紙の本
六歌仙の個性あふれる小説
2019/07/13 23:42
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投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
周防が描く平安時代の歌人たち個々の逸話集である。全体の中心になるのは古今和歌集の編纂で有名な紀貫之である。中心というよりは、以降の歌人たちに関わる逸話の狂言回し役とでも言った方が適当であろう。
この紀貫之が古今和歌集の撰者の同僚である壬生忠岑、紀友則、凡河内躬恒とあれこれと意見を述べ合うところから始まる。しかし、貫之が最も若いせいか、皆貫之に任せっぱなしである。ここから貫之は大きく成長していく。
そして、在原業平、小野小町、僧正遍照、大伴黒主、文屋康秀等、後に六歌仙と呼ばれる歌人たちとの交流が描かれている。それぞれ一癖も二癖もある先達たちであるが、まだ歳若の貫之をかわいがってくれる。とくに業平は叔父として登場し、貫之とは親しい。本書では喜撰法師は貫之の別名ということにしているので、交流は当然ない。
帝も含めて個性豊かな歌人たちであるが、この付合いが名人貫之の歌詠みの術を向上させたと想像できる。僧正遍照が住職を務める山科の寺では、オカルト的なシーンにも出くわし、経験も積んでいる貫之が描かれている。
この時代、すなわち平安時代を描く小説は読みたくともなかなかない。是非続編や別の歴史上の登場人物を蘇らせてもらいたい。この時代の歌は小倉百人一首にも歌われており、一般受けすることは間違いない。日本の古典芸能が少しずつ衰退している昨今、是非とも周防には頑張ってもらいたい。
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とてもおもしろかった!
貫之と六歌仙(在原業平、小野小町、大友黒主、文屋康秀、僧正遍照、喜撰法師)のお話。
小ちゃい貫之が、めちゃ可愛い。
古今集を始めから順に読んでみたくなる。
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古典の授業してると、
つくづく器用だよなーと思います。
一番は定家ですけど。
六歌仙と貫之の思い出話。
かの有名な仮名序の評価から
よくこんな話を思いつくよなー。
一つ一つの話でキャラが濃いので面白い。
遍照とか……大変だわ(笑)
なんというか、
すっごくキャラの濃い先輩が引退した後の
後輩が貫之という感じ。
だから、歴史ものなのに何だか身近に感じます。
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この作者の本は初めて。
六歌仙の話で主人公は紀貫之。この時代に限らず歴史ものは登場人物の年齢差がよくわからない。業平が40上、道真が20上、紫式部は100年後の人。
第三章までは個性的な大人たちと利発な少年の心温まる交流という感じで面白かった。けど四章でん、SF?となり六章で人外?でついて行けなかった。
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「六歌仙」に関する小説。
紀貫之を主人公に、『古今和歌集仮名序』を書く過程を使いつつ、”六人”を描き出す。
『土佐日記』や『伊勢物語』(貫之作の説をとる)の成立もちらついていて面白い。
「六歌仙」ってなんなんだろう?=貫之の心に残る歌人である、というのが無理なく理解でき、面白かった。
天智・天武までさかのぼって語られる部分もあり、読み応えはある。
しかし、最近はめっきり「天智・天武異父兄弟説、天智が兄」というの主流だなぁ…。
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紀貫之は新しい勅撰集の撰者となり、その誉れに喜びながらも、政治に振り回されているようなわだかまりも感じる。そんな中、子どもの頃に出会った現在「六歌仙」と呼ばれる人々とのことを回想する。そして自分の好きな歌を選んで序文を作成する。個性的な六歌仙と『古今和歌集』の撰者紀貫之との交流の物語。
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著者の本は2冊目。最初に本書より後に出た『蘇我の娘の古事記』を読んで面白かったので、本書を図書館で借りて読んでみたもの。
『蘇我の~』が600年代が舞台で、本書はその約200年後のお話。
タイトルのとおり六歌仙を取り上げる。話の作り方が巧みで面白い。日本初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が出来上がる過程から書きおこし、その序文をひねり出そうとする撰者のひとり紀貫之が思いを巡らし、「近き世にその名きこえたる人」として、後世に六歌仙と称される6人の歌人を記すに至る。
