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わけわかめな本。
東京裁判についてディペートするところだけでいいのでは?
よくわからない妄想話が多すぎて混乱する
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何を、
何を言わんとしているのだろうか。
沢山の声が自分に流れ混んできて混乱する。
あらゆる場面に飛ばされて自分の今を見失う。
私とは何なのか、何からきたのか、誰から産み出されたのか、産み出したものもまた誰なのか。
人は動けない。過去は変えられない。出来事は出来事だ。
しかし意識は飛ばせる。想像すること。
想像するには、材料が必要だ。
その材料から目をそらし、考えることから逃げていた。
知ることをやめない人は、
常に向き合っている人なのだろう。
無知を心から恥じられるようになりたい。
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難解! いくつか文学賞を受賞しているのだけど。何度かあきらめつつ、それでも何とか理解しようと最後まで。でも結局理解できなかった。時を経て読めば、何かわかるのだろうか。。。むむう。
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”16歳の少女マリがたった一人で挑む現代の「東京裁判」”という帯に惹かれて購入。
ディベートの場面には興奮したけど、そこに行き着くまでが私には長すぎた。
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さまざまな賞を受賞しているだけあって、読み応えのある作品。16歳の少女に「天皇の戦争責任」を語らせるそれも肯定側の立場で。極東国際軍事裁判、東京裁判を学生時代のゼミで調べ、熱く語った当時を思い出しました。
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面白かった、けど難しかった。「天皇の戦争責任」「東京裁判に15歳の少女が挑む」、すごく興味を惹かれるテーマだったので買ってみたんだけど、たくさんの概念的なエピソードが盛り込まれていて、そっちを追いかける、というか咀嚼して飲み込むのに必死になった。
もっとリアルな部分のお話ばかり追ってほしいと思ってしまったけど、それだと作者の書きたかったものと違ってくるのかなあ。
表現がお上手でした。引用してあるところ以外にも、描写が素敵だなあって思うところがたくさんあった。
アニミズム、やら天皇制、やらいろいろな要素を使ってはいるけれど、つまるところ日本人の本質に迫っていて、わたしはやはり日本人の本質を決して嘆きたくはないなと思う。
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ディベートのシーンまでがあまりに冗長に感じた。戦争責任の解釈のところは非常に読みやすく興味深かっただけに、残念。
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天皇の戦争責任を題材にしている。
そのため、難解であった。
というよりも、あまり考えてこなかったことだけに私自身、主人公(であり著者でもある)マリと同じように混乱した。
天皇の存在とは何であろうか。
言われてみれば、それは曖昧模糊としている。
それは、私だけでなく、多くの日本人がそうだと思う。
何故今まで、そのような状態だったのか。
天皇の存在、置き去りにされた過去の人々。
彼らは、役割を演じただけなのだろうか?
その答えは、情緒的判断に捉われず、日本、日本国民の来し方を見つめてからでなければ得られないだろう。
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「16歳の少女マリがたった一人で挑む「東京裁判」」という帯など諸々の情報から、地道に東京裁判について調べる、という小説かと思っていたので、(その側面は確かにあるのだけれども)それ以外のある種妄想的要素を含む部分についていけませんでした。それ全部いらなくね?と言ってしまうのは簡単なのだけれども、天皇とは日本人にとってなんなのかというテーマを作者が扱うにあたって、それこそが重要なんだろうなと。なんだろうなとは思うのだけれど、もう少し読者に“媚びて”いただけるとありがたい。ちょっと自分ワールドが広がりすぎていて、消化不全です。
ラストのディベートはなかなか圧巻ですが、それまでの主人公マリの英語のつたなさと、突然のペラペラぶりに面食らったのも事実。(”誰か”にのっとられてしゃべっているという解釈もできるんだけれども)
