紙の本
指摘は鋭い。
2019/06/24 23:46
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雨宮司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
各事象についての指摘は鋭いし、多忙な中でもよく勉強していると思う。
結論が弱い。もしくは、報告に留めようとしている。
スタンスとしてはありだと思うが、やはりもっと掘り下げてほしかった。
面従腹背のイエスマンは要らないと思うから、そこに特化しても良かったのでは?
ちなみに、私は書く世代です。
紙の本
ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか (朝日新書)
2015/09/11 05:48
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:tonma - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分ではsnsはやっていないが、身内がはまっていて少々迷惑な所もあり、タイトルに惹かれて読みました。なるほど手放せなくなる理由が少しわかりました。すべて著者が言う事が正しいとは思わないが、思い当たることがある。また現在、世間一般に軽薄短小が進んでいる気がしていたのですが、すこし原因が判った気もします。
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粗製濫造以外の何物ではない本。のっけから著者が広めた「新型うつ病」バッシングを行いつつ、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの「問題点」を列挙するものの、ほとんど自分が「違和感を覚える」事例を「日本人の本質が変わった/変わりつつある」と述べるだけの代物であり、一般的な問題としての広がりを決して持つことはない、ただの空疎な世代論になっている。しかも知り合いから聞いた話などすら”論拠”になってしまっている体たらくである。
援用されている資料もせいぜい荻上チキ『ネット炎上』くらいであり(同書は悪い資料ではないが、それでも新書一冊だけ、というのは余りにも調査不足ではないか)、議論にしても正高信男『ケータイを持ったサル』(中公新書、2003年)などに代表される数周遅れの通俗的青少年言説の焼き直しでしかない(むしろ自身が過去に森健と出した『ネット王子とケータイ姫』(中公新書ラクレ、2004年)より著しく後退していまいか)。本書の研究としての意義など、皆無に等しい。
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興味深いという意味で面白かった!
そして納得!
ネット上にあふれるSNS。
昨今のこれらSNSについて何が気持ち悪いのかって肯定的な反応しかないところ。
おっ。いつぞやSちゃんが言っていたことと同じだぞ?
ちなみに私は、ありがたいことにSNS疲れとは無縁。
フェイスブックもLINEもやらないし、mixiは自分のためだけの日記利用しかしていないし。
何というか、考えてそうしているわけではないけれど、本能的にこの道を選んできている気がする。
ラッキーというべきか。
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めっちゃ挑発的なタイトル。
『弱者はもう救われないのか』とはうって変わって、いつも通りのふわふわした香山さん、という感じ。
わたしはソーシャルメディアよりも現実のほうが好きやなぁ。
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リカさんの本は好きなので読んでみました。
ネットでもまるきりの嘘を書いてはいけない!的な発想になったのが大きな変化なのかなぁ…。
ここまで普及する以前はホントか嘘か…みたいな雰囲気だったような記憶があるのだけれど、それは自分が見ていた分野や部分によるのかな?
