投稿元:
レビューを見る
普段の漠然とした感覚を言語化してくれててサラッと読める。本書の本質とは関係ないけど検索エンジンで検索結果は変わるし、ニッチな情報はまだまだで知恵袋とかのQ&Aサイトのほうが知りたい情報にたどり着けることが多い。
投稿元:
レビューを見る
今度、海外に行く時はSNSに繋げないでネットに接続のみできたらいいかもなあ。
旅行っていうものに出るという身体を伴ったもの、時間がかかるものは確かに楽しいし、検索ではわからないものを知るためのものが行った場所で見つけられるけど、ワードでも出てくるものは違う。言葉とか。
投稿元:
レビューを見る
東浩紀によるエッセイ的な、東浩紀入門。本当にサラッと読めて、哲学とか思想に興味がない人にも受け止めやすい内容。
身体の移動、言葉とモノ、などなど。ネットというスーパーマーケットでは売っていない商品を探すために。キーワードは観光客。また読みたい。
投稿元:
レビューを見る
ネットがあれば何でもわかると思いがちだけど、結局今の自分の世界の枠組みの中でしか検索ワードが考えられないので、限定された世界しか見ていない。
一番説得力があるのは、言葉を尽くすことよりも体験すること。
書いてあることはどれも当たり前のことですが、話の持って行き方が新しかったです。
自分も言葉に騙されているような気もしてきますが……。
「旅」ではなく、「観光」というキーワードで話がすすんでいきますが、モノや体験に重きを置くことや、最近話題のダークツーリズムのことなど、ここ数年でなんとなく読んだ本と緩くリンクしてきておもしろかったです。
観光客気分で渡り歩くというと、まっさきに古市憲寿さんが思い浮かびました。対談集とか出したら面白そうだな…
投稿元:
レビューを見る
経験から得られることは文字で考えることよりもずっとインパクトが強くて革新的なことが多い。観光客になることで、日常生活と非日常の体験を両立できることはもっともであり現実と折り合いをつける選択肢としては最適なのかもしれないが、著者の職業柄観光へ行ける時間が多く確保出来るのであって、普通に働いてる人では難しいのではないか。
観光へ行けるかを脇に置くならば、自らを情報が揺らいでいて、解釈が必要な環境に位置づけることが他人とは違う価値を作り出すという行動を自分自身に取り入れてたいと思った。
投稿元:
レビューを見る
会員制で支えられる出版社「ゲンロン」を立ち上げ、「新日本国憲法ゲンロン草案」や「福島第一原発観光地化計画」など斬新で挑発的な提案を次々繰り出す、現時点でおそらく最強のオピニオン・リーダーが、平易な言葉で自身の思考体系をエッセイ風にまとめたこの本は、彼の多様な言動をひとつの筋に統合してくれる便利な「東浩紀入門」になっている。最初の本『存在論的、郵便的』のデリダ論が難しくて読めなかった記憶のある人も、あるいはアニメやゲームの評論家だとおもって手を伸ばさずにいた人も、この本を読めば、東浩紀が約20年にわたって繰り広げてきた言論活動の趣旨や動機を、思いのほかすんなりと理解できるのではないかと思う。アーキテクチャに支配され、ネットワークに縛られたポストモダン型の不自由から逃れることは可能か。現代のテクノロジーと人間の弱さをともに否定せず、やせ我慢のない「正直な」思想を貫く東浩紀は、ここで「観光」をキーワードにして、その方法論を示唆してみせる。これは、現代哲学最前線に現れた新しい「自由論」であり、また、自由の哲学者・東浩紀の、名刺代わりの一冊だ。
投稿元:
レビューを見る
弱いつながりとは、言ってみれば今の自分の中の世界にはない要素を取り入れることが出来る、「リアル」からの「ノイズ」。
ネット、特にGoogleは各個人の中の世界を強化する作用をもち、それは言ってみれば、自家中毒、熱的死を招いてしまう。
決して複製することが出来ない「時間」を使うことで、自分の世界からは決して生まれないノイズ、「新しい検索ワード」を手に入れるには、「旅」しかない!!
しかし、どこにも足場のない「旅人」は、ずっと同じ生活を続けることが(誰でもは)出来ない。
ずっと同じ世界に住み続ける「村人」ではなく、時々旅人になり、「世界の表面をなぞる」ことが、幸せになる方法だよ、という話だった。はず。
基本的に「面白い話とは自分の中にある程度できあがっているけど形にならずにたぎっていて、それを自分の知ってる言葉で気付かせてくれる」ものだと思っているし、「読みやすい話とは、自分が知っていることをなぞる話」だと思っているので、この本は面白くて読みやすい話、だった。
ヤー、人に勧めやすい!!
