紙の本
「私の履歴書」の保存版
2016/09/03 12:07
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投稿者:もちパパ - この投稿者のレビュー一覧を見る
日経新聞に大幅加筆という触れ込みですが、小幅でしたね。期待外れ。
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小澤征爾さんのご著書「僕の音楽武者修行」が大変面白く、お若いころのご経歴については、そちらのほうが若書きだけど、タイムリーな感じで面白く読めるかもしれません。
ずいぶんざっくり書いてある本だなと思ったら、日経新聞の連載をまとめたものだったのですね。
ご自身の言葉で語られているという点では、とても魅力的な一冊だと思います。サイトウ・キネン・オーケストラのことなど、簡潔に纏めてあるので、
斎藤秀雄って名前聞くけどどんな方?
小澤征爾ってどんな方?っていう人には、すごく解りやすい本。しかし内容について言えば、この世界に冠たる名指揮者が
「音楽をもっと知りたい」
考えているとということが凄いと思うのです。
そんなこと、あのキャリアを考えたら言いそうもないのに。だって十分な実績をお持ちの大指揮者ですから。
謙虚なのですよね。やっぱり。一流だから勉強なさるし。先日テレビで初めてバレエのダンサーが踊ってらっしゃるのとオケを合わせたそうで、お相手の方はまだ高校生の才能あるバレエダンサーということでした。
確かにお上手で、ああ、これから国際的な舞台で活躍される方なんだな、とすぐ解る素晴らしい踊り。でも、合わせるのはなかなか大変だったよう。生オケはテンポもその都度変わります。ダンサーの方は音を聞きながらステップをタイミング
見ているので、どうしてもCDで踊るようにはいかなくて。
成功すれば素晴らしいだろうってことは、経過をテレビで見ていてもわかりました。なかなか合わない中、ダンサーの彼も責任を感じて焦ったりし始めます。そんな中で小澤さんは
「いや、今のは僕が悪いんだよ。ここを僕が変えてしまったから。彼のせいじゃない。やはり初めてのことは難しいね。」
本番では、勿論ビシッと合っていましたけど
その後も
「初めてバレエと合わせた。とてもいい勉強をさせてもらった。彼はこれから世界の一流オケと合わせて踊るだろう。本当にありがとう。どうか頑張って下さい。」
と。
僕が悪いんだ、なんて、さらっと嫌味にならず言える。若い才能に敬意を払って対等に尊重してらっしゃるのが印象的でした。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを指揮なさった時も、本当に楽しそうで少年のよう。
すぐに店頭にその演奏が並び、厳しい批評も待っている。フィルの楽員ですら本当は緊張するというあの舞台で。
勿論演奏は素晴らしかったけど。
何よりその笑顔が忘れられません。
彼が日本の音楽界に贈ってくれた素晴らしい業績。それを措いても。その飾らない人柄を知る入り口にいい本かもしれません。
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小澤征爾氏が自身の半生を振り返って綴られた自伝。思い出深いエピソードを、時代を追って綴られているという構成。ひとつひとつのエピソードについて深くは書かれてはいないが、それでも十分に小澤征爾氏の人となり、軌跡、交友関係、その時々の思いや気持ちなどは描かれており、少なからず生身の小澤征爾氏に触れられた気がした。若い頃から、音楽のみならず、様々な分野の人たちとの交友がある小澤氏、何より人びと惹きつけてやまない魅力が小澤氏にあるということなのであろう。
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小沢征爾さんの伝記です。最初に書かれているように、家族の支え、友人•先生•沢山の出会った人達の関係、人とのつながりがあり、人間的に恵まれた方だなあと思いました。でも恵まれた理由として、そこには小沢さんの愛される人柄と、音楽にかける情熱とたゆまない努力とするどい感性があるからこそこれだけの人に応援してもらえたのだろうと思います。やはり音楽は若い時、勉強する時に徹底的に勉強して訓練する時期が必要で、その時期に斎藤秀雄先生と出会えたこと、桐朋音楽教室で学べたことまたその仲間達との出会いが小沢さんの音楽人生の核になっていると感じました。出会いって大事ですね。そして情熱と努力。才能はもうどうしようもないですけど(笑)
最近のクラシック界では日本人国際コンクール優勝などあらゆる楽器で優秀な成績を収めて、昔ではとうてい考えられない事が次々とあり、日本人の物凄い可能性、まだまだあると思いますし、単純に凄いと思います。スケート界でもそうですし。そういうことからでももっと日本人が自信を持っていいと思います。
それにしても小沢征爾さんの活躍はこの本には収まりきれないほどで、この本は簡単な履歴書という感じなので、当時の詳しい状況などもっと詳しく知りたいと思いました。年表的に通して何があったのか分かりやすくしれて良かったです。
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世界のオザワが今あらためて若い頃からの一連の音楽の歩みを自分の言葉で語ってくれただけでも、宝物に恵まれたような気分がする。
これまでの色々な本ではヴェールに包まれていたような部分も今回は関係者の実名入りで具体的に描かれているのは、前書きにあったように、これまで世話になった人々にあらためてお礼の気持ちを表するということなのかもしれないが、それがとてつもない読者へのサービスともなっている。
