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この本は札幌の書店くすみ書房さんの会報誌「くすくす」の紹介で出会った。多分、そんな出会いがなければ手に取らなかったかもしれない。作家を目指していた若者の出版社スタートにまつわるあれこれを書いたドキュメントのようだが、決して起業物語ではない。本を読むということ。そのことを通して見えてくる世界をこの上なく大切にしている作者の姿勢が好ましい。
本を読むということについて、次のように書かれている。
つまり、「私」の言葉とは違う、誰かの言葉を、その文章を、一所懸命、読み続けること。その言葉で、世界をもう一度、体験すること。思い出すこと。それが、文学の一番の魅力であり、おもしろさだと思う。
すばらしい作品を読んだ後、世界は、これまでよりも鮮やかに見える。人々は、よりかけがえのないものとして、この眼に映る。
読み終えてみると、以前「くすくす」で手に入れた「昔日の客」はこの出版社、夏葉社のものだった。
本を手に入れる時、以前は書店がその出会いの場だったけれど、インターネットの時代になってからどんどん書店はつまらなくなってきたと感じていた。そのなかで、くすみ書房は本棚に主張があり、読んで欲しいというメッセージが伝わる書店だった。昨年、経営の危機があり、ネットでの呼びかけで「くすくす」の会員になり、そのおかげでの出会いだった。
本は好きだけど、どうやって良い本に出会うのか?
出版社の「売りたい、売りたい」というマーケティングが見え見えの本ではなく、読むことでこの世界の見方を鮮やかにしてくれる、そんな本の出会いを大切にしていきたいなあと、改めて思った。「くすくす」ありがとう。
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この本、このひとの文章、好きやなぁ。なんてやさしい感性を持ったひとなんやと思った。
本人いわく、ぎりぎりまで追い詰められてのひとり出版社開業やったらしいけど、すごいとしかいえない。
なにより人柄が、謙虚で、背伸びすることもなく、ほんとうに地に足のついたひとやなぁと思った。
いろんなひとにとって、不器用なひとにとって、あたたかく、勇気のもらえる一冊になると思う。
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島田さんの文章が、くすっと笑えて、ちょっぴり痛くて、ちょっぴり泣けて、とても良かったです。
こういう本には珍しく共感できる等身大の著者さんというか。カッコつけてないのがカッコいいな〜と思いました。誠実さって大事だなぁ!
一冊一冊が丁寧につくられていることが伝わってきます。夏葉社さんの本を読んでみようとさっそく予約。
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自分が好きな本、出したいと思う本を皆に届けたい。そんな真摯な姿勢にやられました。元々「昔日の客」が読みたくて読みたくて、そこから派生して読友さんにこの本を教えてもらったのですが、こういう背景があったかと思うとまだ借りっぱなしの「昔日の客」を再読したくなります。傑作だと私も思いました。大好きな従兄弟の死、就職道は外れまくり。それでも島田さんがいなければ読めなかった本があるんだと思うと感謝のひと言です。古書店はどうも敷居が高くて入りにくいのですが京都の善行堂さんとか本当に行かなきゃ!誰か一緒に行かないか!
