紙の本
やりたいことをやってしまう行動力がカギなんだなぁ。
2020/05/24 22:44
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投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
ひとり出版社の草分けのひとつ「夏葉社」の成り立ちを描いた一冊。学校を卒業したら就職する(=どこかに勤める)ものと思っているけど、ホントにその方法しかないんだろうか?という思いでいっぱいになる読後感。
夏葉社は、本作りの素人だからこそできた気がする出版社で、たとえば、最初から「自分が読みたい本を創る=自分に似たヒトを読者に想定する」というマイノリティをターゲットに据えたりする。しかし、だからこそマーケティングや大量宣伝や人海戦術やの大手出版社のやってる行為が皆無。全エネルギーを、好きな本を作ってそれを本が好きな読者に渡すというコトに向けられる。そして、ちゃんと本好きな人たちにリーチして、出版社も成り立ち続き、いまや、ファンまで。これって、自由で豊かなシゴトのスタイルそのものじゃあないかな。
紙の本
本づくりへの思い。
2018/01/11 02:12
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投稿者:シオ・コージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の本づくりに対するストレートな思いが伝わってきました。
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夏葉社という「ひとりの作家のこころを、ひとりの読者に伝える」(p.12)心意気の出版社をつくった人が書いた本。夏葉社の本は、『本屋図鑑』と、『冬の本』を読んだことがある。
夏葉社をつくるのに著者の従兄の存在があったことは、なにかでちらっと読んでいたが、この本の冒頭にはその最愛の従兄・ケンが死んだ日のことが書かれている。著者は従兄の葬儀を終えて東京に戻り、仕事を探した。
▼ぼくは転職活動をしながら、どうすれば、叔父と叔母と、ひとりっ子になってしまったケンの弟のこころを再びあたためることができるだろう、と考えていた。…(略)
日課としていた読書は、小説や評論ではなく、「家族をなくしたときに」とか、「大切な人の死をどう受け止めるか」とか、そうしたグリーフケア関連の本ばかりを選ぶようになった。
ぼくは、自分の苦しみのことは忘れて、叔父叔母たちの苦しみの支えになりたかった。
いま考えれば、それが、ぼくにとって、自分のかなしみから遠ざかる、もっとも有効な方法なのであった。(pp.25-26)
27歳まで作家志望だった著者は、アルバイトばかりしながら、本だけは人よりもたくさん読んでいた。履歴書の自己紹介欄には「仕事はしませんでしたが、その代わり、本は読みました。『失われた時を求めて』を読破しました」(p.26)などと書いていたそうだ。そこにくいついてくれる会社もなく、転職活動をはじめて8ヶ月で、計50社からお断りのメールがきた。
仕方がない、もういいやと、著者は社会の多くの人と同じような働き方はあきらめた。「なんでもやれそうな気がしたし、なにひとつやれない気もした」(p.39)自分が人生の転機にいることを感じたという。「叔父と叔母のためになにかをしよう」と決断し、なにができるかと考えた。
▼ぼくには、つまり、本しかなかったのだった。(p.43)
著者は、「たとえ、友だちと上手くいかなくても、きちんと仕事をしていなくても、真面目に本さえ読んでいれば、年をとったときには立派な成熟した人間になっている、とこころの底から信じていた」(p.43)という人なのだった。
寝る間も惜しんで、受験勉強をするように、今日はここまで、今月は何冊読むと計画をたてて読書に取り組んだ、と書いてあるのを読むと、ほんとうに真面目な人だと思う。私は(次の原稿ではどの本のことを書いたものか)と下心ありありで読むときはあるが、立派な人になろうとか、そういう風には思ったことがないなーと気づく。
ケンが亡くなったばかりの頃にグリーフケア関連の本を読んでいて著者が出会った一編の詩があった。叔父と叔母のために、あの一編の詩を本にしてプレゼントしようと著者は心に決める。そして、それを手がかりに未来を切り開いていきたいと考えた。
著者は、父にお金を借り、出版社をやっている知人に教わり、「いい本をつくるのだから、まず、ちゃんとした出版社をつくろう」と形から入って、事務所を借りて法人登記をした。
会社はできた。けれど、そこから「一編の詩で一冊の本をつくる」ために、何から手をつけていいのか、まったく分か��ないまま時間がすぎていく。年上の編集者・Sさんが少し仕事をまわしてくれたが、大きな額ではない。
▼当たり前のことだが、ぼくが運営しているのは出版社なので、本をつくって、それを本屋さんに卸さない限り、お金はどこまでも減っていくばかりなのだった。(p.60)