投稿元:
レビューを見る
人間関係を大切にするな。友人に囚われるな。そして旅に出ろ。
旅先の「偶然」に出会い、そして楽しむこと。
無駄にポジティブマインド全開な旅本と同じようなこと言ってるようだが、あずまんの話は説得力があった。
弱いつながりに身を委ねる。
やってみたい。
読んで終わりは終わりにしよう。
ありがとう。
投稿元:
レビューを見る
東浩紀氏の柔らかくライトに語られる新作エッセイですが、現代考察に満ちた「思想」書であり、インターネッツ情報環境社会の中での「自由」論であり、そのための道筋を具体的にプラグマチックに語られているところの「指南」書でもあります。
そのキーワードは「観光」。偶然を必然・運命と期待する「自分探しの旅」ではなく、偶然をそのまま偶然の契機として外へ開いていくところの「観光」。野次馬のまま好奇心の発露そのもののに受け身であるからこそ、肩の力を抜いてオプショナルツアーに参加できる「観光」です。その気軽な観光行程でスポンジのように吸い尽くせる知識を得るための具体的な「知恵」について語られています。
であるので、著者自らが「自己啓発」書の体裁と言っているようにハック集というかTipsでもありますが、重要なのはこの体裁含めて態度の「軽さ」です。この「軽さ」は軽率さ安易さではなく、本人が気づいていないところで両肩に確かにのしかかってくる重力に囚われないところの「軽さ」であり、その軽さは非常に「運」と近似の何かで、世界に対して開けっぴろげに受け身であるところの「軽さ」です。
そしてそこで語られる著者の具体的事例が自身を振り返ってみれば、確かに経験則でありながらモヤモヤと言語化出来ていなかった何モノかをちゃんと形してくれているために、いちいち腑に落ち、偶然にやってきた「弱い繋がり」の「その「弱さ」こそが強い絆よりも強いものなのだ」という著者の逆説は「敢えて」多用のポストモダニストの風貌ではもはやなく、40代の家族の中の父であり組織を動かす社会人であるところの、一人のリアリストからの腹の底からの述懐に聞こえます。
その弱くて「強い」細い線を辿りながら著者が今後どの方向へ向かっていくのか楽しみです。
投稿元:
レビューを見る
1回かぎりの「この人生」については統計は何も教えてくれない。中年過ぎると環境を変えるのは億劫なんだが、ある程度の偶然性を意識的に取り込んで、観光客程度には多少のノイズを吸収していく必要はあるのかもしれない。ただし、それはリアルな旅でなくとも乱読でもOKな気もするが。
内容的には、小林秀雄の「経験と科学」のようでもあり、最後は五木寛之のような仏教的な悟りのようでもあり、平易な文章ではあるが、いろいろと考えさせられる内容だった。
投稿元:
レビューを見る
今年20冊目。サラッと読めて深い。
面白かった!旅に出たいっ!と強く思う。
ノイズをたっぷり吸収し、世界を広げたい。
検索エンジンを利用する際、日本語以外で試してみると、見たことない世界があるかも。
旅をして、時間を使って、あれこれ感じて、考えて。現地でしか味わえないリアル。
読みやすく、オススメの一冊。
チェルノブイリ、アウシュビッツもさることながら、タイのターミナル21のお話が1番興味わいた。
確信犯的キッチュな東京、というくだり。
投稿元:
レビューを見る
ネットの統制から逸脱するには グーグルが予測できない言葉で検索すること
自分を変えるために環境を変える
人生を充実のために、強い絆と弱い絆が必要 ネットは強い絆をより強くするメディア
台湾人 本省人と外省人(国民党の蒋介石と一緒に中国からきた) 日本のサブカルチャーが好きなのは本省人
インド アライバルビザ バックパッカーの情報しかない オペロイに泊まると説明したらすぐ発給
旅は自分でなく、検索ワードを変える
ネットでは見たいものしか見ることができない
2004 スマトラ沖地震 インドネシア アチェ州 壊滅的被害 Aceh Tsunami Museumといれるとそれだけで風景が一変 日本語の検索ではわからない
チェルノブイリもキリル文字でいれると違った結果が得られる
村人/旅人/観光客
ネットにはだれかがアップロードしようと思ったもの以外は転がっていない。
言葉にならないものを言葉にしようと努力すること
チェルノブイリ博物館
情報の提示だけでなく、感情の操作も必要
旅先で新しい情報に出会う必要はない。出会うべきは新しい欲望
情報はいくらでも複製できるけれども、時間は複製できない
日韓関係については、もはや正しい歴史認識を共有すべきではなく、むしろ「歴史認識に共有できないという認識を共有すべき」だと考えています。
真実はひとつ。けれども言葉ではそこに到達できない。だとすれば、真実を探さないことが合理的であることもありえます。
言葉だけでは争いを止められないということを前提にとして、では争いを止めるためにはどうしたらよいのかに関心をもち考えてきた
