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あらためて記号消費について考えさせられた。たとえどっぷりと浸からないまでも、実際に身を訪れてみて/置いてみて、そこで自分なりに感じ取ることを大切にすべきであって、誰かが書き表したことをどれほど読み漁ってみても、当然それだけでは広がりを見ない。
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弱いつながりって恋とか結婚とかか。強いつながりってネットの仲間とかか。なるほどー考えたことすらなかった。でも納得。そういえるね。こうやって固定観念を(思考停止を)崩して生きてかないと。イコール検索ワードを探す旅だ~そういうことだ。
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読書会の課題本として読みました。分量は150ページ弱、1ページあたりの文字量も少なく、あっという間に読めました。
著者の主張はざっとこんなところでしょうか。
今の人は、ネットという、一見弱そうで強い絆に縛られすぎている。自分を変えよう、不測の事態に対応できるようにしようと思うなら、環境を意図的に変えること、旅に出ることが重要だ。今までの環境にいただけでは手に入らなかった検索ワードを持って、世界を広げることができる。また、旅には観光客として、自分の世界を広げる手段としてクールに付き合えばいい。無責任だからこそ他者の世界をも広げうるのだ。
主張が明快でわかりやすく、かつなるほどな、と思わせる内容でした。
特に、情報はネットに転がっているのに、日本語で検索していたから引っかからなかったという話は、この前のイタリア•ギリシャ出張で嫌という程思い知った。私の世界はまだまだ狭い。
この本で、新たな検索ワードを手に入れる鍵をもらった気がします!
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検索するにあたって、今の立ち位置を変えると言う論旨は分かる。けど、何故そこまで検索しなければならないのだろうか。人生を豊かにするため?
もう一度読み直さなければ…
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ネットは今や世界を狭くする。それを広げるために観光客として旅に出る。そしてまたネットに戻る。あくまで今の時代の生き方を少しよくしようとする提案です。
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とても好きな本です。デリケートな問題に触れているので批判的に捉える人は多いと思う。
わたしはおそらく何度か読み返す。
シンプルで読みやすく、短時間で読める。
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SNSや検索の情報フィルター機能により、思考世界がどんどんと狭くなっていく。これをインターネットにより「強いつながり」がますます強化されるということを言っている。これはイーライ・パリサーが『閉じこもるインターネット』でも「フィルターバブル」現象として詳しく批判的に論じたように、多くの人が共通感覚として持っているものだ(と、自分は思っている)。「ネットでは見たいものしか見ることができない」というのは今後の社会分析をする上では非常に重要な認識になるだろう。
著者は、「検索ワード」にその荷を背負わせているが、明らかにネットのつながりを狭く強くする方向に動かしているのは検索ではなくSNSによる情報フィルタの影響の方が強い。そんなことはほとんど自明なように思われるのに、あえて「検索ワード」を「ずらす」ということにこだわる。そこには、「検索ワード」という使い勝手のいい言葉思い付いたなということで、無理につなげてしまう一種の思考上の欺瞞のように思える。フィルターバブルは「検索ワード」が限定されてしまうことにより発生するものではない。それを「検索ワード」とすることによって、議論の正確さが失われてしまうのではないだろうか。
そして、「強いつながり」や「フィルターバブル」からの脱却を「観光」に求めるのはいかにも軽すぎる。「観光」においてのある種の無責任さと一時性がその利点として強調されるが、著者のポジションとしてもそれは軽すぎるのではないか。
著者は、観光客となることについて、次のように5つの心得としてアドバイスしている。
1.無責任を怖れない。
2.偶然に身をゆだねる。
3.成功とか失敗とか考えない。
4.ネットには接続しておく。
5.しかし無視する。
これらのことで何が変わるのかわからない。これはメタファーなのか。
「フィルターバブル」を意識的に破ることが重要だということ。ただ意識をしても日常では実行は難しいので、あえて観光するということで場所を動かすことで実現しようというのがメッセージであるのか。
もちろん、いかに「フィルターバブル」による切断を破るのかというのが思考が果たすべき大きな役割となるのかもしれない。ただ、「観光」はその解なのだろうか、と思う。
「観光」の定義が必要だろうというところで、「観光」- 欲望させるための「観光地化」という論旨が出てくる。
「旅先で新しい情報に出合う必要はありません。出会うべきは新しい欲望なのです」と言う。アウシュビッツも広島も観光地となった。チェルノブイリもそうなっている。福島もそうなるべきだという。それが忘れられないために必要な作法だ、そう言っているように思える。
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著者は、アウシュビッツを学生時代に訪れ、「アウシュビッツについて何十冊の本を読むよりも、強烈なものを受け取った」と言う。それは、あまりにナイーブな「感想」ではないのだろうか。
自分も学生時代にヨーロッパの東欧・中欧を一人旅したが、同じくアウシュビッツに行かなくては、と思い立ったのも理由のひとつだ。著者は1990年代の半ばに訪れたと書いているので、ほぼ同時期にそこへ行ったことになる。ビルケナウにもタクシーで行って、同じように過ごした。そして、自分はそれとは少し違う思いをもった。クラクフの町のレストランで、たまたま駅で一緒になった日本人と「肉は食べづらいなあ」というような会話をしながら結局カツレツのようなものを食べた気がする。強烈な印象を受けなかったわけではないが、それよりも何かを強烈な印象を受けなくてはならないという力を内側から感じた。自分はこの目でその地を見た、その事実ができたことが大事だという気がした。そう思わなくてはならないとも思った。
