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今日の日本的社会モデルの状況を、その成り立ちから崩壊、さてこれから、というところまでコンパクトにまとめ。
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閉塞感ある今の社会が、良きように変わるためにはどうすればよいのか。
新しい社会がどのようにあるべきかが書かれています。
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戦後日本社会のモデル化は的確。目指すべき社会像も共感できる。
しかし、そのための処方箋がリベラルに過ぎる。持てるものに、痛みを強いるのは至難だからだ。持てざるものの存在は、持てるものの保守化を促すだけで、より社会的な視点で動くようにはできないからだ。
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短期的には、著者が結論として示した社会モデルの実現は、相場的に厳しいと感じた。現状より少しでもマシな社会生活を実感できるよう、日々を実直に生きることくらいしか当座の方策が思いつかなかった。
大学改革については、(モデルの図における)「その矢印の方が自己目的化してしまい、三つの社会領域それぞれの本質的な存在理由が空洞化」(p.22)しているのではないかと真っ先に思った。
モデルの図は以下にもあり。
http://www.p.u-tokyo.ac.jp/~c-kodoka/symp100911/symp20100911%20s3%20honda.pdf
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問題へのシステムシンキング適用が必須の課題。
財源ばかりの政策では無駄ばかりが増えていく。
家庭・教育機関・企業を三位一体とし立て直す。
一方通行のスパイラルアップ方式は好調が基盤。
ひとつでも不調感染すれば立ち上がれなくなる。
三つが相互に補助し調整し合う理論に基づいた、
タイムラグのない、新たなパラダイムでの施策。
変わることへの恐れよりも希望を抱かせるもの。
共有協同による「溜め」を持つ自律のシステム。
いつも万民に都合のよい社会はありえなくとも、
まとまりとつながりのある社会に生きていたい。
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教育・仕事・家族のそれぞれのフィールドでの議論は活発ですが、その大切な3つの場を「結びなおす」というのは、世界中で求められている課題かなと思います。ただ、その実現にはどこから手をつけていけばいいのか?自分でも考え、小さなところから動いてていきたいポイントです。
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相変わらず熱い本田先生による憂国の書。
「社会の維持さえ難しくなるような危機はもう目の前に迫っている(p4)」で始まり、「多くの人々が「このままではだめだ」という感覚を生々しく抱く度合いが高まっている(p52)」で終わっている。熱いけれど分析は冷静で極めてわかりやすい。
戦後日本の3区分で「戦後日本型循環モデル」がいかに成立・普及し、破綻したか、2つの図と4つの環境要因で明快に説明されている。そして「新たな社会モデル」では従来モデルにはない逆向きの矢印や仕事・教育・家族の3領域を覆う「布団」が示されている。
「このままではだめだ」と思う1人として、それぞれの領域での関わりを意識していきたい。
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戦後の日本を、短い文章で論理的にわかりやすく解説されている。共感を抱きながらも、これまでの戦後型循環モデルの頑健さは感じながら、新しい日本モデルは理想論的過ぎた。きっと、これは新しいモデルを皆で考えるべきという余地を与えたものだという解釈をした。
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「世界をより良くする」というのは、みんなの共通の願いです。
この本が述べている「戦後日本型循環モデル」の破綻は、
確かにそうだな、と思います。それに対する新しいモデルは、
本を読んで得る、といった受け身ではなく、
自分で見つけて提示すべきですね。
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戦後日本型循環モデルが形成されたのは、様々な要因が偶然的に組み合わさり、家庭・教育・仕事の三つの要素のタイミングや更にはスピードが同様だったために起こりえたものだと分かった。そのモデルからの脱却を目指す上で、相互的に要素が働きかけたり、領域から脱してしまった人達のセーフティネットなどについて考え、自分なりにできることを社会の中で行動に移すことが大切だと思う。
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初岩波ブックレット
「社会を結びなおす」ことが、これからの自分がやろうとしていることなのでは?と思って買って積読だった。
タイトルは「結びなおす」だけど、書かれているのは結びなおすために必要な現状把握。しかし、現状とそれを生み出した経緯を抑えることは、次に進むために大切なステップ。そういう意味では大変示唆に富んだ内容だった。