著者が、これを一冊の本にしたいと思っている詩は42行、ムリをしなくてもA4一枚におさまる分量で、それを一冊の本に仕立てたいというのは、「本という「物」に対する愛着ゆえ」(p.60)と書いている。著者のなかにイメージはある。「かなしんでいる人に、言葉を届けたいというのとはまた違った。むしろ、言葉では全然足りなかった。読まなくても、テーブルのうえに、ベッドの脇に、置いておくだけでいい。そんな本を、ぼくは、丁寧につくっていきたかった。」(pp.60-61)というのである。
だが、どうやってつくったらよいかも分からぬまま、時間はすぎていく。お金は減っていく。
▼本音をいえば、ぼくは、すぐにでも、お金がほしかった。それも、たくさん、たくさん、ほしかった。…(略)
けれど、ぼくは、別にお金がほしくて出版社をはじめたわけではないのである。もちろん、会社を続けていくためには、相応の資金が必要なのだが、お金が目的となってしまっては、本末転倒になってしまうのである。…(略)
だとすれば、たとえ全然売れなくても、自分にとって、意味のある本だけを出版すべきなのだ。…(略)
それに、本当にまったく売れなかったとしたら、またアルバイトをすればいいじゃないか。アルバイト先の同僚をなんとか説得して、『レンブラントの帽子』を一冊ずつ、手売りすればいいじゃないか…。(pp.88-89)
一編の詩の本がすぐにはできそうにないので、そのあいだに著者は、絶版で入手が難しくなっているが、たくさんの人に読んでほしい文芸作品を復刊をしたいと考えた。そうして、夏葉社として最初につくった本が『レンブラントの帽子』だ。夏葉社は「ひとり出版社」だから、著者がみずから書店の営業にもまわる。
▼「わ! マラマッドが出るんですね! どーんと売りますよ! 30冊ください!」
「小島信夫、浜本武雄の翻訳っていえば、あの名作、『ワインズバーグ・オハイオ』やないですか! 50冊ください!」
「とにかくなんでもいいから、100冊ください!」
ぼくは書店を訪ねる前に、そんな奇跡が起こることをよく夢想したが、そんなことは起こらなかった。(p.116)
私は本屋の営業にはわずかしか行ったことがないが、『We』ができると、ブログにあげ、メルマガを出し、あちこちの書けるサイトには書き込み、新しい号ができましたとメールをほうぼうへ出すと、(明日の朝メールを開けたら、どーんと注文が…!)とはよく夢想した。けれど、そんなことは滅多になく、1冊注文があれば有り難いというときのほうが多かった。ばかすかと注文がくる、てなことはないのだ。
人は、そう簡単に本や雑誌を買わないのだった(自分がどれだけ本を買うか、雑誌を買うかと考えれば、そうなのだ)。この本の巻末には、夏葉社がこれまで出した本が12冊紹介されている。「売れる、売れない、は問題ではなかった」(p.137)とか、「ぼくの仕事は、ぼくの好きな人の本をつくり、それをひとりひとりの読者に伝えることであった」(p.138)とか、著者が書いている話を読むほどに、ひとり食べるのが精一杯とはいえ、それで会社が続いていて、本を続けて出せているのは、ラッキーなのかなーと思う。そういうこころで一冊一冊の本をつくっている小さな会社が続いていることに、驚きもする。
▼いくら、ぼくがいいものをつくったと思っても、本が全然売れないのであれば、仕事はいつまで経っても終わらない。
ぼくは、いつか、袋小路に入り込んで、だれもほしいと思わない本をつくってしまうような気がしている。たとえば、ある失敗を機にお金に困り、マーケティングなどといいだして、自分が必要としてはいない本を、これまで培ったノウハウで、ヒョイヒョとつくってしまうように思う。
ほしいかほしくないかと聞かれたらそんなにほしくないけれど、でも、きっと、読者がほっしていると思うんだ。
そんなことをいいはじめたら、ぼくの仕事は終わりだ。
毎日、気持ちが、グラグラしている。(p.176)
正直な人やなあ、と思う。正直に仕事をしてる人やなあ、とも思う。まだ読んでいないが、著者が夏葉社をはじめたきっかけとなった、42行の詩を本にした『さよならのあとで』を、こんど読んでみたいと思う。
(10/20了)
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「あしたから出版社」というタイトルに惹かれて手に取ってみました。
著者は本屋図鑑でおなじみ吉祥寺の1人でやっている出版社として有名な夏葉社の社長である島田さん。
ライトな小さな出版社の奮闘記と思いきや、それとは真逆な出版社を始めた理由が描かれており、しょっぱなから頭を殴られたような感じになります。
本書では、島田さんの半生や本に対する思いがたくさん書かれており、知り合いが「これは文学である」と評していたのですが、まさにその通りだとおもいます。
また本書で島田さんが、本、出版という行為が社会に影響を与えるべきものだということを書いていた気がしましたが、本書の最後には究極的には1人の個人に寄り添うものなんだということを感じました。
