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応答集なので、対談とはちょっと違うカテゴリにするべきだけど・・。
いろいろと美術周辺の概念を再確認出来る。
なるほどと思った箇所は多々あるが、
・日本画は図柄の視座である。
・芸術において失敗と成功は簡単に判断するものではない。
という話には納得した。
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面白いわー。「だってそれが美術だから」で片付けられそうな問いに真摯に答えていく森村さんの応答はどれもこれも素晴らしかった。やっぱ美術は面白いな!
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よい質問 は よい語り手 を
よりよい語り手に つくりあげていく
よい語り手 は よい質問を
よりよい質問に つくりあげていく
一つの「章」が まるで
すてきな芝居の「一幕」のようでした
次は どんな「幕」なんだろう
と ワクワクしながら
次のページを繰っていました
百人の芸術家がいたら百種類の表現がある。これは健全です。みんな同じというのは不健全です。
「迷う、ゆえに我有り」。「私」とは何か。この問いの答えを、私は迷いながら探しています。
わからないのがあたりまえであり、世界の常態です。そしてそのわからないことだらけを相手にしていると、時々ですが、サッと光が射し、なにかかがほんの少しわかる瞬間がある。
etc…
その「幕」の中に
こんな 決め台詞が
きちんと 用意されてしまう
こりゃあ おもしろい
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大阪を代表する芸術家、森村泰昌のエッセイ。(のようなもの?)
様々な分野、様々な年齢の人からの質問に答えるという形式で書かれている。
質問は「美術とそうでないものの境目は?」と言った素朴でありつつ、深く考えを回らせられるものまていろいろ。
森村さんらしい回答もたくさんあるけど、美術史に関するコメントなどは分かりやすく的確で、やっぱり森村さんは美術の人なんだなぁ...と実感。
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この本は『美術』に対して寄せられた質問を、美術家の森村泰昌さんが答えたもの。
質問者は美術に関わりのある方から一般の方まで。
質問内容は「裸体作品がハズカシイ」「オリジナルのものって?」「本当にみたまま(の感想)でいいんですか?」「表現者として震災に向き合うのは可能ですか?」「作品が完成するというのは、どういう状態ですか?」など。
いろんな角度から飛んでくる『質問』を森村さんが真摯に誠実に『応答』していく。
質問の意図を的確にくみ取ろうとし、質問者達が置かれている状況を想像しながら、丁寧に言葉を紡いでいるのが好感を持った。まさに『真剣勝負』。
『応答』は「こういう話題がくるのか」と翻弄され、「こういう結論にたどり着くのか」と目から鱗が落ちた。
森村さんは1951年生まれ。
1985年にゴッホの自画像に扮するセルフポートレイト写真を制作。以降一貫して『自画像的作品』を作り続けている方。
美術史にも造形が深く、いろいろな画家や作品が引き合いに出される。特にマルセル・デュシャンがお好きなのか3、4回名前と作品が出てきた。
ディエゴ・ペラスケスの絵画『ラス・メニーナス(侍女たち)』の写真を鑑賞しつつ彼の評を読んでいると、私まで感受性が豊かになったかのような錯覚が起こる。
文章にも定評があり、著書も多数。
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★▼「美術、応答せよ!」森村泰昌。2014年筑摩書房。森村さんのことは不勉強で全く知りませんでした。知人がこの本を読んで、「オモシロかった」と確かSNSで書いているのを見て、「読んでみようかな」と。
▼とにかく色んな人から美術についての質問を貰って、それにとにかく答えていく、という本。「ちくま」に連載していたものだそう。そして森村さんと言うのは、マリリン・モンローやゴッホにかなり克明に自らが「なりすまして」、それを写真に撮って…というアートで名を馳せた美術家さんだそう。
▼すごく長い時間をかけてちょっとづつ読んだので、細かくは思い出せません。でも、「ああ、美術で食べている、美術の仕事をしているひとは、なるほどこういう疑問や感情や不満や情熱を持って生きてるんだなあ」というのが伝わるだけでも、単純に面白かった。
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様々な有名人の変装を主にしたセルフ・ポートレート作品でお馴染みの現代芸術家が、小学生から大学教授までバラエティに富む33名から寄せられた芸術・美に関する37の質問に答えた問答集。これが本当に面白く、どの回答も切れば血が流れるような真摯さに溢れていて感動さえする。
例えば、高校2年生から寄せられた「日本にも浮世絵など優れた芸術はあるのに、なぜヨーロッパだけが芸術の都といわれるのか?ずるくないか?」という素朴な質問。
これに対して、著者はまず、芸術におけるヨーロッパのずるさを全肯定する。一方、目線を芸術以外に向ければ、戦争もなく餓えて死ぬこともない日本に対して”ずるい”と思う国・地域もある、という事実も述べた上で、
1.「ずるい」のは相手だけじゃない。
2.「ずるい」ことを避けるため、世界の中心になどならないほうがよい。
という2つのテーゼを引き出す。そして、その結論として、一つの狭い観点だけで特定の地域を崇め奉り、それに対して「ずるい」と思うよりも、多面的な観点で世界の国・地域を相対化することの重要性を説くのである。
質問に対して真正面から答えつつも、論理の鮮やかさによって、質問者に新たな気づきを与えるという問答の理想形ともいえる完璧な回答。そして何よりも、文章も非常に巧い。
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京都・新風館oyoy発見シリーズ『美術、応答せよ!』(森村泰昌)。
この本読んで、
「美術を考える事って、生き方を考える事に繋がっているような…」と
思った次第です。
その影響を受けた文が以下7点抜粋。(ホントはもっとある!!!!!)
