紙の本
「勤勉」に価値はあるか?
2017/07/09 12:30
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投稿者:猫目太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「日本人は勤勉」と誇らしく(特にお偉いさん)自慢するが、果たしてそうだろうか?その代表で、現代でも神格化される「二宮尊徳」の実像はどうだろうか?宗教的、思想的な影響はどうだろうか?本書は検証段階で結論は出していない。言えることは、今だに「勤勉性」に価値を見出そうとする考えが「合理的」ではなく、思想性と宗教性に支えられる「非合理的」ということだ。それは「自発的」であり、結果として「自己責任」となり、過労や過労死を解決しようとしない。決して勤勉性は、国民性では無く、わずか百年間の出来事だったと思える。なぜ「怠惰」はいけないのか?お偉いさんは、それを「悪」としてきたのか?それを考えたい(個人的には、怠惰や怠慢は大好きだ)
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過労死に至る日本人の「勤勉性」のルーツを分析するもの。
江戸中期の浄土真宗本願寺派の教義の中に、「勤労のエートス(社会の倫理的雰囲気)」が生まれ、全国に徐々に拡大していく。
その後、明治維新後の新政府が、欧化政策を進める一方、日本のアイデンティティを守るため、国家の基軸として、皇室を据え、その模範的人物として、二宮尊徳の孝行、勤勉、を再評価し、修身の教科書に採用することとした。
このため、急速に日本人は勤勉化していくこととなり、勤勉的な人の人数が怠惰的な人の人数を上回ることとなった。
その後、第二次世界大戦の敗戦後に広まった自由主義・民主主義が、日本人の勤勉性と結びつくことにより、参加意識を高め、自発的に働くことを「働きがい」と感じ、より一層勤勉な労働者が増加してきた。
ここまでは、真の自発的な勤勉であると言える。
しかしながら、昭和40年代以降、年功序列型の賃金体系を見直すために、導入された「能力主義」が、「意欲」や「やる気」も考慮要素とする「日本型能力主義」の導入により、その様相は一変する。
業績、能力だけではなく、「意欲」「やる気」も評価項目とされるため、自発的であることを装う必要が生まれる。すなわち、自発的隷従である。
政治学者の渡辺治氏の言葉を引用しているが、「労働者は外的強制のもとでは、過労死になるまで働くことはない。過労死が社会問題化するのは、労働者が層として企業のために外見的には自発的に忠誠を尽くす構造があるからである。」
本書は、具体的な解決策は提示していないものの、歴史的な流れを踏まえて分析しており、非常に興味深かった。
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◆日本人の「勤勉」という価値観の源流をたどり、その帰結として人びとが「自発的に」「勤勉であること」を強いられている(自発的隷従)現代に至る過程を論じている本です。そこには、思想、為政、企業、さまざまな立場から勤勉であることが価値観として求められ、そのなかでつねに変容してゆく人びとの様子が描かれています。
◆「勤勉」ってどこから来た考え方なのか。ましてそれが死に至るほどに強固な価値観となったのはどのようにしてなのか。思想の歴史という面から「働きすぎ」に迫っています。(ですが個人的には、ウェーバーを持ち出す必要があるのか……という感じは否めません)
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「日本人はいつから働き過ぎになったのか」
日本人の勤勉さについて歴史的に検証している。検証はすべて仮説として断定していないところが奥ゆかしい。
マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が念頭にあり、近代資本主義がプロテスタンティズムの倫理の精神に支えられていると言うことから、日本におけるプロテスタンティズムの倫理に代わるものは何かという議論と言える。
その元は江戸中期における浄土真宗に起源があるようで、勤勉に働くと言うことが宗教性を持ち、日本の近代資本主義の発展に寄与したと考えられる。
現代に至るまでには幕末から明治の激動を経て武士の倫理が庶民へ影響したこと、福沢諭吉の「学問のすゝめ」、明治政府による二宮尊徳の再評価などが、勤勉に働くことが暮らしを豊かにするという考えを後押ししている。
また、戦中の「最高度の自発性」といった滅私奉公をベースとした精神主義、戦後の終身雇用、年功序列、企業内組合を通じた労働者の企業への参加意識が自発性・自主性を高めついには過労死や過労自殺までに勤勉さを先鋭化したと言うことらしい。
著者は最後になぜ怠惰ではいけないのかと反問しているが、周りを見る限り既にそれほど勤勉な人がいるようには思えないのは気のせいだろうか。どちらかと言えばいい加減な人が多くなりまわりに迷惑をかけることが多くなっているのではないだろうか。少々疑問を感じた。
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日本人の国民性として挙げられる「勤勉」について、いつからそのような性質が生まれ、称賛されるようになったのかを歴史的背景から考察した一冊。
江戸時代の農民、武士の生活、明治、大正、昭和と戦中戦後の経済成長の時代を経てどのように日本人の勤勉さが変遷してきたかを描いた段はとても興味深かった。二宮金次郎や松下幸之助などいわゆる「勤勉」な人物が日本人に与えた影響に関する考察も面白かった。
でも、そこからもう一歩踏み込んで、現代のブラック企業、サービス残業、過労死や海外の勤労観との比較などについての論評も欲しかった。前書きで触れられていたこともあり、そこを期待して読んでいたので。それまでの記述はとても丁寧で文献もかなりあたっていたようだったので、最後少し尻つぼみ感があって残念。
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働きすぎは日本人の勤勉性に端を発する
勤勉性はせいぜい数百年程度の歴史しかない
勤勉性の原因として二宮尊徳、浄土真宗、戦時体制、資本主義、松下幸之助、高度経済成長期などを挙げている
二宮尊徳は勤勉な農民を育てようとしたが抵抗にあって挫折した。
このことから勤勉に嫌悪感を持つ農民が多かったことがわかる
日本人は昔から勤勉だったわけではない
なぜ勤勉でなくてはならないのか、なぜ怠惰ではいけないのかを考えなければならないという指摘はもっともだ。
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読了せず。
日本人がいかに勤勉さ、それも、自発的な勤勉さを強いられているのかよく分かるし面白い。
ただ、仕事がしんどい時に読む本ではなかった。
この本を楽しめる余裕は、いつ生まれるんだろうね。
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日本人はいつから働きすぎているのだろうか。
日本人は「自発的従属」であるのだ。
なぜ「勤勉」じゃないといけないのか。その「勤勉」という意識を支えているのは「非合理」な考えなのだ。何も信憑性がない。なぜ「怠惰」はいけないのか。
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過労死しちゃう日本人の、勤労観のルーツを探った一冊。
二宮尊徳をディスってたり、浄土真宗、吉田松陰や福沢諭吉などを辿る流れがとても興味深い。
明治時代から松下幸之助、戦後復興から過労死・過労自殺までの考察なども。
文章が高くてユーモアがなくて、息苦しい論文調なのがとても残念だが、「勤勉は美徳だか、過労死が美徳なわけがない」という一文にはしびれた。
どこまでも利益を追求して自分の時間、そして人生を無尽蔵に費やす日本の悲しい生き様が、いつか改善される日を願うばかりです。