ネットは原理的に、「あるひとが検索で辿りついた世界観」と「別の人が検索で辿りついた世界観」を調停できないメディアなのです
現在の世界観に都合のいいように再解釈できてしまう。人間にはそういう力がある。けれども解釈の力はモノには及ばない。歴史を残すには、そういうモノを残すのが一番なのです。
記憶はいくらでも書き換えられる
記憶の書き換えに抵抗するモノを残す
僕たちは検索を駆使することで無限の情報から無限の物語を引き出すことができる時代に生きています。だからこそ、ひとりひとりが、物語と現実の関係について自覚的でなければなりません。情報だけの世界に生きているていると、乱立する物語の中で現実を見失ってしまいます。新しいモノに出会い、新しい検索ワードを手に入れることで、言葉の環境をたえず更新しなければいけないのです。
国民と国民は言葉を介してすれ違うことしかできないけれど、個人と個人は「憐れみ」で弱く繋がることができる。それにこそ21世紀のグローバル社会の希望があると考えています。
タイシルク ジムトンプソン 諜報機関の一員として第二次大戦末期に東南アジアに赴任。終戦後タイにのこって実業家に転身。タイシルクを世界に売りだして成功。最後はベトナム戦争中に失踪
グローバル化の本質はコピー
人生のリソースには限りがある
年齢を重ねると、情報収集のフィルターが目詰まりを起こし、新たな検索ワードを思いつかなくなる
ネットは体力勝負の消耗戦
強い絆は計画性の世界
弱い絆は偶然性の世界
日本人は、会社や町内会などの、自分が所属している狭いコミュニティの人間関係を大切にしすぎ
日本人はとにかく村人が好きです。正社員が好き。ウチとソトを分けて、ウチで連帯するのが好き。
そんな息苦しい環境は無視し、観光客であることを誇りに思いましょう
人生は一度きり。なんども繰り返せるわけじゃない。だから統計には惑わされず、偶然の連鎖を肯定し、悔いなく生きようというのが僕のメッセージです
旅では、ネットには接続するけど、人間関係は切断する
投稿元:
レビューを見る
"偶然でやってきたたったひとりの「この娘」を愛すること。その「弱さ」こそが強い絆よりも強いものなのだと気づいたとき、ぼくは、ネットで情報を収集し続ける批評家であることをやめて、旅に出るようになったのでした。"
検索ワードなんて検索ワードでしか無い、とどこかで思っていたけど、もはや検索ワードこそが現代の記号であり世界だった。検索ワードを介してしか、僕らは新しい世界に踏み込めない。それならそういう時代なりの、スタイルがあるのだ。弱りリアル、現実というノイズ。
投稿元:
レビューを見る
旅の本質についての話の部分が特に共感できた。
たしかに旅行中というのはなんだか気が大きくなったような感じで、普段は買わないようなものを買ったり、「せっかくなら」の一言で思いもよらない行動にでたり。
ここで「新しい欲望が生まれる(=新しい検索ワードを手に入れる)」ことが大事ということらしい。欲望は行動につながり、その行動が人生を変えることだってありえるからね。ここは納得。
ただ、ここで重要なのは、旅先でのいわば「いつもとは違う自分」が感じたことを「いつもの自分」に戻ったときにも持ち続けられるか、ということに尽きる。
本書の中では「感情でタグ付けする」というような言葉でも表されていたけれども、その瞬間の思いを記録するなり何なり残しておかないとすぐに忘れてしまう(それでも忘れてしまうことも多いが……)ということ。しかし、そもそも人間とは忘れる生き物であり、忘れることを恐れていては何もできないので、つまりは旅のような機会を増やし常に「今の環境を更新し続ける」ことが必要なのかなと思った。
あと、チェリノブイリの博物館を例にした「情報の提示」と「感情の操作」のバランスの話が印象に残った。今後、ブログなどで情報発信をする際に気をつけたいポイント。
投稿元:
レビューを見る
自分がネットにつながるだけで、逆にネットの側から瞬時に情報をなげかけてくれる。検索ワード一つで、それに関連したヒト・モノ・コトを取り巻く世界が自分の目の前に現れる。
ネットが普及してから20年弱の間に、人と人とを結びつける強いつながりが社会に蔓延した。断絶した過去の点がネットを介して線となり、善かれ悪しかれ自分の今にそのつながりを示してくる。
そんな時代において、過去からなる無数の人間関係を断ち切る方法の一つとして著者は旅を例にあげている。しかしながら、その旅においても強いつながりの中でメッセージを発信し、個人の旅をみんなとの旅としているケースが極めて多く見受けられる。
何かにつながってないと不安だというのが現代の兆候だといえるのだが、著者が言うように、「ネットには接続するが、人間関係は切断する」そんな弱いつながりの中からこそ、その人個人の人間性が強まっていくような気がしている。