紙の本
一つの解釈としては面白いが
2015/01/12 17:05
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投稿者:多礼 - この投稿者のレビュー一覧を見る
靖国神社の意味をその成り立ちから考えることで、首相が参拝することの無意味さを訴えようとしている。海外から非難されない行動を訴えているものだと思うが、なんとなくすっきりしない。
一つの解釈としては、面白いが、第2次世界大戦で、多くの人が国を思い、靖国で葬られることを思い戦ったことに対する意味をどうとらえるのか。腑に落ちないところだ。
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招魂社が西南戦争による多数の官軍戦死者を顕彰するために靖国神社と改称された。そして、それからは「「天皇のために戦えば、身分や出自を問われることなく、国家によって神として祭られる。」靖国は、官軍すなわち「皇軍」において、徴兵制度によって駆り集められた兵士たちをやる気にさせる恰好の装置だった。」のように靖国神社はきわめて政治的に利用されたのである。それにしても、天皇が靖国神社に参拝されない状態を戦没者を肉親に持つ人たちはどのような心持で おられるのでしょうか。
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善悪,正逆を問わず慰霊鎮魂する神社とは全く異なる靖国時神社は,皇紀2600年を振りかざすも,実は水戸学から後にしか史をもたないものだとわかりました.
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元は新書だった本らしい。この本の特色は、思想としての靖国神社のバックボーンを、神道ではなく、儒教/朱子学と規定しているところ。著者によると江戸時代の水戸藩で育まれた「国体」思想が、明治維新を経て、戦前に復活したということらしい。
確かにこの「国体」概念というのは、日本独特のものである。日本は戦時中においても、ファシズムとも君主制とも異なっていた(もちろん、共和制でも民主制でもないが)。その中心にあったのは「国体」という不気味な概念だった。
この「国体」とは、「神話の時代から脈々と継がれてきた、天皇を神と仰ぐ国民体制」と言える。いま国民体制と書いて国家と言わなかったのは、普通の国家体制とは違う、カルト宗教的な心的状態を指しているからだ。神と仰がれているのは「脈々と続いてきた天皇の血」であって、個々の今生天皇が間違ったことを言ったりしたりすることもあるが、それはそれで別だ、という変な考え方である。
靖国神社は「国体」のために死んでいった者をまつっているので、維新の際には最終的に勝利を収めた側が官軍であり、「英霊」なのであり、幕府の側で戦った者は排除されている。
この「国体」思想は現在も表だっては復活してきていないようだが、最近の右傾化した言説が濫用する「日本」という言葉に、奇妙なアニミズム的な観念の重みを感じる。
この本は「ん?」と思う箇所もあったが、まあまあ面白かった。ただ、ちょっと靖国神社そのものについての解説は少なかったように思う。
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「国体」「英霊」「維新」「大義」というキーワードについて原典にさかのぼって読み解く。薩長藩閥政府が明治革命ではなく明治維新と称した理由について『大日本史』、水戸学の論理から論じた箇所は、なるほどと思わせる。
「新撰組組長だった近藤勇を東京裁判よりもひどい一方的な断罪で復讐刑的に斬首し、会津で交戦した白虎隊をふくむ軍人たちのまともな埋葬すら許さぬままに、敵の本営だった江戸城中で仲間の戦死者の慰霊祭を行った連中。靖国を創建させたのはこういう人たちであった。」
「靖国問題が国際問題でなく国内問題だと私が主張するのはそういうわけである。戊辰戦争以来の未解決の歴史問題が、ここにはある。」