紙の本
昔の同窓生との回顧話というような趣
2016/03/07 00:04
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
島尾敏雄氏の小説はいくつか読んでいたが、吉田満氏は一度も読んだことはなかった。この対談は、戦時に同じような経験をした二人の作家の対談である。
戦争を体験していない人間にとって、聞くに値する貴重な内容もあったが、概ね同じ経験をした昔の同窓生との回顧話というような趣である。島尾敏雄氏の戦争小説を読んでいる者にとっては、非常に物足りなかった。
巻末に吉本隆明氏と鶴見俊輔氏の文章が載っているのは貴重である。
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戦時中の自らの体験をもとに、「特攻隊」ということを再検討した貴重な一冊です!
2020/09/13 12:37
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『日の移ろい』(谷崎潤一郎賞)、『死の棘』(読売文学賞・新潮日本文学大賞)、『魚雷艇学生』(野間文芸賞)といった数々の名作を発表してこられた島尾敏雄氏らによる作品です。同書は、戦時中、特攻隊隊長として加計呂麻基地で敗戦を迎えたという体験をおもちの方です。同書は、そうした著者の体験に基づいて、太平洋戦争で「特攻死」を目前に生き残った若者たちは、何を思い、戦後をどう生きてきたかを考えた一冊になっています。戦争を文学作品として記録した著者が、戦艦大和からの生還、震洋特攻隊隊長という極限の実体験とそれぞれの思いを語り合います。同世代の橋川文三氏、吉本隆明氏、鶴見俊輔氏の関連エッセイも収録され、読み応え十分の貴重な書です。
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特攻という極限の状況がどういうものであったのか? 共に特攻隊員でありながら異なった経験を経たお二人の話が興味深い。
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特攻体験者の二人が、戦後30年を経て、その従軍経験を語り合う対談を、さらに30年を経ていま手にして読む。
島尾敏雄が吉田満の『戦艦大和の最期』を評して、「陶酔」、「極限にはときには実にきれいなものも出てくるんですね。そこがちょっと怖いような気がしますね」と言及する。非常に興味深いくだりがある。
この文庫版新編は加藤典洋の解説が加わっており、近年のベストセラー「永遠の0」と、本対談集との決定的な違いを分析している。非常に腑に落ちる内容だった。
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特攻死の半歩手前を体験した、吉田満と島尾敏雄による対談。
吉田「死ぬ確率と生きる確率の間には適正配分がありまして…特攻というのは、そういう原則を破るものですね。だから、みんな止むを得ず、無理をしてその中をくぐりぬけるわけでしょう。…」
島尾「あれをくぐると歪んじゃうんですね。」
吉田「歪まないとくぐれないようなところがありますね。」
島尾「…一見美しく見えるものをつくるために、やはり歪みをくぐりぬけることが必要というふうなことが必要となると、ぼくはやはりどこか間違っているんじゃないか、という気がしますね。ほんとうはその中にいやなものがでてくるんだけど、ああいう極限にはときに実にきれいなものもでてくるんですね。そこがちょっと怖いような気がしますね。」
吉田「そういうものの全体が、これはもう非常に大きな悲劇なんですね。」
この歪んだ心境の正体とは何だろうといつも考える。実例は様々本書でも縷々述べられているものの、私には真の理解に至る確信がない。それは、心身ともに健常であるにもかかわらず、同時に死した状態を経験したものが持つ歪みだからだと思う。今に特攻体験を語る難しさばかりが読む者に染み渡る。
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「特攻」を違う形ながらも体験した御二方による対談。
吉田満さんは戦艦大和に乗り、壮絶な戦いで多くの仲間を失うなか、自分はなんとか生き残る。
一方で島尾敏雄さんは奄美で特攻隊として駐屯するも特攻を迎えることなく終戦となった。
同世代でもこのように違う戦争体験をしてきた二人が戦後どう生きてきたか、どう戦争と向き合ってきたかについてお話ししている。
特攻体験はイデオロギーを超えている。「特攻体験ほど、イデオロギーから遠いものはない。感動から遠いものはない。」
解説が大変秀逸。
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厚みがある本ではありませんが、対談の内容は思想的な話が多くて難解。戦時の体験談も語り口調が柔らかいためか、戦争の悲劇性・悲惨さがあまり伝わってきませんでした(あえて悲劇的な体験を語るのを避けていたのかもしれませんが)。
対談部分より、島尾氏・吉田氏それぞれによるあとがき(?)の方が分かりやすく、戦争のシリアスさも感じられたように思います。特に、実際に大和での特攻に参加した吉田さんのあとがきからは、生き残ったことの苦しみなどが垣間見えたような気がします。
あとがきでは、発言の元となっている著作等について引用があるため分かりやすかったのですが、対談部分はそれがなかったので理解することが難しかったのかも? だとすると、対談部分をより理解しようとするなら、あらかじめ二人の著作を読んだうえで対談部分を読み始める必要があるように思いました。