日本社会が限界に達していることは疑いの余地がない。
私はその限界をユルく溶かしていくように進んでいきたい。
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仕事・家族・教育の3つの社会領域が一方向的に太く・堅牢に結合した「戦後日本型循環モデル」とする日本社会の捉え方には非常に腑に落ちた。
高度成長期・安定成長期でこのモデルが形成・成熟していったが、バブル経済崩壊の端を発する低成長期になるとこのモデルは劣化が進み、モデルに内在する様々な問題が生じているのが現状。まず、バブル経済崩壊等で仕事の領域が劣化。非正規社員の増加で非婚化・少子化が進み家族領域が劣化。家族の劣化で十分な教育を受けた若者が減るうえ、元々少ない公的支出は依然増えず教育の劣化も進んでいる。
対策(案)は、循環モデルを片方向から両方向にするというもの。現状分析に比べると、割かれたページ10ページ足らずで、論理展開もあいまいで迫力不足。
日本社会の現状を把握する上で、非常に有効な本だと思う。
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「教育は何を評価してきたか」や「『日本』ってどんな国?」の中で触れられてきた、戦後日本型循環モデルと、その破綻、それから、新たな社会モデルについて述べたブックレット。
二つの循環モデルについて、よーくわかる。
戦後の循環モデルは、教育と家族と仕事が強固な一方向の矢印で結ばれていたが、それは、人口要因や国際関係要因、エネルギー要因、自然要因がしっかりと支えてきたから。そのため、いい大学にはいっていい会社に勤める。そのために勉強する、ということが目的となり、本来あるべき根本的な意味が喪失されてしまうという、自壊的な性質を持つものであった。
これが、バブルの崩壊により、一つの矢印が崩れてしまうと、次々にこの循環が成り立たなくなり、更に、少子高齢化やグローバル化、災害リスクなどにより、この循環を支える要因も無くなってきたのが1990年以降。
ただ、循環している部分も残っているから、壊れ始めた部分の窮状をいっそう厳しいものにしている。
今まさに、フタコブラクダ化している、格差の原因がここにある。辛い…。
破綻したモデルにしがみつかないで、双方向に行き来できる新たな社会モデルにするには、メンバーシップ型の働き方から、ジョブ型正社員を増やすこと。
わかってはいたが、手が出せなかったこの方向に行くしか生き残りはできない、とそろそろ、政府も企業も気づく頃だと信じたい。
学者ってつらいね、と本田さんの本を読むと思う。すごく頑張ってくれてる。
私は読むことで応援します。
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マル激トーク・オン・ディマンド(第1136回)
『まず今の日本がどんな国になっているかを知るところから始めよう』
に触発されて読ませていただきました。
2014年6月に発行されていますが、今(2023年)読んでも古びるどころか身に迫ってくるようです。
戦後の日本社会を1973年のオイルショックと1991年のバブル崩壊をターニングポイントとして「高度成長期」「安定成長期」「低成長期」に分けて分析。
高度成長期〜安定成長期について仕事、家族、教育という三つの異なる社会領域の間が①きわめて太く堅牢で、②一方向的な矢印によって、結合されていること特徴とする「戦後日本型循環モデル」を提示。低成長期にこのモデルが破綻したと分析。
さらに新たな社会モデルとしてこの三者を結ぶ矢印が双方向的な社会を提示している。
日本の現状に危惧を感じている方、現状の打破を模索されている方に一読をおすすめします。
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私も『マル激』を観て「では処方箋は?」と思って読んでみようと思った。問題提起に対して回答が薄かったので、★★★★。
なかなか深刻なデータをここ数年多くの国民が目にするようになってきている。(ハズ)。なのに、なぜか多くの人はそのことに対する反応を自らで抑えているのか、あえてじっとしているような感じを受けてしまう。
もしかしたら、それは選挙における自分の1票の価値のように映っているのかもしれない。「どうせ俺の1票なんて何にも変えられやないし、、、。」的に。 人間自分の行動の手応えの想像ができないと、達成できないことと思い込んでしまうようにできている。新しい世の中はこの思い込みの壁の向こう側にあるということは歴史が教えてくれているというのに。革命家と言われた人たちは、おそらくそんな思い込みの壁が見えない奴らだったにちがいない。(革命家だけではない、実業家も、政治家も、何かことをなす人たちはみなそうだ)
戦後日本型循環モデル期に壮年時代を過ごした者たちはその運を自分の能力や実績と思い込まずに運だと認めて謙虚に残りの余生と資源を有効に引き継ぐことを考え、未来社会とそこに暮らす人たちを暖かく見つめる心を取り戻さなくては、如何なる政策も力を発揮し得ない。未来を生きる者たちだけでは背負うものが大きすぎる。どん底に落ちる前に目を覚まさなければ、、、。
と本田由紀さんがこの思いを綴ってからもう9年も経っているのか。
戦後減り続けてきた犯罪数が2022年からプラスに転じてきているという、社会のイタミの兆候が見え始めている。でも、私も含め周りの者はみなマクロな世界に目を瞑りミクロな世界の中を生きているように映る。