たぶん、優れた作品なんだろうけれども、腹を決めて読まないと、なかなか厳しい一冊でした。
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始まりの死者や動物の声、未来を行き来する表現に戸惑う。進むにつれ、それが小説の重要な舞台装置であることが分かる。それは道標であり語り部となり当時のことを伝えてくれる。そのような存在がいなければあの戦争を教えてくれる語り部がどこにもいないことに気づかされる。語らないことで変わる機会を失ってしまった。残ったのは「恥」という気持ちで、故にタブーとなり語ることができなくなる。タブーは理由など考えず、ただそうあれと要求する。だから、語ることができず語り部が不在となった。故に反省しろと言われても反省できない。なぜならば、なぜそうなってしまったかを知らないから。罪を知らないのに何故詫びることなどできるだろう。
この小説のキーワードとなっている「天皇の戦争責任」は問えないと思う。なんとなく得た知識からそう思っていた。しかし、なんでだろうと考えさせられた。読み終わっても「天皇の戦争責任」は問えないと結論づけた。ただし、現時点の。日本は暗黙にそういうシステムだから。ただ、それは実行犯を罰するが責任者は問わないということになって裁判の結果としては後味が悪い。
「天皇」の「戦争責任」という主題が物語を牽引し、日米の文化や戦争感の差を浮き彫りにしていくのが興味深かった。知っている事柄がつながり、知らないことが間を埋めていった。
キリストという人神を崇めながら天皇という人神を認めない不合理に、合理とはいったい何かという疑問を投げかける。この「神」の対比によって日米の差が浮き彫りにされていく過程で日本人は、少なくとも私自身が「天皇」を他者に伝えられないことに気づく。大事だからこそ曖昧にすることもあるのだが、それは合理性に欠け、合理で納得する人には理解しがたい。でも合理性の人は自分の都合で合理を形成しているのだが。
この小説では語り部として霊のようなものが出てくるが、後半で英霊も出てくる。彼らの想いが語られるとき鎮魂を続ける必要があると感じた。他国の干渉に対して「遠慮」したりする必要はないし、遠慮せずに説明を繰り返しながら鎮魂を続けて欲しい。行為をどう受け取るかは人それぞれであり「都合」で意味を決めることは小説にも繰り返し書かれている通りだろう。おそらく鎮魂の意味は日本人のタブー故にねじれて理解され、さらに他国に対しては意味を伝える労を惜しんではならない。
世界は多様な人の集まりであり、そのため他者に意味を説明すること、他者の考えを知ろうとすることが必要だろう。違いを知らなければ認めることも否定することもできないだろう。
結局、「日本」に「日本」の語り部がいない。タブーこそ解体して再評価する必要があるのではないか。理由がわからないタブーは閉塞感を作り、それに対する不安と不満を解消していかないと最悪の方向に爆発してしまうのではないかと怖くなる。この小説のタイトルにあるプリズンは閉塞感と呼び変えることができるのではないだろうか。昨今のニュースからは時代の閉塞感と語り部の不在による捩れのようなものを感じる。
今までの疑問の一つを紐解き、考え続けることのきっかけとなる小説だった。「東京裁判」の翻訳をしていたお母さんのことが気になる。なので、この著者の「愛と暴力の戦後とその後」を続けて読む予定です。
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はじめて読む作家さん。
書店で見て、タイトルで購入を決めた。
アメリカの高校に通うマリ。
進級をかけたディベートのテーマは、天皇の戦争責任についてだった。
正直言って、想像したものとは違う展開だった。
マリが幻覚とも言える夢のような世界に度々引き込まれるのだが、そこの部分がわかりにくい。
幻覚に現れるものが、リトル・ピープルだったりしたときは、村上春樹みたいだなと思ったりした。
それ以外に、第二次世界大戦の英霊や、ベトナム戦争の枯葉剤による奇形児、マリの暗い記憶としてのヘラジカなど、物語に必要で象徴となるものも出てくるので、この幻覚のシーンは必要だということはわかる。
それでも、今のマリが現実なのか何なのかが判然としないため、読んでいて落ち着かない。
最終章のディベートの部分などは、是非読んでおきたいと感じた。
日本人がいかに近代日本史を知らないでいるか。
明治維新の頃までは深く学ぶ日本史は、以後ささっと終了してしまう。今の教育がどうかは知らないが、わたしはそうだった。
ハッキリ言って聖徳太子がどうしたとか、織田信長が本能寺でとか、そんなことよりももっとずっと大切で学ぶべき部分だったんじゃないかと思う。