❶オリジナリティって、作り出すものではなく、おもしろいものを作ろうと努力していたら、勝手に向こうからやってくるもの
❷ みんながアッチを向くなら、私はコッチを向こうかな、世の中にそういうヘンクツ者がいたっていいじゃないかと私は思うのです。そしてこの、みんなと同じアッチじゃなく、誰もが興味を示さないコッチを向く姿勢にこそ、芸術家のあるべき姿を見る思いもするのです。
❸ 「これだ」と決め、一生懸命やるのですが、やがて「これではない」と感じるときがやってきます。そしてまた別のことをやる。
❹ 私はゴッホになったことが嬉しかったのではなく、ゴッホにもなれるという私の能力の発見に喜びを覚えたのだ。
❺ 「迷い」とは、優柔不断で決断力に欠けるネガティブな性格なのではなく、むしろ多様な「私」になりえる才能である。
❻ 芸術の「発表/発売」がタイムラグなしに「結果」となって現れるとは限りません。レオナルド・ダ・ヴィンチやフェルメールだって一度は忘れられたのです。
❼ ひとりでやらなきゃなにも作れない。しかし同時に、ひとりきりでは、その時代の文化は到底生み出せません。違っていることではなく、ひとりひとり個別に悪戦苦闘していたことが、ふと気がつくと同じ方向をめざしていたという、この、時代精神の共有性が文化を生み出すのです。
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あげればキリがないほど、この本にはつまってました。
読書において「どこにどんな文があるのかを見つけるのが楽しくて本読んでる」っていうのが目的かもしれませんが、
自分でもよくわかっておりません。
読んでて元気でるからかな。
それから……
絵についてずっと感じてた疑問の答えがこの本に書いてありました。
「絵に描かれた人物って、写真より怖い」と今でも思うのですが……
どうやらこれは、「絵が「ささやいている」からっぽい。
「絵というものは意外に謙虚な性格で、自分から「私を見なさい、私の言うことを聞きなさい」などと、見る者に鑑賞を強いることはありません。壁に掛かり、そして何事かを小声でささやいているだけ。観る者がひとりもいなくても、夜も昼もささやきつづけている。そのかすかな「ささやき」にふと気づき足を止める者だけが、しかるべき鑑賞者となる。」
と本書で書かれているのですが、
絵に対して無関心だったら、コワイもクソも感じないはずで。
どうやら「ささやき」を聞いてしまったらしい。
小学校の渡り廊下に飾られたモナリザは一体何をささやいてたんだ……
いや……
今なお何をささやいているんだ……
と、思ったら「ホホホホホ」という笑い声が浮かんでしまった。
………というホラー要素を持ち込みたがる悪い癖が出てしまった。
どっかで展示してないかなぁー!
ちゃんと話聞くよ(観るよ)!!!
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パラパラとめくって読んでいたら字が多いのに、
なんだか興味を持ちました。
実際に読んでみると、確かに文字は多かったけど
すごく参考になりました。
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2023.9.1市立図書館
まえに「ちくま」の連載で読んでいたものをまとめた単行本だが、ちょっと思いだして読み返したくなったので、借りてみた。
美術・芸術についても、そのほかのさまざまなことについても、誠実で信頼できる人だなと思える。
好きなのは、4(本当に見たままでいいんですか?)、17(作品が完成するとはどういう状態ですか?)、18(思い通りに絵を描く技術は普及できる?!)、26(南伸坊さんのお仕事と、どこが違うのですか?)