その6人の半生を貫之を狂言回しに生き生きと描き切ったのが本書。なぜこの6人だったのかや、その6人と貫之の交流のみならず、それぞれの「家」にまつわる歴史も語って聞かせる物語になっていて奥行きがある。
六歌仙は日本史で学んで必須暗記人物たちだ。在原業平、小野小町、大友黒主、文屋康秀、僧正遍照、喜撰法師。なぜかいつも大友黒主あたりが出てこず往生したもの(小倉百人一首に居ないので馴染みがないし)。本書を読めば壬申の乱から解き明かし語ってくれるので、あぁ、大友黒主は大友皇子の子孫なのかと。近江に都を置いた天智天皇の皇子がいて、その家系がこうして逢坂の関(山城と近江の国境)にいるのかと、歴史が繋がって見えてくる。
業平、小野小町と有名人を章ごとに語っていくスタイルなので、大友黒主あたりは中だるみするかと思っていたが、大海、大友皇子の確執が語られ俄然歴史小説っぽくなり面白くなった。そのクダリは『蘇我の~』でもクライマックスのシーンでもある。本書より先に『蘇我の~』を読んでいたのはケガの功名?(誤用?)か。
著者は大友黒主のエピソードを語るにあたりこのあたりの歴史を調べていくうちに『蘇我の~』のプロットを着想したのかもしれないと両作品の思わぬ関連性が面白かったりもする。
『古今和歌集』の撰者紀貫之がその序文「仮名序」に記すことになる6人。生没年不詳の者も多いが、おおよそ貫之のひと世代上という点に着目し、幼少(10代前半)の貫之が、おじおば世代の彼らに可愛がられながら、彼らの歌の真髄や波瀾に満ちた半生を聞きとるという構成にした点がとにかくお見事。
紀貫之の生年は866~872年のあたりとなっているが、本書は866年に近い生年とし、六歌仙との交流時期は貫之が多感な12,3歳という設定だ。 業平、小町が50を少し超えたところで、過去の色恋沙汰も達観して語れる年代になっている点も上手い設定だと感心させられた。
「これや、驚いた。あこくそはとんでもない博士だわ」
業平と貫之は、幼名の「あこくそ」と、「ざいごのおじ」(業平の役職からの通称在五中将から)と呼び合う。その掛け合いがなんとも微笑ましい。
業平の有名な一句、「世の中にたへて桜のなかりせば…」の背後を探るように語らう二人。貫之は“ざいごのおじ”に春が「好きなのに、嫌いなの」と問う。業平の答えがふるっている。
「たぶん、思い出のせいさ。あこくそは童だから、思い出が少ない。おれは年寄りだから、思い出が多い。思い出の中には悲しきものもたくさんあるのだ。それがこの春の気色と結びついているのだ。だから、桜が咲く���そいつらが甦って、なんともいえぬ心持ちになるのだ」
この作中の業平と同じ年代となった今、この心情がよく分かるというものだ。
そんな中心人物以外の人物造形も、多くの資料が残る在原業平以外は「仮名序」の記述から実に巧みに膨らませ創造しているところも面白い。
例えば文屋康秀。「詞はたくみにて、そのさま身におはず、いはば商人のよき衣着たらんがごとし」とあるのを、商人≒口が達者というイメージなのだろうか、代詠みといって、歌の苦手な皇族・貴族の依頼で代わって歌を作って、身分は低いながらも巧みに世渡りしているかのようなキャラ作りが愉快だ。こんな処世術を康秀に語らせる。
「追儺(ついな)とか、端午の節句とか、夏越祓えとか、仲秋の観月とか、重陽の菊の宴とか、いろんな行事を見越していろんなお歌をたくわえておく。どんなお望みにもおこたえするのがわれらのつとめだ。秀歌である要はない。とにもかくにもおこたえする。そこに道の者としてのわれらの誉れがある。深さより広さだ。そこへの求めがある限り、われらの首はつながり申す」
代表作の「吹くからに~」の下の句が「山」と「風」を合わせて「嵐といふらむ」とダジャレを織り込む軽妙さも考慮しての人物設定だろう。実に面白い。
こうした「仮名序」を端緒に紡ぎだされる六歌仙の人となり。あぁ、歴史もこんな風に勉強出来ていたら、ただ丸暗記するだけの無機質な知識に終始しなくても済んだのになと思う。
僧正遍照の代表作「天つ風雲の通い路吹きとぢよ おとめの姿しばしとどめむ」は、小野小町が宮仕えを始める前、五節の舞姫をつとめたことがあり、その姿を見た時に小町を天女に喩えて詠ったなんてエピソードは、小町の美貌と遍照のナマグサ坊主っぷりが端的に出てていいではないか。
あの頃無理やり覚えた人名ではあったけど、改めてこうして出会え人物像を知り得る楽しさを体験もできるというもの、まぁ乙なもの。もちろんフィクションであることは百も承知だが、さもありなんと思わせる作者の筆力に脱帽だ。