後半。「文章だけでなく思考もスカスカになっていく」のあたりは恐ろしくなってしまい…。
自分自身を振り返ると、前より文章が書けなくなっているような気もする…。
ツールは使い様。使われてはいけない…。
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SNSの大衆化により、単純化が進行。
物事を深く考えず、レッテル貼りをし、炎上させる。
梅崎健理さんの持つ危機感と同じ。
劣化する日本人も読んでみよう。
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SNS疲れとか言われて久しいが、それが何に起因しているのか、その結果、世の中がどちらに向かっていくのかなど。学生を相手にしていれば、そういうこともあるだろう。確かに、「いいね」しかないFacebook、スタンプという文字のないコミュニケーションは、相互のコミュニケーションとは言い難いところはある。
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ソーシャルメディアの使い方について、何が気持ち悪いのか書かれている本。
個人的には、ソーシャルメディアの使い方については、きっと人それぞれです。とは言え、新しいものが出てきた時には時代に対応した考え方が必要になってくると思います。そうした考え方をまずは大人が大人として高めていくことが重要です。それを周りの人(子供を含めて)とも共有することが大事だと思います。
ブログはこちら。
http://blog.livedoor.jp/oda1979/archives/4721112.html
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ツイッター、フェイスブック、LINE当のSNSは生活に深く浸透しているが、その息苦しさ・気持ち悪さを論じた本。
自分自身を考えても、そもそも何のためにどうしたくてやっているのか、解らなくなっているのが現状ではないだろうか。
ネット上でのつながりを求めて参加するものの、その反対にある悪意や炎上、リスク等について分析を試みていて、納得できる点は多い。
しかし、そのSNSが変えつつある人間関係についての今後の展望については、こうあるべき、こう進むべきとの提示はなかなか難しいと思われる。
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前からモヤモヤと感じていたことが書かれていて、そうだよねえとうなずきつつ読む。携帯やスマホが普及して、ツイッターやらフェイスブックやらラインやらが世を席巻しているけれど、それって本当にコミュニケーション?と、流れから外れた旧世代は思うのであります。
香山さんが書いているとおり、それらはあまりにも一方向的のように思えてならない。誰もが言いたいことを言うだけ。返ってくるのはパターン化した賞賛や承認、ときに失敗して罵倒や非難の嵐。これをコミュニケーションと呼んでいいのか。SNSって、一方的な発信を双方向的なコミュニケーションだと勘違いさせるものじゃないのだろうか。
オマエがこういう所で誰も頼んでないのにせっせと本の感想なんか書いてるのも一緒だろ!と言われれば、まあその通り。ただ、言い訳をするならば、私にとっては本を読んで感じたこと、考えたことを「書く」のが第一義的な目的で、他の方からの反応は「オマケ」なのだ(オマケって嬉しいよね)。「つながること」そのものを求めているわけじゃない。香山さんが「仕事の場以外ではなるべく人と深くかかわりたくない、と思いながら生きている」と書かれていることに共感したりする。
ソーシャルメディアのあれこれも、確かに、うまく使えば便利で楽しいだろうとは思う。それはわかっているつもりだ。「読書」などという、非常に一般的な割には同好の士がごく少ない趣味を持っていると、同じような読書傾向の人に実生活ではなかなか出会えないが、ネット上には大勢の仲間がいるわけで、このことだけからでも、一概に拒否はできないと思う。こういう読書サイトがなくなったらさぞ途方に暮れるであろう。いやあ、考えられないな。
それでもなお。ブログからツイッターへと、発信される文章が短く断片的になり、さらに画像中心のインスタグラムが隆盛だと聞くと、なんだか取り返しのつかない事態が進行しているような気がして落ち着かない。次のくだりには、うーんと考え込んでしまった。
「ここで起きているのは、単に『文章力の低下』や『読解力の劣化』だけではない。自分で投稿した画像が相手にどう受け取られるかわからずに、とにかくリアルタイムでどんどんアップしていくだけ、自分の思いが正しく伝わるかどうかは相手次第という『一か八か型コミュニケーション』が、SNSでは主流になりつつあるのである。
もっと言えばそれは、『伝わればおなぐさみ、伝わらなくても仕方ない。どうせ何を言っても伝わらないのだから』というコミュニケーションへのあきらめなのではないだろうか」
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企業ではSNS疲れの大作として顧客の生の声を聴くのはいいが、その場で苦情は受け付けない。顧客には媚びない。
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ラインがコミュニケーションの主流になりつつある今、
若者の間では、もはや電話は自分にとっても相手にとっても
時間を拘束する迷惑なツールらしい。
ラインもツイッターもしない私には、ついていけない世界です。
他人が何を食べたとか、今どこに居るとか、
どうでもいい情報にかかずらってる時間の方が、もったいないと思うんですけどね。
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精神科医としてのアプローチは、いつもの香山流。
個々の木に発生する問題の診断から、森全体の問題を捉えるというのも的確な方法。「気持ち悪い」というのは、「居心地の悪さ」かもしれない。そこに馴染めない人たちにとっては、まさに居心地が悪いのだが、考えが固執してしまう人たちが集まると、確かに気持ち悪い。
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SNSだと別人格になる、フェイスブックのリア充自慢と軽薄な「いいね」、ネット依存症など、ネットにより便利になった反面いろいろな弊害や感情も生み出している。これらにどう向き合っていくかが私たちの課題。