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政府見解が変われば、自衛隊も変わる
2019/07/05 20:48
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
岩波新書『日本は戦争をするのか 集団的自衛権と自衛隊』(半田滋)を読みました。
最後の章「逆シビリアンコントロール」のおわりのところにこう書いてあります。
自衛隊が暴走せず、むしろ自重しているように見えるのは、
歴代の自民党政権が自衛隊の活動に
憲法九条のタガをはめてきたからである。
その結果、国内外の活動は「人助け」「国づくり」に限定され、
高評価を積み上げてきた。
政府見解が変われば、自衛隊も変わる。
いやいや、変わらなくていいよ。
震災の時に助けてくれた自衛隊のままならいいのですが。
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我々が為政者に質したいプリミティブな問いそのものがタイトルとして掲げられている。論議の的となっている集団的自衛権の本質と問題点を様々な観点から論ずるだけでなく、自衛隊という武装集団の特異さを改めて考えさせる。
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半田滋『日本は戦争をするのか 集団的自衛権と自衛隊』岩波新書、読了。安倍首相が悲願と掲げる集団的自衛権。武器輸出が解禁されNSC設置、秘密保護法制定など、その勢いは留まることを知らない。本書はその虚偽を一つ一つ丁寧に論駁する待望の一冊。人命軽視と責任回避の体質は今も昔も変わらない。
我が国周辺に差し迫った脅威は存在せず、今更侵略のリスクを敢行する周辺国は存在しない。尖閣諸島も個別的自衛権で対応できる問題に過ぎないのに、意地の張り合いが緊張を高め、政治家はその尻馬に乗る。長らく防衛を取材し続けた著者の指摘はクリアカットだ。
集団的自衛権を「望む」同盟国も心配を隠せない。集団的自衛権とセットになるのは「古くて、二度と戻りたくない戦前の日本」。首相は「侵略の定義は定まっていない」というが、1974年の国連総会決議3314で具体例を挙げ定義、日本も賛成し全会一致している。
「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全もしくは政治的独立に対するまたは国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力行使であって、この定義に述べられてるものをいう」。
「こういう憲法でなければ、横田めぐみさんを守れたかもしれない」とも首相は言う。国防軍を持てれば守れるのか。70年代はテロに「負けた」時代かもしれないが、当時対テロ特殊部隊を実装する国は限られている。その反省から整備されるのが先進諸国の対応だから、憲法のせいにはならない。一事が万事この調子だ。
本書は首相の言説を批判するだけでなく、安保法制懇のトリック、積極的平和主義の罠、そして集団的自衛権の危険性を丁寧に解き明かす。為政者が法の支配を無視してやりたい放題にやる人治国家という現状は、ならず者が「俺が法律だ」と町を支配するが如しだ。
集団的自衛権行使解禁は、自衛隊員の死をもたらすだけでなく、相手を殺すことも意味する。そしてその両者は退役軍人のフォローを必然とするが、米国退役軍人省は一年の予算が9兆円。日本の防衛予算の約2倍だ。戦争を放棄した日本が抱え込めるのだろうか。
「自衛隊が暴走せず、むしろ自重しているように見えるのは、歴代の自民党政権が自衛隊の活動に憲法九条のタガをはめてきたからである。その結果、国内外の活動は『人助け』『国づくり』に限定され、高評価を積み上げてきた」。活かすも殺すも政治家次第ということになる。
シビリアンコントロールを受ける自衛隊の最高指揮官は首相であり、防衛相が統括する。彼らのその覚悟と責任はあるのか。現場の実情も何も知らず、派兵にだけ熱心である姿は、あまさに「人命軽視」と「責任回避」を特徴とする戦前日本の「後はよきにはからえ」というあり方とうりふたつだ。集団的自衛権の行使解禁で犠牲になるのは自衛官であって政治家ではない。
今、何が議論されているのか、その議論は果たしてリアルなものなのか、生じる変化は自衛隊に何をもたらすのか、30年以上自衛隊を見続けてきた著者が、徹底的にリアルに分析します。 https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1405/sin_k766.html おすすめです。
蛇足ながら……
安倍首相、ほんとやばい。右傾化を批判した元官僚・田中均氏をfbで批判し、機密を自ら暴露しちゃったり、尖閣問題で、保安庁の巡視船新規造船間に合わないから退役護衛艦と即応予備自衛官で充足というけど、巡視船は重油で動くディーゼル・エンジンで、護衛艦は軽油ガスタービン、予備自衛官は陸上なんですがw