出版業界という大変な時代ではありながら、小さいサイズで数千冊という本を世に出し、1人1人に人生に影響を与えることができるものに挑戦する島田さんの、のっりくらりとした姿がとても好感が持てて、レーベル名にもある「就職しないで生きる」について考えさせられる一冊でした。
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今や「生きた伝説」の趣さえある夏葉社「ひとり出版社」島田潤一郎氏の初の著作「あしたから出版社」は明日から出版社を起業するためのハウツー本では一切なく、ある種の自伝とも信仰告白とも読める随筆ですが、氏のパーソナリティに追うところの腰の低い位置からポツポツと語られる島田氏=夏葉社のここまで歩みは、自己叱責と含羞の間くらいのスタンスで柔らかな声で語られつつ、開けっぴろげで実直です。またその足跡は不思議と大勢の魅力的な登場人物で彩られています。
当たり前のことながら「ひとり」であることは「孤立」ではなく、様々な人に恵まれ、また様々な人に返答するかのように恵んでいける「力」を持っていない限り成り立たないわけですが、一見「弱さ」を語り続けているかに映る島田氏の「力」はけして表に出てくる分かりやすい「強さ」ではなく「不屈さ」「折れなさ」であり、勝手ながら本作読書中に名画「ロッキー」のテーマが頭の中に流れ、咬ませ犬の三流チンピラボクサーが世界チャンピオンの前でただただノックアウトされないことだけを恋人に誓って試合に臨んだロッキー・バルボアの姿を思い、一人目頭が熱くなったりした次第です。
島田氏は体が許す限り人に会うため全国津々浦々を旅し続けていますが、これは営業であり社交ですが、ビジネスマン風のブラフとポジショントークのチャラついたものとは違い、己が信じるところで誠実に人に対し誠実に言葉を選んで誠実に物事を進めていく。単にそれだけのことが、この世で最も難しい部類あることは一般社会人になればよくわかるところで、それゆえに人が力強く島田氏を支え助けるのだろうということも分かります。
また、その誠実さを実行していくためた頑強な身体以上にタフな精神が必要であろうと思われますが、その精神的タフネスは島田氏の倫理に深く根差しており、その倫理は身近な人の死をその背骨としているのだろうということも分かります。
おそらく氏が埃を払いのけて復刊し編纂し編集してきた本の数々は「聖典」に等しいものであり、その「聖典」を家宝のように大事に抱えて全国の町の書店を旅する氏の姿を思うと、はたして自分はそれに敵う仕事が出来ているのかと猛省し、氏がこれから何十年先までも自らが信ずるところの道を歩み続け、夏葉社の本を全国の読者に届けていただけることを願ってやみません。
終章で触れる「かなしみ」について、そして「その場所でのもの作り」について「間違わないだろう」という確信は島田氏だけにとどまらず読者にまでちゃんと共有されたに違いないと思います。
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晶文社のこのシリーズが好きだ。自分はいわゆるサラリーマンだけれども、どんな仕事もその原点、原型は個人で頑張っている人たちの仕事なのだと思う。会社はそれを大人数で徒党を組んでやっているだけのことだ。会社という傘の下に集まっているひとりすぎないことを強く意識させられた。以前から夏葉社とその刊行物には興味があったので、とても面白く読むことができた。
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どんな感想も平凡になってしまいそうでなかなか書けなかったけど、やっぱり記しておかないと。なんでも、どんなものでも、ほんとうに欲しいもの(音楽なんかもそう)をつくっているひとにとって、一番の憧れは「ぜんぶひとりでやる」だと思う。もちろんそれは好き勝手やるってことじゃなくって、苦しいこともいっぱいあって、たくさんの人の手をかりるわけだけど、まっすぐまっすぐ自分のつくりたいものをつくる。これって、やっぱり究極だと思う。真似したいけど、できない。けど、すごく憧れるし、そうしてるひとを、心から応援したくなる。
島田さんのあまりに深い本への愛情と、あたたかな人柄が伝わる文章も存分に手伝って、時折涙をぽつぽつこぼしながら読んだ。夏葉社の本に乗った魂に触れたくなった。
「文学が、本が、特効薬になるというのではない。けれど、一所懸命、本と向き合うことで、すくなくとも日常の慌ただしい時間からは逃れることができる。辞書を引きながら文字を追い、そこに書かれていることに自分の経験を重ね、ときに、だれかのことを強く思うことで、自分の時間だけは、なんとか取り戻すことができる。」(P129-130)
「夏葉社」と名付けた理由がまたいい。
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夏葉社の本に出会ったのは、行きつけの町の本屋。その本屋は独立系の、いわゆる「町の本屋」であるけれども、いつもキラリと光る選書をしている。その本屋の文芸書新刊台の目立つ位置に、夏葉社の新刊はいつもとっておきという感じに並べられているのだ。
