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日本経済新聞社
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語れなかった物語 アーザル・ナフィーシー著 沈黙にひそむ母娘の愛憎の記憶
2014/11/9付日本経済新聞 朝刊
本書は、世界的ベストセラー『テヘランでロリータを読む』の著者が、自身の幼年時代から、イラン革命後、祖国を去り、国に残してきた両親が亡くなるまでの半世紀にわたる家族の物語を綴(つづ)ったもの。それは、シャー(国王)のもとで西洋的近代化を推進したイランが、革命によって王制が打倒され、イラン・イスラーム共和国が成立するという波乱の時代に相当する。
だが、家族の物語を通して、激動のイラン現代史を描き出すのが本書の眼目ではない。作品には一家と関係するさまざまな人物が登場し、さまざまなエピソードが織りこまれているが、英語版の副題に「(ある放蕩(ほうとう)娘の)回想」とあるように、本書の真髄(しんずい)は、「娘」が回想する母親の物語であり、理不尽な暴君である母とその犠牲となった娘の物語である。
母ネズハトは、幼い頃、母親を(おそらくは自殺によって)亡くし、最初の夫は、彼女に不治の病であることを告げぬまま結婚し、一年後に他界。これらの出来事が母の心に癒しがたい傷を与え――と娘は推し量るのだが、母は決して真実を語らない――、理不尽な現実に復讐(ふくしゅう)するかのように、母は自分が信じたい物語で現実を塗り固め、夫(著者の父)や娘をその理不尽さで不幸にする。家庭的愛に恵まれず、女であるがゆえに医師になる夢を叶(かな)えられなかった母は、自分が叶わなかったことすべてを娘に与えようとし、同時に、自分が奪われたものをふんだんに与えられる娘に嫉妬する。
母親の愛に恵まれなかった著者は幼い時から、文学を愛する父親にイラン古典文学の薫陶を受け、想像力の世界で人間は自由を得ることを学ぶ。前著『テヘランで~』は、イスラーム共和国の抑圧的体制が人間に課す理不尽に対し、文学を読むことで抵抗する物語だったが、文学的想像力が人間を自由にするという信念を著者に培ったのは、母ネズハトの理不尽であったのだ。
母親は「真実」を明かすことなく世を去る。実母の死や最初の夫について母が真実を語ってくれれば、このようでしかありえなかった母を許し、母娘の関係はもっと違ったものになっていたのだろうか。原題は「私が沈黙してきたこと」。それは、自分が望まぬことは断固、拒否することを貫いた母の生を象徴する沈黙をも意味していよう。思えば、母も母なりのやり方で、物語を想像することで、理不尽な現実に抵抗していたのだとも言える。本書は、自分を今ある自分にしてくれた母親に、著者が捧(ささ)げるオマージュである。
原題=THINGS I’VE BEEN SILENT ABOUT
(矢倉尚子訳、白水社・3200円)
▼著者はイラン生まれ。97年米国移住。ジョンズ・ホプキンス大教授。
《評》京都大学教授 岡 真理
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