紙の本
「思いつき」が哲学として売られる時代
2014/08/31 19:28
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投稿者:とうとろ爺 - この投稿者のレビュー一覧を見る
接続過剰を批判していた千葉氏が、ツイッターに過剰接続した結果が本書である。
ツイッターの字数制限を有限性とし、それが思想を仮の形で断片化するとのことだが、出版に際しての自己都合の詭弁に聞こえる。蓋し体系化する力がない場所に切断の思想など必要なかろう。その意味で日本で切断を説くのは、体系化する力がない自己の弁護として機能する。ポストモダンがナルシストを量産した所以である。
千葉氏は最初の著作もまとめ切れていない。切断が自己弁護にならぬように、完成度の高い著作をものして欲しい。若いのに大御所の如き労力のない本を出すのは感心しない。
ちなみにこのレビューにも字数制限はある。むしろ、制限がないメディアなどないのではないか。千葉氏の言う有限性の観点においては、本書と4コマ漫画の単行本に違いは認められない。
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話題騒然のデビュー作『動きすぎてはいけない』に続いて贈る、すべてツイッター上で思考された哲学的アフォリズム集。入門的かつ実践的、「140字以内」の類例なき哲学書が誕生する!
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とにかく、まずは、疲れきった頭でこれを手に取ってみて欲しい。忙しい最中とか腰を据えてとかで読んでは、この本の旨味はわからないと思う。これは適当に読めばいいということでもなくて。いい加減に読むために、疲れていることをすすめる。そうすれば、ここに配置された千葉さんの言葉が、軽やかに入ってきて、静かな重みを残して、読むもののそこに沈殿していくような気がする。それが一つの正しい読み方であるような気がする。
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先行研究は読まなくてはいけない。が、アイディアが固まるまでは、読み過ぎるな。中2病でいいから、一時大正について自分のアイディアをいったん固めろ。先行研究で、近いことを言っていたものが見つかっても、断固として違うと言い張れ。そんなのは気合いだ、筆圧のこもった微細なレトリックだ。
博論を書くには、自分が世界の中心にいると思え。
学術論文を書くことは苦しい。肝心のいいたちことを存分に解放するまでの準備として、それほど書きたくもない前段階の説明をくどくどと積み上げなくはならないから。
英語圏の論文を読むとI assume thatという文が多い。私は私の責任において~と仮定する、という。
入門書ほどちゃんと買った方がいい。
身に着けようとする本への出費は、もうこれは出すすかないと諦めるべき。
大学とは様々な未来社会を実験するために様々な過去や異なる境遇や論理的、科学的な諸可能性を考える場所であり、現状の社会モデルに似ていないことも積極的に考える場所である。
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エッセイのような感覚でどんどん読める。が、それで終わってもつまらない。ひとつずつのセンテンスの間に何を考えるかが、この本を満喫する条件かも。
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ネット上では横書きのツイッターを、縦書きに直して編集されていることに最初はかなり違和感を持ったが、慣れてくるとそんなに読みにくさは感じなかった。こうしてツイッター上のつぶやきをまとめてみると、一種のアフォリズムのようにも読め、それはそれでツイッターの一つの「使い方」としてもおもしろいのではと感じた。
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ツィッターをやらないのでこうして書籍にまとまらないと読まないのだが、なるほどこういう出版物もありか。
ところどころに目を惹く感性を感じる。
ちなみに自分は、日本酒は抽象的ではなく具体的な酒だと感じている。
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雲の色が怪しくなり、家族連れがパラソルをたたみ始める。海の色が鈍くなる。そこに一人で残っていると、短く太陽が出て肌を温め、また雲に隠れる。そして車に戻る。
なぜ紙の書物が集中して読みやすいかというと、一冊の本は汎用デバイスではないからだろう。〔中略〕紙の書物は、コンテンツとハードウェアを一対一対応させた、極端に有限化されたデバイスである。
マイナーバンドを知ってる俺かっけーみたいなのは恥ずかしいにしても、オタク的でも大衆的でもない感性にきちんとyesをいう場がないのは非常にまずいと思う。
二兎を追ううちに、自分が三番目の兎になっていること。そういうのがいい。
どんなジャンルでもあえて低速にすると、高速なものより尊重されやすいような気がする。
僕の怠惰は徹底すると、もう密室劇の結論を押し付けられることさえダルいのである。〔中略〕僕はもう、あ密室?くらいでいい。そうなると、詩である。
勉強することは、変身の恐ろしさのまっただ中にダイブすることだ。
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私が女性のおっぱいなら舐めてみたいけど下は舐めたくないな、と思うのは「咥えこむ」行為にある程度興奮出来るからなんだな。フェラチオをしているときに相手が声を出していなくてもある程度興奮出来るのは咥えてるからだけど、乳首で相手が声を出さないと全く興奮できずすぐやめちゃうのはその行為自体には一切興奮出来ていないから。壁を舐めてるみたいなんだもん。
と、言うことをこの本読んで気づいた。なんで????
我ながらなんでこの本読んでその気づきがあったのか全くわかんない。。。。
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勉強するとは、自分を変えるということ。
本を読んで新たに知識を得た時、それを知る前の自分には戻れない。少し恐怖を覚えることもある。勉強は人に強制すべきではない。それは恐ろしいものだから。
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洗練されていて詩のようでもあり、何かの断片で文脈が分からなかったりもします。
時系列順でないのは、タイムライン上を流れていく風景のスケッチにも似ていると感じました。
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ツイートされた時のタイミング、さらに大きく時代を理解しないと分からないツイートも多いんじゃないかなと思いながら、割と流すように読んだ。
そういう読み方でいいんだと思いながら。
もともと流れていったものだから。