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手探りで進んでいく中に、人とのつながりができていく。
一人で本を出版しようと思い立ってからの経緯。
自分から動くこと、人が助けてくれること、応えてくれること、
何かをやることで失敗も苦労もあるけれど喜びも多い。
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いま、読んでる途中なんだけど、この本はすごくいい。というか、自分のこころにすごく響く。
誰のこころでも動かすという類の本じゃないだろうけど、本好きの人はなんらか感じるものがあるんじゃないかなと思う。
読み進めていくのがほんとに楽しみ。
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ポエムのような本は苦手だと、ずっと思ってきた。青臭い思いが芸術に昇華していなくて、深夜に突発的に書いた日記みたいな、そういう他者の垂れ流しが、ほんとうに恥ずかしいのだ。ああ、またこの手の本か、と少し思ったのだが、読んでいるうちに気持ちが変わってきた。一冊の本を作り上げた時の喜びの確かさを、感じたからだ。
わたしはそのうち、ベルトコンベア式に本を作っていくだろう。なんとなく所属し、なんとなく作業をし、おそろしく高度にシステム化された分業体制の中で、的確な業務を行うことで、一冊の本を生み出すかもしれない。その未来の一冊の本に対する思いと、この本の中に出てくる一冊の本に対する思い、そのあまりの落差に眩暈がしたのだ。全てをゼロから構築し、一番いいと思うものを追求し、人に助けを求めながらも一人ぼっちで作り上げたその本の気高さは、確かに、それを必要とする人の心を打つだろう。そもそもわたしは、そういうのが好きだったのだ。本のそういうところが好きだったのだ。今のわたし、これからのわたしを見て、前のわたしは何と言うだろう。システムにのっとって行う型通りの仕事にプライドを持ち始めたら、それは多分感性が死ぬ時であるとおもう。周囲に合わせながら、資本主義原理を呑み込みつつも、わたしはこの感覚を忘れてはいけないのだと強く思う。バランスを保ちながらも、絶対に忘れてはいけないものがあるのだ。
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2015.6
最近よく目にすしていた「夏葉社」。偶然にもそのひとり出版社の方のお話だった。繋がるんな、最近いろいろと自分の作りたいものを作る。シンプルにそこだけ。その気持ちが伝わるからみんなが動くんだね。儲けたいとか、人間関係がとか、プライベートがとか、余計なものがいろいろ付いてしまうけど、大事な部分をシンプルにいつも心の中心において仕事をしていこう。そして、できない、無理と思わず、思いがあるならそれを込めてやってみるもんだな。
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ーーー31で、もう十分だ、とおもった。
十分自分のために尽くした。
一編の詩で叔父さんと叔母さんのために本を作る。
そのために出版社をつくった。ーーー
きもちに繊細に触れるひとの本。
夏葉社という出版社をひとりでやっている男のひとが
夏葉社以外で発刊した初めての本。
きれいごとじゃないなとおもう。
誰かの死で、誰かのために、誰かの詩を発刊するということは、きれいごとでは作れないんだなあと。
さいしょからさいごまでずっと泣きそうな胸のぐうっと押し迫る感じを我慢していた。
それは著者の大切なあるひとが死んだときも、
叔父叔母に向けて作っていた一冊の詩集が、2011年の震災でたくさんのたくさんの死によって、方向性を見失ってしまったときも、
ある本屋さんの閉店シーンも、
ぜんぶぜんぶ心臓に差し迫ってくるものがあった。
それはぜんぶぜんぶ全力でほんとうのきもちを
そのとき感じたきもちをきちんと伝わる文章で伝えてくれているからだとおもう。
学生時代、友人にしてしまった気まぐれな事柄も、
それをいまとても後悔していて、その友人には会っていないことも、
隠したい説明できないその時々の衝動のような感情と行動を、いまになって文章にかためて見せてくれることが
このひとの純粋さや素直さを惜しみなく表しているとおもう。
信用できる文章だなとおもったし
このひとの出版社の本を購入したいとおもった。
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こんなにも素直で、真っ直ぐな本に出会ったことは今までなかった。
正直今の就活が辛くて、苦しくて、どうしようもなくて「就職しないで生きていくには」という言葉に飛びつき逃げ場所を求め手を伸ばした本だった。
でも、読めば読むほどに逃げてこんな情けない私を受け止めてくれる気がする。心に寄り添ってくれているような、包まれているような、そんな感覚に陥るのだ。
この先何度も立ち還り読みたいと思った。また辛くなったら「どうしたの、また逃げてきたの、仕方ないなぁ」と言われんばかりの真っ直ぐな言葉に包まれ、胸に刻んで行きたい。そう思える本だった。
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夏葉社の島田潤一郎さんは、人が好きで、それ以上に本が好きな方なんだな~。
あと、ちょっぴり自虐的な方かもしれない。TSUTAYAでの恋バナのクダリなんか、ずっとニヤニヤしながら本めくってましたよ、私(笑)。恋多き男だったのね〜(笑)。ごめんなさい、ジュンク堂のトークセッションで初めて御本人を見た時は、「えー!そんな感じには見えないー!」ってのが第一印象でした…笑。
自分をありのままに表現することを躊躇わない感じの文章なんだよなー。それってすごく難しいことなんじゃないだろーか。
って、嫉妬半分、読み終わりました。残りの半分は何かなぁ(笑)。
僕には本しかない、っていうフレーズにはすごく痺れた。私の場合は、「私には本もある」って感じだから、こんな風に自分を追い詰める位に本のことを考えられるって、ちょっと怖いなあ、と思いながらも、やっぱり羨ましい気もする〜。
本を読むときの表現がすごく詩的!