本書はその夏葉社の創業者にしてたった一人の社員である編集者、島田潤一郎さんの自伝的書籍。「就職しないで」というより「就職できなかった」と語る島田さんと、島田さんの起こした夏葉社。その今日までの道のりは決して穏やかではないけれども、厳しさばかりではない。それは島田さんが、人との出逢いと、なにより本作りという仕事を心から愛しているからだろう。読んでいると島田さんがなんだか宮沢賢治の童話か何かの主人公のように思えてくるのだ。純粋一途で、感激屋。思い込んだら一直線。少し周りをハラハラさせ(想像です)、素直で、どこかとぼけている。そんな島田さんの人柄や想いが、手がけた本にはにじみ出ているから、本屋はその想いを、誰かに届いて欲しいと願わずにはいられないのではないだろうか。
数多ある起業本や前向き自己啓発系本とはおよそ遠いところにあるこの本だけれど、迷える青年達にはとても身近に思える本だと思う。何度女性にフラれても、何度不採用通知をくらっても、今、好きなもののために動く、働く。その姿に勇気をもらった。
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吉祥寺で1人で出版社をやってる、夏葉社・島田さんの本。夏葉社のこれまでの歩み。
さらっと書かれてるけど、途方もない苦労、道無き道を拓いていく姿とともに、島田さんの本に対する愛、思いがにじみ出ている。
彼が現代のボン書店になってしまうのか、続けて行くことができるのか、が、これから(例えば、WebとかSNS的なもの、つながりの方法が生まれた時代の)の本作り、特に文芸というジャンルでの可能性の試金石であるように思う。
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たとえば、最初から出版社を作りたくて作ったヒトの話であったら、こんなにも心にしみなかったのかも。
何者かになりたくて、何者にもなれなくて、心が折れてくじけて諦めて、そんな中から出て来た「あの人たちのために本を作って贈りたい」という思い。その向こうにあったのが出版社だったからこんなにも心を揺するんだろう。本当はこんなにとんとん拍子に進んだわけではないはず。でもその苦労をことさら大袈裟に自慢げに書かないところが島田さんの周りに人が集まる所以なのだろう、きっと。
何を作るか、どんな本にするか、そしてそれを誰に読んで欲しいか。そういう「顔」が見える本の流れに自分もいたい、そう思った。
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経済的には厳しいのだろうが、著者はすごく幸せそうに仕事をして、そして生きている。身の丈に合ったという意味ではなく、自分の色とサイズで生きて行くのが、実は幸せになる秘訣なのだろうとしみじみ思う。
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苦しくて、切ない。
誰かのため、本のため、自分のため。
繋がってゆく縁と歩みに奇跡と軌跡と奇蹟と輝石を感じ、波紋のような大きな波のような、島田さんという人の魅力が詰まった一冊。
これから、なにをしよう。
これから、なにをどうしよう。
仕事に人生に悩む、そして本を愛する人に読んで欲しい一冊。
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大学の後輩らしい。どこかですれ違っていたかも。何となく地元の本屋で手にとって買った本。一気に読んで、ふんわりと共感した。不器用ながらも一直線の生き方が好感を持てたのか。いつか直接会って話してみたいと思った。
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ギョーカイ本・ビジネス書ではなく、かといって自叙伝でもなく、なんだかとっても不思議な本。
全体に流れている「かなしさ」にかなり惹かれました。
島田さんの不器用さや不安定さがそのまま吐き出されていて、読んでいるこちらまでなんかぐにゃぐにゃしてきました。
文学や本屋への想いについては、「そうだ、こういう感覚、私にもあった!」と思い出させられました。
夏葉社の本がますます好きになりました。
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一番応援したくなる出版社、夏葉社の島田さんの本。
夏葉社の本はどれも優しい空気をまとっていて、「そこにある」だけでも素敵だ。
この本を読んで島田さんの本に対する思いに触れ、その理由が改めてわかった気がする。
本がどんどん消費材みたいになっている今、一冊一冊に心を込めて世に送り出していく夏葉社のあり方は、「本を売る」という行為の本来の姿を再確認させてもくれるよう。
貴重で素敵な存在だと思う。