マリは自分の国の憲法である日本国憲法が、戦後アメリカによって押し付けられたものであることや、天皇という曖昧でわかりにくい存在を説明出来ないなどといったことを、時にアメリカ人から教えられながら知り衝撃を受ける。
自分も高校生の頃に憲法の正しい認識は無かったし、今でも天皇を説明出来るかと言われたら自信がない。しかも英語でアメリカ人に対してならお手上げかもしれない。
幻覚世界の描写がモヤモヤとしながらも長いため、読んでいくのは辛いこともあった。
でも本書は、読んでおいて無駄ではないと思う。
日本人はもっと自国の歴史を知るべきだ。そして、反省だけでなく誇りも併せて持ちたい。
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「天皇の戦争責任」をテーマに16歳の少女が進級をかけたディベートを課される。大人でも問われたら窮するテーマ。何より戦争についてあまりに無知で考えを述べる材料が全くないのに茫然としてしまった。戦後70年、知らないことが多すぎる。
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留学先のアメリカメイン州の小さな町で、日本人を代表してマリは「天皇の戦争責任」について弁明することになる。アメリカ国民がイメージしている天皇ヒロヒトとドイツの独裁者ヒトラーの違いが分からない。日本国民にしてもまた、天皇を語ることを良しとしない風があり、その起源は神話に頼らざる負えない。
終戦後、天皇ヒロヒトの責任を日本国民が問わなかったことを奇異に感じているアメリカ国民と、戦後の被災地を巡る天皇ヒロヒトを歓迎した日本人の感情に大きな開きがある。韓国の前大統領が天皇に戦争責任ありとし、日本に謝罪を求めたとニュースに流れたときに、日本人として憤慨を覚えた方は多かったはずである。
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なかなか理解が難しい作品であったが、終盤のディベート最終弁論が良かった。天皇の想いが活字になって蘇ってきたように感じた。
キリストと天皇の対比も面白い視点だった。アメリカという国の不合理さもわかる気がした。
作品中でも指摘があるように太平洋戦争とそこに至る歴史を本当に教えられていない。歴史認識が叫ばれる昨今、他国も含めて理解しなければならないと思う。
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いやぁ、難しい本だった。
なもんだから、すごく時間がかかってしまった。
いわゆる文藝作品であり、物語小説ではないので書いてある事がちんぷんかんぷんなのだ。
内容はアメリカに留学した16歳の少女が、授業の一環で「天皇の戦争責任」を題材にしたディベートに参加するするという内容。
そもそも日本の社会科教育では、昭和史はほとんど勉強していない。
私自信もそうだし、今でもそうでしょ。
そんな少女がアメリカに留学してきた訳だから、日本人はそこんとこどう考えてるんだ?と興味が沸くのも解る。
しかし、日本人は知らないんだなぁ。。。。
で、必死に勉強する訳ですが、まあ解らない。
日本人の誰もがわからない事なんですから。
東京裁判とか日本国憲法とか。
それらはすべて英語。
英語を訳して、日本国憲法が出来てるわけだから、そんなの成立する訳ないのであって・・・
例えば天皇は「Emperor」と訳されてるけど、外人が感じるヨーロッパの君主としての「Emperor」と天皇は本来違うでしょ。
また、天皇に関しては、例えば「人間宣言」のくだりでは日本人さえわからない日本語が使われてて、それを英語に訳してアメリカ人(すなわち戦勝国)が理解しようとしてるし。
わかりやすい所で言えば、A級戦犯。
ほとんどの人が「rankA」と思ってるけど、元々は「classA」が訳されて「A級戦犯」になっちゃって、それが誤解を招いてるし、そういう事がいっぱいある訳ですよ。
私もまだまだ解らない事だらけで、その辺の事を少しでも知りたいなぁと思ってこの本を手にしたわけだが、ますます解らなくなってしまった。
ただし、解らない事さえ解らない人達は日本の事を論じてはいけないと感じます。
憲法守れ!とか言ってる連中・・・
それちょっと違うでしょ。
平和を守れ!なら百歩譲って理解しても良いけどね。
日本国憲法はもともと英語なんだから、英語で理解した上で「憲法守れ!」って言ってる?
その辺の事を考えさせられる本でした。
ただし、最初にも書きましたが、文章が凄く難しいです。
覚悟してください。
この本の後では、村上春樹だって簡単な文章に感じると思います。