世界のオザワにはこれ以外にも後の世代に遺す言葉がまだまだたくさんあると思う。これからもドシドシ書いてもらえることを願ってやまない。
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前に読んだ「ボクの音楽武者修行」の続編?のような気がした。
音楽武者修行よりも年月が経って、若いときのエピソードがとても過去を振り返っているような気がした。
小澤征爾という人となりが分かる本。
私もこうして年をとって、本は書かないけど過去を冷静に振り返ることができたなあと思う。
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指揮者・小澤征爾の半自伝。自身の生い立ちから現在までをエピソードを交えて語る。
生まれは中国・瀋陽。若い頃は無鉄砲で好きなことにのめり込みやすい性格だったらしい。音楽を学びながらラグビーをやったり、スクーターで武者修行に出掛けたり、先の事を心配せずに自分の好きなことをやる。困難な状況があったり窮地に陥った時には、なぜか支援者が現れて、その後は上手く行く。前向きで積極的な性格、知人や仲間を大切にする社交性や仕事への集中力があって、今の小澤征爾がある。
高校の時に小澤征爾指揮のコンサートを聴きに行った。小遣いがなかったので、指揮台近くの左側最前列の安いチケットを手に入れて聴いた。曲目は大好きなベートーヴェンだったが、曲の合間にどこからともなく聞こえる「スースー音」が気になって仕方が無かった。その音の主は指揮台の小澤征爾で、エネルギッシュで鼻息が荒く、指揮だけでなく演奏にも鼻息で参加していた。指揮者は肉体労働なんだなあと思ったのを覚えている。(残念ながら、演奏の出来栄えの方は全く記憶にない)
最近、小澤征爾に関連する本が出るようになった。彼の人生を知ると、また違った聴き方ができると思う。
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小澤征爾さんの自叙伝、小澤氏が誕生した1935年の満州から、2014年の近況までが語られている。
有名な指揮者と聞くと孤高の天才というイメージを思い浮かべてしまうが、とにかく小澤氏は周りの人々に支えられて大成したという感じだ。
学時時代の仲間や恩師、各界の著名人や芸術家、スポンサー企業そして家族の皆さん、多くの人たちの支援がなければ、世界で活躍する指揮者にはなれなかっただろうし、お世話になった方々のことを事細かく覚えている小澤氏もすごいと思った。
いつかその演奏を生で聞いてみたいものだ。
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界の小澤さんのエッセイ風伝記。もとは身近なエッセイの連載だったようで、一回一回が読みやすいが、短かすぎてわかりにくい表現もある。たとえばN響からボイコットされたあたりは、書くのがはばかれたのか言っていることがよくわからない。ともかく、本書でぼくはかれの名前の由来を初めて知った。征爾の征は板垣征士郎、爾は石原完爾から来ているという。それは小澤さんのお父さんがこの2人と懇意にしていたからだ。そんな2人と懇意にしていていも、征爾さんのお父さんは戦争中、軍部の批判をしたという。つまり、中国で民衆から支持されない戦争はきっと負けるというのである。このお父さん、戦後はベトナム戦争に反対するためにケネディにまで会いに行ったとか。自分が正しいと思ったら誰にでも臆さず言い、果敢に行動する精神は征爾さんに受け継がれたのではないだろうか。そんな親に育てられた征爾さんは今では世界の小澤であるが、そこまで行くのにたいへん苦労したらしい。第一、正当な芸大なのなんだのというコースをたどっていない。試験でもまともに受かったためしはないし、成績も抜群というわけではない。しかし、肝心なところでうまくいったり助け船がはいったりして、だんだん自分の地位を築いていくのである。その助っ人いうのがものすごい。井上靖、三島由紀夫級の人がばんばんでてくるのである。これはやはり征爾さんがもつ人間的な魅力からだろう。一方で、師から半ば破門されたり、N響からボイコットされたりするのは、征爾さんの向こう見ずな性格がわざわいしているのであろう。これも後に和解にいたるのだが。
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おおらかな時代であったこともあるだろう。それにしても翔んだり跳ねたり随分と破天荒な人生を歩んで来た人だなと、改めて知る。そして、多くの人々の支えを得て来た人でもある、と。本人の語り口では、偶然とか、偶々とか、あたかも巧まずして誰それと出逢ったかの如く人との繋がりが語られているけれど、それは逆で、小澤征爾という人が才能豊かであったから人々の関心を集め支援を得られたのだろう。例えば、両手の人差し指を骨折してピアニストになるのを諦めて指揮者を志すという下りだって、普通の子であれば音楽以外の道を探らせるだろう。それを指揮者にしても良いと考えさせる、それだけの才能が認められていたということなのだと思う。指揮者を目指そうとしたら偶々親戚に斎藤秀雄が居たと小澤征爾は言うけれど、それは親戚に斎藤秀雄がいるような母親であればこそ息子の音楽的才能にも気付くことができた、と理解すべきなのだというのと同じこと。才能が埋もれてしまうのを惜しむ人々を小澤征爾が引き寄せた結果なのだ。
