、その過程で原理主義が生まれた歴史的背景を丹念に描きだす。
特筆すべきは、モルモン教が当初の教義にあった一夫多妻制を、州・合衆国政府からの強い批判に合うことで、教義から捨て去り、世俗化を図ろうとする点にある。ここが大きなポイントであるのは、ここにモルモン教原理主義が生まれた原因があるからである。つまり、原理主義者らは、一夫多妻制は重要な教義であるとして、自らを正当派として位置づけ、徐々に様々な分派の派生が進んでいくからである。
驚くことに、一夫多妻制は未だに原理主義者らの中で生き延びており、さらにそこでは10代半ばにすぎない少女が洗脳され、暴力的なレイプ被害に合うケースすらあることをジョン・クラウワーは暴きだす。
しかしながら暴力的なのは、何も原理主義者だけではない。主流派の側も、数十人もの非モルモン教徒を虐殺し、その罪をアメリカ先住民になすりつけるなど、そのむごたらしさでは五十歩百歩であるからである。
============
自分の頭で考えられなくなる代わりに得られる幸福が価値を持つか、それはその人次第であるが、少なくとも僕にとっては、全く価値を持たないということは、本書を読んで自分の中で明確になった。この明確化は自分にとって大きな価値を持つ気がしている。