そうした人物造形の他、歴史の謎、作者不詳の古典作品についても著者によるフィクションの味付けが楽しめる。本書で語られる物語の後の話にはなるが、貫之がなにゆえ「男もすなる日記という…」という有名な書き出しの『土佐日記』を女性を騙って書いたのかなど、本当のところは分からないが、なるほどなぁと納得してしまう作りになっている点も面白い。 男勝りだった小野小町が祖父の小野篁から譲り受けて漢書をよく読み、女だてらに漢詩を詠んでみようとしたという話を聞いて、その逆もあるなと幼少の貫之は発想する。あるいは代詠み屋の文屋康秀にも
「あこの君もやってみせよ。くせになるぞ。あるいはいっそ虚(そら)の名を名乗って、ありもせぬ者になりすまして詠うてみるとかな」
と吹き込まれる。
こうした六歌仙たち先人から教わった、“不埒な言葉遊び”が、やがて、あの謎の人物や、作者不詳のあの名作、そして「男もすなる・・・」に繋がっていくという、実に愉快な創作だ。貫之は最後に、こう嘯く。
「― このあめのした、興がなければ、生きてゆけぬじゃない。」
��ぁ、楽しい平安漫遊の時だった。
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醍醐帝の御代、道真を放逐した時平に和歌集編纂を命じられた紀貫之。序文執筆に悩みながら、想いを馳せた幼少期…の内の、後の六歌仙らの語りがメイン。
登場人物は多いが、百人一首でお馴染みの人達ばかり。しかし、50歳過ぎの小野小町は完全に婆扱い…やな時代だわあ(笑)
地味ながら、黒主の天智・天武の因縁話が面白い。
圧巻は、幼いながらも利発な貫之と、晩年の僧正遍昭の絡み。対決でも成敗でもなく絶妙。
僧正遍昭が仁明帝の寵を受けたのは史実だろうけど、双子の弟…は流石にやり過ぎな感が。ましてや仏像の胎内で幼い貫之に悪戯とは、かなり罰当たり。
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主人公は平安時代の歌人・紀貫之。時の帝から勅撰和歌集の選者として選ばれ、序文の執筆のため宇治の邸に籠っている。その彼の幼少の思い出が主に描かれている。
彼は幼少の時、在原業平、小野小町など、当時の有名な歌人たちと過ごし、影響を受けてきたという設定が面白かった。それを生かし、彼の他の作品、土佐物語や伊勢物語を書くんだと我が子に語るところまで繋がっているのも面白い。
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簡単に言ってしまうと、紀貫之と六歌仙のお話。紀貫之といえば『土佐日記』の作者であることは覚えてたけど、『古今和歌集』の撰者であったことはすっかり忘れていたので、そもそもその時点で目から鱗(笑)そして、小野小町や在原業平と同時代の人なんだな~ということを実感できるところが小説のいいところなのかしらね、とも。当時の和歌はやはり難しくて凡人にはなかなか理解できず、なぜあの六人が”六歌仙”なのかずっと分からなかったけど、ナルホドこういう切り口もアリか!ちいひめスゲェ!と思ったですよ。歴史物語としても面白いし、登場人物がそれぞれ個性的なのでその点でも面白い。特に壬生忠岑と凡河内躬恒のコンビは最高ですな(笑)
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日本初の勅撰和歌集『古今和歌集』の仮名序に登場する六人の歌人(六歌仙)たち。
執筆者である紀貫之と六人の交流を描いた物語。
「やまと歌は、人の心の種として、よろづの言の葉とぞなれりける。花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」
貫之の信念「やまとの心には、やまとの歌」。
時代を幾つ越えてもなお、やわらかく心に響くやまとの言霊に触れ、新年早々優雅な気分に浸れた。
この時代ならではの腹黒い駆け引きも悲恋も、全てが夢うつつに煌めくのだから不思議。
時勢からはずれた者たちが集った逢坂山。
綺羅びやかな都からはずれ、夢もやぶれ、そうして溜まった鬱憤も歌に込めれば人びとの心により一層深く入り込む。
なんと悲しき性。けれど人びとの心を捉えるのはそんなはずれの歌ばかり。いつの世も人びとにリアルに寄り添えるのはそんな歌。
「たとひ時移り、事去り、たのしびかなしびゆきかふとも、この歌の文字あるをや」
貫之の記した通り、時代が過ぎ流行り歌や流行り言葉が目まぐるしく変わろうとも、いつの世も人の心を掴む古のよき歌は、この先も変わらず残っていくことよと思った。
周防柳さんはこれが初読み。これからも追いかけたくなる作家さんに出逢えて嬉しい正月だった。
昨年のこの時期に読んだ川上弘美さんの『三度目の恋』を思い出す。在原業平の悲恋のお話。あの話を深く掘り下げて読めたのが嬉しい。
この時代の恋物語は現代と違って奥深い。表面だけでは分からない裏面がある。それもまた楽し。