もちろん才能だけで大成することは叶わず、天才とは努力をすることのできる人のこと、そしてそれを苦労と感じない人のこととよくと言われるように、小澤征爾の敢えて語らない人生の時間の中でどれだけの積み重ねが為されてきたのかについては思いを巡らせる必要があるだろう。そんな部分に余り言及しないのは、やはりそれを特筆すべきことと考えていないということの表れかとも思うし、スコアと毎日対峙している時間が楽しいとも言うほどなのだから、やはり月並みだけれども巧まざる努力家なのだろうとも思う。そんな人が時を重ねて自分の中で熟成したものを絞り出す。しかも他人の手によって奏でられる楽器によって表現する。そりゃあ病気にもなるくらい心身とも疲労困憊するだろう。
そんな風に小澤征爾の才能にばかり目が行き勝ちな読書になってしまいそうになるけれど、実はもっと感慨深いのは、音楽というものが結局のところ人と人との繋がりを基盤とするものなのだということが小澤征爾の履歴書から見えてくるということ。その最たる例は武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」だろう。そのように新たに産み出された例だけでなく、どの作品だって演奏する人、場所、時が異なれば、そこに込められる意味は都度変わってしまうことが必然だ。ましてそれを聴く人こ耳が異なれば、込めた意味と聴き取られる意味の差もある。それでもどこかに、ユニバーサルなものがあると信じてやるもの、人と人との繋がりを信じてやるものが音楽なのだろうと小澤征爾は思っているように見える。或いは、そのユニバーサルなものが既に見えていて、そこに近づこうとしていると言うべきか。いずれにせよ、そこが見えている人を天才というのだろうけれど。
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世界の小澤の半生を描いた自伝。戦後の日本で、まさに草をかき分けながら音楽の道を進んだことが伝わってくる。兎に角チャレンジ。決して多くはない文字数で、しかしその苦悩も葛藤もとても伝わってくる。クラシックにそれほど造詣の無い私でも読みやすく、彼のなしてきたこととその心情的な側面を知ることができた。
人とのめぐり合わせをとても大切にするいちめんが印象的だった。お世話になった恩師、友人はもちろんだが、人生の局面で出会った一人一人の名前をちゃんと覚えている。大使館の受付の名前に至るまで。こういうのは大切なことだとおもう。
15.11.2
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小澤征爾(1935年~)氏は、満州国・奉天市生まれ、桐朋学園短期大学卒、2002~2010年にウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた世界的な指揮者。文化勲章受章。主な称号は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ボストン交響楽団桂冠音楽監督、セイジ・オザワ松本フェスティバル総監督、新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者等。
本書は、日本経済新聞の「私の履歴書」に2014年1月に連載された半生記で、小沢征爾が世界のオザワとなっていった疾風怒涛の79年の、数々のエピソードが写真と共に綴られている。
私が小沢征爾の名前を知ったのは、既にボストン交響楽団の音楽監督を務めていたときであり、ブザンソン国際指揮者コンクールでの優勝や、その後のカラヤンとの関係、ニューヨーク・フィルでのバーンスタインとの出会いと活躍等は、本連載(本書)で初めて知ったが、小沢氏が、若い時期から、その節目節目でとても大きな出会いがあり、その機会を活かして成長し、世界のオザワとなったことがよくわかる。
現在86歳。日本、いや、世界の音楽界のために長生きしていただきたい。
(2014年9月了)
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中学生のころ『ボクの音楽武者修業』を読んだ。重なる部分もあるが、その倍以上の時の経過と出来事が編まれている。当時ではあまり気を留めなかったが、友人たちが絶妙なタイミングで現れ、全力で小澤征爾を応援・援助する場面がかなり多いと感じた。若いころからカリスマ性・類まれな才能・努力できる能力を持った指揮者といえよう。
とはいえ、万事順調なのではなく、N響の件、短大留年の件、意外にも斎藤秀雄と「何となくまだぎくしゃく」(p.86)していた件、など色々な出来事が紹介されている。ただそれらを過ぎると宿命だったかのように、新たな道が開かれ、こう劇的に物事が運ぶものなのか、と思ってしまう。三島由紀夫が自決した日に、自信の父親の葬儀があったということも全く普通でない。
最後の「これからも音楽の勉強を続けたい。おそらくどれだけ時間をかけても終わりはないのだろう。僕はもっともっと深く、音楽を知りたいのだ。」、という一文に感銘を受けた。とうに指揮者とか職業音楽家という次元ではなく、ただ純粋に音楽と向き合うという姿のみが残った「存在」があるだけだと強く感じた。
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淡々と書いてあるけど、きっとすごく努力したんだろう。自分の譲れないところは突き進む。父親の存在が大きい。
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