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ストーリーまんがのバックの描きこみや、登場人物が持っている新聞や本への書き込み、そんなものに仄聞される大島弓子的日常性をいかに愛し、読みこんできたか、あらためて懐かしく思い起こされます。
本文で指摘されているとおり、私たちは大島弓子の日常ではなく、大島弓子が許した日常を読んできたんだなと思います。
私たちが背景や小道具の中、欄外、目次コメントなどで読んでいた大島弓子の日常エッセイが、現在のエッセイマンガ隆盛の嚆矢だったという指摘も、正しいと思います。
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繊細な絵とメッセージ性の高い大島作品は決して得意ではない。それでも代表作は繰り返し読んきた、単行本で、文庫で、愛蔵版で。
本書の丁寧な解説で、解釈のヒントをもらえたから、また、読み返したくなった。
sou-yomitaino,imakoso!
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大島弓子論なのだけれど、そこから拡がって、少女マンガ論にもなっている。独特の世界観があるのに、普遍性も兼ね備えているのだなぁ、と。
こんな風にも読めるのか、という気づきもあって、自分が好きな作家や作品を、読み巧者が語ってくれるのは、面白い。
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大島弓子作品に出合ってよかったと思う。だれもが「私だけの大島弓子」と思っているという考察はなるほど。マンガ読み返そうかな。
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読了:2019/8/21
すごーく想いのこもった本。イラストエッセイみたいな雑誌掲載のみのカットもよくぞこれほど…と思うほどの量が散りばめられている。当時好きだった人にはたまらないだろうなぁ。
しかし、バナナブレッドのプディングを読んだ時から感じた「私は大島弓子の世界には入っていけない」という感覚は変わらなかった。
どれほど解説されても、幸せなお嬢さんの幸せな悩みという感覚が消えなかった。あとはやはり「周りがなんとかしてくれる」という感覚が作品全体にも、そしてこの本を書いているひとたちの中にも漂っていると感じた。
たとえばp. 240「あのこ、あたしたちの子供なのよ。あのこの頭の中ではあたしたち両親なの。あたし、あのこを育てるつもりだわ」と言い、角松くんも「よし、パパになったる。なったるでーっ」とそれに同意する。何かにこだわり続けている人間に対し、周囲が、この子を育てる、と決意したとき呪縛は解ける。」なんの義理があってただの友人が同年代のメンヘラちゃんを庇護し育てなければならないのか。バナナブレッドでも同様の解決法だったが、その「なぜ」に対する答えは「主人公だから」しかない。大島弓子が好きな人はそれを「(どんなに平凡であってもこの世でただ一人の特別な)わたしだから」に変換して自分を救うのかも知れない。でも、私はすでに「“私だから”という理由で周囲が救ってくれることなんか起き得ない」と身を以って知ってしまっているので無理なんだ。