もしかしたらそれは逆に今では実際に現地に行く必要もなく得られる感覚なのかもしれない。
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この本に対して自分が象徴的であると感じたのは、「ぼくの出発点は、ジャック・デリダという、二十世紀フランスの哲学者の研究です」と書くところだ。つまり、東氏がデリダの研究をしていたことはおろか、そもそもデリダという人が誰だか知らない人を読者として前提していることがわかる。「一回限り「この人生」」や「たったひとりの「この娘」」と書くときに、柄谷行人の『探求II』の「この私」の単独性の議論を意識しているはずだ。正しい正しくないは別にして、読者にそのような読みを要求しない。そもそも「ですます」調だ。言論空間はずいぶんと変わったなと感じた。
福島の「観光化」はひとつのソリューションとしてありうる話だとは思った。ただ、閉じたネットからの脱却が「観光」であるとは思えなかった。
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自己啓発のような内容。しかし、根底には哲学の思想が渦巻いている。読みやすくまとまっているけれど内容はしっかりしており、考えさせられる。僕らが検索するものはある程度決定的であるから、そこから抜け出すために、リアルの世界で旅をして、新たな検索ワードを見つける。この提案は、デジタルが幅を利かせる時代だからこそリアルが大事なんじゃないかと思っていた僕にとってとても共感出来たし、次のステップを見せてくれたように思う。
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タイトルから何の本だろうな、と興味が湧き、
目次を見ても内容を推測できないしTwitterで流れてきてるしで読んだ。
前々からGoogleの検索って万能ではないなぁと感じていて
それこそ検索ワードが分からなければ探しようがないし
海外サイトを翻訳しても誤変換多いなぁと感じていた。
その苛立ちの解決方法がこの本には書いてあった。
それこそ弱いつながり。らしい。
検索ワードを閃くために、本の雑多読みや
気になる映画片っ端からみたりしていたけど、
それよりも本で指摘しているように旅に出た方が感じることが多いし(五感から)
なにより情報量がすごい。
そんなことに気付いた本でした。
あとはネットのつながりこそ強いつながりだというくだりは、なるほどでした。
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東浩紀さんの本を初めて読んだ。新聞やラジオで、紹介されていたので、図書館で借りてみた。
特に後半の、人生や人間関係についてかかれているところがよかった。
「人生のほとんどは、かくも危うい偶然の上に成立している。」
「人生において失敗は、次の局面の出発点になるかもしれない」
「旅先でネットには接続するけど、人間関係は切断する」
など、確かにその通りだなと思いながら読んだ。
ネットとの付き合い方から、自分の人生をどう捉えながら生きていくのがよいのか、まで書かれており、期待以上によかった。筆者がラジオで言われていたように、ある程度社会経験を積んだ年代の人におすすめだと思う。
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なるほど、著者のご指摘の通り。ネットはそのように使っているし、どうも環境に抵抗する事はできないようである。その場に行かないと検索すらすることはないのも...納得。いちいち、言われてみれば...が多い著書である。
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著者はまず、ネットは強い絆をどんどん強くするメディアであると主張している。そして、弱い絆はノイズに満ちたものである、と。タイトルにもなっている「弱いつながり」は、今の自分の世界にはない要素を取り入れることができる、ネットではないリアルの世界でもたらされる「ノイズ」を指している。Google検索は予測キーワードで個人の世界を強化し、深化させる。けれども、広がりはほとんどない。著者はそれを危惧している。
経験、すなわち検索不可能なことから得られるものは、濃く、インパクトの強いことが多い。著者は本書で、ネットにはノイズがないので、現実世界でそれを見つけるべきだと提案する。その手段のひとつに、旅を例にあげている。そして、本書でそこで得た気付きなどを歴史、そして地域的背景と絡めて紹介している。
本書を読んでうんうん、と肯き、どこか前向きな気持ちになれるひとはとても多いと思う。けれども、それを実践できるか、その先にこの本の存在意義があると思う。気付きはあれども、既に自分で実践していたり、体験していたことが多く書かれていたので新鮮味はそこまでなかったし、「検索ワードを探すための旅ってそもそもどうなの?」とも思ってしまった。とはいえ良書であるに違いないので、多くの人に読んでほしいと思う。
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人を変えるには環境を変えること、とにかく自由に。肩に乗っていた重い荷物を少し持ってもらって、楽になったような気がした。
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津田大介さんのオススメの本。
ネットによって人は世界が広がるのではなく、検索ワードは自分の環境から決まってしまうので、むしろネットは自分の人間関係や指向性を強める方向に働く。
人生の充実のためには、偶然というノイズのはいった「弱い絆」が大切で、そのために旅を勧めている。
グローバル化の意味をどう考えるか、とか、言語の「メタ化」機能がもつ厄介さ、とか、ボンヤリ自分が感じていたことに、言葉を与えてくれる快感があった。
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弱い繋がりが、強い繋がりを強固にしたり、閉塞感から脱する手段だったりする。
自分がいつからか散歩好きになったのは、同じ趣旨のことを思うようになったからな気がしている。
環境が個人の多くを規定するってのも、本当ねえ、重要な話しな気がする。