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ものすごい安倍内閣批判そのものを感じます。集団的自衛権というだけでなく。国家を代表する総理大臣をやたらこき下ろすことは久しいし、その観点だけでもうんざりする。なるほど集団的自衛権への九条拡大解釈は許せないかもしれない。しかし、総理批判はうんざりしているのが国民だ。
しかも、制服組の反シビリアンコントロールについては、必要以上にあおっている。安倍さんの真逆なだけ。
青年将校のほとんどが貧しい農家を背景にしていた時代に、今の自衛隊員は育っていないのだから、昭和初期みたいな行動が出てくるとはとても思えない。
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小泉が郵政民営化を掲げたのと同じように、安倍が目標とするのが安全保障政策の転換。
集団的自衛権は東西冷戦のゆりかごの中で成長した。第二次大戦後に起きた戦争の多くは集団的自衛権行使を大義名分にしている。
集団的自衛権を行使して戦争に介入した国が勝利していない。アメリカはベトナムから撤退し、アフガンからも撤退した。
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首相は「わが国を取り巻く安全保障環境が一層悪化している」と繰り返すが、尖閣諸島をめぐる中国との対立はあるものの、日本周辺に緊迫した事態はない。北朝鮮による日本人拉致は犯罪であり、武力攻撃ではない。首相の狙いは憲法解釈を変更して海外で武力行使できる「普通の国」を目指すことにあると考えるほかない。
ベトナム戦争を参考にすると、集団的自衛権行使を理由に参戦するのは、米国のように「攻撃を受けた外国を支援する例」、韓国のように「参戦した同盟国・友好国を支援する例」の二つのケースがある。
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いろいろはっとさせられる指摘や分析が多く、久々に良著に出会えたと思った。もちろん、細かい論理で詰めて考えたらどうなのって点もあるかも知れないけど。
一章不安定要因になった安倍首相で、靖国参拝を通して米国すらも刺激して安全保障環境を悪化させていること。また首相になる前に主張していた退役予定のゆき型の海保編入に関わる勘違い。閣議決定だけで憲法を読み替え国家を無視する手法。日本の安全保障環境は厳しさを増してるってのが2007年から使い回されてる表現でありながら、尖閣を巡る日中の対立以外はあるものの緊迫した危機はないこと。
二章法治国家から人治国家へで、選挙での勝利をたてに「おれが法律だ」と言わんばかりの立憲主義を理解しない発言。北朝鮮のミサイル発射で米軍は日本防衛ではなく自国防衛のため活動していること。憲法九条を空文化させる国家安全保障基本法。
三章安保法制懇のトリックで、法律の専門家のいない安保法制懇。例の四類型で、公海での米艦艇の防護では考えうる範囲で集団的自衛権行使の必要性なない、米国を狙ったミサイルの迎撃では技術面安全保障面でもありえない設問、駆けつけ警護は、自衛隊の任務が治安維持ではない。自衛隊が後方活動のみに従事してきたのは先進国として当然で、要員を多数出してるのは外貨獲得手段にしている途上国であること。
四章積極的平和主義の罠で、日本版NSCで南スーダンでの韓国への弾薬支援が決められたが、それは非公開で議事録もなく、国民の見えないところで重要政策が転換されるおそれがあること。NSCの発足に合わせて成立した特定秘密保護法の原点が、2007年に締結された軍事情報包括保護協定GSOMIAで、その締結のきっかけが2003年のミサイル防衛システムの導入であること。わかりやすかった国防の基本方針を廃止し、量が多くかえって基本方針がぼやける国家安全保障戦略が閣議決定されたこと。グレーゾーンとシームレスが意味が不明瞭で、有事か平時しかなく、平時から有事には防衛出動が下令されるということ。
五章の集団的自衛権の危険性で、海外派遣が始まった頃から危険を実際に負う制服組の発言力が高まりだしていること。米国の退役軍人省の予算が日本の防衛費の倍近い九兆円もすること。93年北朝鮮のNPT脱退をきっかけに作られたK半島事態対処計画。1999年に周辺事態に備えた図演が海自で初めて行われたこと。
六章逆シビリアンコントロールで、南スーダンで試みているオールジャパンの取り組みを考え出したのが幹部自衛官や官僚であること。同時多発テロ直後に政治家に談判して米空母の護衛やインド洋派遣へと動かした海幕の幹部自衛官。
などなどと、書かれてる事実だけでも大変勉強になりました。安倍シンパにただの首相批判と思って欲しくない。
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結局のところ、「俺は、自衛隊や日本周辺の国々の軍事情勢について、こんなによく知ってるんだぜ」という著者の主張ですよね、これ。
「僕自身の無知を補う」という意味では役に立った部分もありますが、タイトルに沿った内容ではないと思われる部分も少なくないため、「騙された」印象を受けました。
これでは、「日本は戦争をするのかどうか」の判断材料にならないと思います。