活字の中に「暗さ」を感じたことはないなあ。行間に隠れた本音とか妖精は見たことあるけど(笑)。
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夏葉社さん
絶望を知って生きる人。
明日から」という構造は、嫌いだ。
なんとなれば、そこに余裕を、口実を
己自身で意志の中に設けてさえいるからだ。
セネカやマンリーケの詩に
あるあの訓戒が身に染みて、体得している人間は
どこか重さが違う。
当人は軽快さをまとっているが
その当人を観察するものからしてみれば
そこに1つのオブジェ/象徴があるように感じる。
本を読む人間が、
文学を読む人間が少ないのは
現代性に浸った問題でなく、
常に現在性を帯びた単なる1現象に過ぎない。
本を読まない奴が、ことに若者が増えた。
それはちょうど
「今どきの若い者は...」という言葉しか
ストックにない、内部に腫物を持った
くされ親父どものあらぬ発想と似たようなものだ。
昔から人は本など読みはしない。
これこそが、結論であり、現状の真確かな認識でありただ1側面から見た解釈でもある。
どちらからこと始めてもよいのである。
事実があれば、理由は後から付け加え
己が意図した違法へ導くために拵える
”根拠(判断理由)”という厳かな文句を付与させた1手法に過ぎない。
なんだと!
ひとは昔から本を読まぬだと!
猶や基、回教人を見てみろ、彼らは
毎日欠かさず日課に加えて、否一日のうちに
もとから刻まれた義務として書を読んできたのだぞ。それもだ、本を読む人間なら最も尊敬に値する”再読”という行為を何度となく繰り返してきたのだ。彼らには彼らのうちに聖書を刻み込んでいる。
これをみてお前は本を読む人間がいなかったというのか?
人間の行動の大半は食事と睡眠、労働によって構成される。副次的な要素の内での主要なもの、今問題にしているのはここであることを、明示しておこう。議論が脇に逸れぬように。
相も変わらず、本を読む行為や生涯学習、知的云々といった変なコンプレックスに陥ってそれを認めたがらないひとが本読んでんじゃないのかなとも思われる。Voltaireのいう眼だけ動かす人のこと。
企てが誤っていることになかなかきづかない。
正確に言えば、修正をしないのだ。
自分が始めから終わりまで正しいのであり、
内部過程においては誤りがないと
少なくともそれを実感しながら出なければ
歩み続けることができない。
実際はあるとこまで行くと袋小路に入って
永久なる循環のうちにとどまるしかないということは、どこかで他人事として耳にしたはずなのだが。
実際の意味で自己を止揚していくことは、
このような状態に陥った人間には
不可能だ。発展性などありはしない。
自分では指数関数的上昇を目論んでいるつもりののだろうが、そうであるからこそ対数的収束にあるとは到底気づけはしないだろう。
本というものを神聖なものとして見立てている代表だ。
そんな日本と一緒にいたいのであれば
図書館に1日中いればいいのに。
そんなことを思ってしまう。
一生のうちで何冊読めたと��、
いろんな本のことについて知ってます(実際はタイトルだけのことが多い)という状態に自分を持っていこうとする考えがなんと愚か愚かしいことで
極めて、そう極めて稚拙であるかを了解できないのかが痛ましくて仕方がない。
専門を己が一つ所有する。
それが今日の前提。会話の中にも社会の中でもそれを求められるということは、昔からなのかな。
...
文学に関してのみ語ろう。
素晴らしき文学の宝庫、その名を図書館と呼びます。1冊でいいのです。1人でもいいのです。
これから、でなくとも、歩んでいかねばならない
前途多難な道。その長さも太さも周りの明るさや
置物、自然、環境さえわかりません。
ある程度の予測はできます。
己が所有する専門性の眼でもって一つの切口である程度の識別・認識はできます。
ただこれらは全て、理性が抱える問題を解決するための1手段です。
感性、本姓、情念はそれでは補えません。
抑揚と高まり、立志に自律、鼓舞に蔑み、
苛立ちに笑い、人間的と称される側面の解決には
一般にほかの人間をあてがおうとします。
けれど、他者が常にそばにいることは永久保証ではありません。
親や友、師に恋人などは自分と同じく有限の存在。
いつか離れる存在であると同時に、
己自身が彼らと結びつき続けられるなんて
人間にして人間への傲慢この上ない態度です。
少なくとも、認識が事実を決めるのと類似で
人一人という生き物は1人でこそ歩きつでける実存であるという認識を忘れてはりません。
人は皆孤独なのです。
私はそのことをRilkeとSchopenhauerから
くみ取りました。
だからこそ粛々と寂しさを実感しながら生きろというわけではありません。
単なる1個体であるからこそ
それを補い支えてくれるものを求めるのは至極当然の理です。そのような状況に身を投げ出させれば
理性は本能に屈します。
本能を否定することは愚かなことです。
良いところで制限をかけうる程度に己の器が低いことをじぶんで証明しているとさえ言えます。
聖書は完全でしょうが、
完全に否定も肯定もしていることはないでしょう。
もしあるなら、多く分岐した諸派の聖書の解釈の違いのことでしかないでしょう。
解釈。こいつは厄介な奴です。
現実の停滞を払って前進力を与えてはくれますが、
必ず内部の矛盾が表に出てくる。
ジュリアン・ソレルが共に上ってくれましょう。
ウェルテルがあなたの気持ちを分かってくれましょう。
Zuarathustraが超人を教えてくれるでしょう、
とは言いまんが、逆に私は何とも言いません。
Candideが共に畑を耕すことを受け入れるまで歩いてくれるでしょう。
Mad.Bovaryが現実を見せてくれる出よう。
Janeが人間をともに受け入れてくれるでしょう。
私の座右に1冊の本を。
より
私の座右に人生の伴侶を
ぐらいで見つけたい自分の1冊
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身近な方の死から、一冊の本を作ろうと思い出版社を立ち上げる。
これって簡単な覚悟じゃできないことですよね。
その一冊が出来上がるまでの苦難もこの本に綴ってある以上に大変なことだったと思います。
読んでいると、著者の本に対する愛情や、街の本屋さんへの思い入れが凄く伝わってきました。
飾らない文章だから想いがストレートに届く。
感動した場面が沢山で、本好きさん、本屋好きさんにはぜひ読んでもらいたいなーと思った一冊です。
夏葉社さんの本、ぜひ読んでみたい。
うーん、やっぱり本っていいですね。
厳しい時代だけど、絶対なくならないでほしいなーって強く思いました。
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出版社を立ち上げた人の体験談。というと実務的なことが書かれていると思われるかもしれませんが、実際はさらっと触れられる程度。なぜならこれは、ある青年が大切な人を失ったあと、どう生きるかを模索した日々の記録だからです。出版社を立ち上げたのは、自分の生きる目的がそこにあると思ったから。迷いながらも出発点を忘れずに進もうとする著者の姿から、どう働くか、どんな仕事をするかは「どう生きるか」と同義なのだと感じます。自分に合った生き方を探す人、仕事に疲れた人、生きる目的がわからなくなった人に読んでほしいと思いました。
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「自分が読みたい本を作る」。
なぜか記憶に強く残ったのは、何かと憧れを持っていた友人のその後を「すごい」と言ったら、一人で出版社をやっていることに対して「変わらんね。島田はえらいね」と言われた部分。