そういう意味では残念な本でした。
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シビリアンコントロールを行なうべき政治家が、自衛隊をしっかりコントロールできないければ、自衛隊が逆に政治家をコントロールして好き勝手を行なうのではないか。安部首相が行なおうとしている集団的自衛権の行使は、自衛隊にそういったスキを与えてしまうのではないか。= 現在でさえしっかりしていないシビリアンコントロールが、集団的自衛権の行使を容認することでますます政治家の手から離れて(自衛隊が自ら考え行動して)しまうようになるのではないか。ただ、自衛隊内部(制服組)にも”「日本が他国の軍隊並みの活動をするのは当然のこと」という賛成派もいれば、「これまで地道に積み上げてきた武力を使わない国際貢献に磨きをかけるべきだ」との反対派もいる”。
以下、引用省略
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集団的自衛権以前に考えなければならない安全保障のための問題は、山程あるようだ。差し迫った脅威について煽られることは多いけれど、それに対するために今検討するべきことは、集団的自衛権ではないのではないかと考えてしまった。一度外してしまった箍を戻すことは容易ではないだろうし。
中には疑問を抱く言説があったり、偏っているように感じるところもあったけれど、これから考えていく手掛かりになった。
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少なくとも戦争をするための準備は着々と整備されている。ただ、はたして国民だけではなく国を率いる政治家たちもその「覚悟」ができているかは不明。危機をあおって不満をそらしているだけではないかという疑問に答えるためにも姑息な言葉尻の議論ではなく、真に抑止力のある国防を目指すには何が必要か真剣に考えるべきだと思う。米国の世界戦略に取り込まれて自己判断できない状況になる危険はないのか? 世界の警察官の立場を降りようとしている米国が今後内向きになっていく中で気がついたら敵意に囲まれて孤立する状況になるリスクはないのか? そもそも最小の犠牲で独立を維持するためにどういった防衛体制が必要なのか、の議論無しに政治家に頭から「この道しかない」と言われても、とうてい納得はできない。
集団的自衛権と、東アジアの国際情勢を理解するために参考になった。ちょっと不毛な言葉だけの議論もあったけど。
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2014年刊。著者は東京新聞論説委員兼編集委員。
尖閣問題を初め、個別的自衛権で法的に対応可能であるにも関わらず、何故集団的自衛権を許容する解釈改悪を施すのか。
この疑問は集団的自衛権の違憲性と憲法順守姿勢への疑義を生む一方、政治的・外交的な意義(有害・有益)に思いを致すことが可能だ。これをわざわざ推進しようとする安倍晋三氏や高村氏、公明党推進派といった政権運営の担う人々のパーソナリティにも関わってくる。
この負担を被るのが国民(命を張る軍人・軍属は勿論、軍事費・自衛隊の実働費用の増大は増税を来すはず)でしかない以上、為政者の思惑は、その人間性を含め関心を払う要がある。
本書からは、こういう側面での安倍氏の有り様が解読できそうだ。
そもそも第一次内閣期の政権投げ出し時にも感じたが、言葉の勇ましさと比較し、メンタリティの面で果たして?と感じることが多かった。批判につき些末な部分まで官邸サイドでファナティックな反論をする有りようが本書でも垣間見れるが、これこそメンタリティの問題を露呈していないか。
そもそも「自信家には眉唾を持って見る」以前に、「自信家の仮面を被っているのでは」という印象が生まれる読後感だ。
さて、こちらの勉強不足を感じさせる記載も多く、つまり本書が気付きの書になっている。
例えば、名古屋高裁平成20年4月17日判決、1994年春ごろ策定の極秘「K半島事態対処計画」等々。
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集団的自衛権を巡る憲法解釈の変更や安保法制の議論を受けて、反集団的自衛権、反安保法制の立場から執筆された。
本著は、半田氏の著作の中でも特に安全保障に対する正確な理解が欠けているのではないかというような箇所や、批判ありきな書き方で気になる箇所が多い気がするが、K半島事態対処計画や逆シビリアンコントロールの話は興味深かった。
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自分の知識が足りないせいでもあるとは思いますが、難しくて理解できないところも多かったです。安倍政権が戦前の日本の体制に戻そうとしているのは分かりました。
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半田さんという方は左寄り、朝日新聞寄りの意見のようだ。憲法改正反対、集団的自衛権反対、安倍政権批判の内容。共感できる部分は少なかった。