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A級戦犯者の合祀と政教分離について
2022/09/19 21:16
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
靖国神社に関する本は色々出ているようですが、兎に角私は公平な立場からの本をチョイスしたい一心で本書に辿り着きました。そういった意味では本書は非常に良かったです。
先ずは本書の中盤から後半に至る迄紙面を割いた靖国神社の歴史についてかなり勉強になりました。こういった歴史はそもそもベースとして最低限知っておく必要があると自負しているので、有意義でした。
本書で最も良かったのは『おわりに』の章でした。集団的自衛権が行使され、自衛隊員が戦闘行為を行い戦死した場合、靖国神社に合祀されるのか等に言及されており、大変興味深かったです。
私自身は、A級戦犯者が合祀されている社(やしろ)を内閣総理大臣が公式に(=政治家という立場で)慰霊として参拝するという行為は、指導者階級にある戦犯者の戦争行為を肯定し、彼らの行為は然るべきものであり、そういった彼らの御霊を慰霊する事は内閣総理大臣として正しい行いだとしているように捉えます。つまりA級戦犯者の戦争行為は正しいものであり、内閣総理大臣である私はそれを認めていますよ、という事だと思います。一方で私的に参拝する場合は、A級戦犯者も一人間であり、他の一般の人間と同様、単なる死者への慰霊の為に、内閣総理大臣という立場ではなく私人間として参拝したというのであれば、それは構わないと思います。
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ためになった
2016/08/15 21:59
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投稿者:上総介 - この投稿者のレビュー一覧を見る
靖国に関わる問題については、とかく冷静さを欠く議論になりがちだが、本書では神社の経緯、取り巻く状況が客観的に書かれていて
よく知るためには適した著書と感じたし、勉強になった。
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歴史から見た考察~靖国神社の入門書
2014/09/10 21:22
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投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
今まで何となく避けてきた靖国神社。そこで、今夏出版された3冊の新書を読むことにしました。
まずは、「中立的な立場で書かれたものは少ない(7ページ)」とし、特定の立場に偏らず、「問題を分かりやすい形で整理し、議論の前提となる事柄を共有できるようにすることを目的(10ページ)」として書かれた本書を読みました。靖国神社の創建から今に至る歴史事実の説明が中心で、多くの知らない事実がありました。例えば、以下のとおりです。
・ 人を神として祀ることについて、柳田國男に相談していた(63ページ)
・ 靖国神社は、内戦の戦没者を祀る施設から、維新殉難者を合わせて祀ることで変容し、さらに、対外戦争の戦没者を祀ることで次なる変容を遂げた。そして、戦死した後に靖国神社に祀られることを目的とするような施設に変容し、日本の軍国主義体制を支える上で重要な役割を果たすこととなった(100ページ)。
・ 英霊という言葉が使われるようになったのは、日清戦争から日露戦争にかけての時期(85ページ)。
・ 日中戦争から太平洋戦争へと進んでいくなかで、「死んだら靖国で会おう」ということが、合言葉になっていく(95ページ)。
・ 靖国神社が廃止にならないように米国を騙した(111ページ)。
・ A級戦犯合祀の事実が広く知れわたり、それが問題になることを恐れ、秘密裏にことを進めていった(147ページ)。
・ 当初問題になったのは、合祀ではなく祭祀費用の国家負担(149ページ)。
・ 中曽根や橋本が、抗議さえすれば参拝を中止するという悪しき前例を作った(189ページ)。
・ A級戦犯の合祀が、天皇が参拝をやめた止めた原因(第六章)。
明治2年の創建以来、政治情勢の変化に合わせ、政府に都合の良いように変容していった靖国神社。太平洋戦争後は、戦争犠牲者を祀るために米軍を騙したり、国民に知られないようにコソコソとA級戦犯を祀ったり、天皇の意向を無視したりと、靖国神社のやり口は姑息です。
そして、複雑に絡み合った靖国問題は、平和だからこそ起きる問題であり、戦争になれば消滅するだろうという悲しい結論でした(215ページ)。
本書は、読みやすい構成で、余計な先入観を植え付けるような政治思想の主張はありません。靖国神社を知るための入門書としては最適だと思います。
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靖国の本はこれまでたくさん出ているから、靖国のもと東京招魂社の創建が戊辰戦争での政府軍戦没者の慰霊からはじまっているとか、その後、国家としての団結のため、反政府方の人間も徐々に祭るようになったとか(しかし、佐賀の乱の江藤新平は祭られず佐賀の護国神社に祭られているそうだ)は知っている。にも関わらず本書を手に取ったのは、今度の集団的自衛権で自衛官が戦死したときどうするのかという帯のことばに動かされたからである。これまで自衛官が殉職したときは市ヶ谷駐屯地の慰霊塔に祭られることになっているらしい。しかし、今後はどうか。島田さんは、靖国問題は平和な時代だからこそ起こる問題で、一旦戦時になれば靖国問題は消えてしまうという書き方をしている。ぼくはそのときこそ、別の意味で靖国問題が出てくると思う。戦死した自衛官たちが祭られるのは靖国なのか。ぼくは問題はそう単純ではないと思う。なんにせよ集団自衛権を認めれば、戦死者がでるのはもちろん、その人たちをどう祭るのかという問題にまで及ぶことはたしかだ。どちらにしても、靖国の合祀行為はかれらの独断で、合祀されるものの許可を一一得るわけではない。なんと傲慢なことか。本書では靖国の戦後史を二つに分ける二人の宮司の信条、行動が詳しく描かれている。A級戦犯合祀はもともと元軍人からなる厚生省援護局の強い働きかけがあったが、最初は靖国の方で動かなかった。それは長く宮司をつとめた筑波の考えでもあった。ところが、それを実現させたのは、宮司がそれまでの筑波から松平に交替したあとである。松平は確信犯で、A級戦犯を合祀すれば天皇は参拝できなくなることを知りながらやったという。松平すなわち現在の靖国神社の考えは要するに今度の戦争はあくまで自衛の戦いであり、東京裁判史観、サンフランシスコ体制否定が根底にある。だから、人間宣言した天皇には用はないと思ったのだろう。安部さんは口では言わないが、実際には東京裁判史観、サンフランシスコ体制をにがにがしく思っている。だからこそ靖国に参拝できたのだ。戦後長く宮司をやった筑波は世界平和運動にも関心をもった人で、神社の中に鎮霊社なるものをつくり、敵味方を分けず、すべての人を祭るようにしたという。そこは今回安部さんが、参拝があくまで平和希求のためであるという口実のために訪れた場所であるが、筑波が亡くなった後松平のために、一般の人は入れなくなってしまった。同じ靖国神社の宮司でありながら、筑波と松平の考えが天と地ほどもあることがわかる。
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比較的客観的な立場で書かれている。
過去の経緯を知ることが靖国問題の解決には必要という考えは納得できる。
靖国問題に関心のある人は読むと良い。
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戦時中に母の兄(当時10歳死去)が乗って追撃された疎開船対馬丸学童が靖国神社に合祀されているということを知って靖国神社について学びたいと思っていた。靖国神社の書物は賛成か反対かどちらの立場で特に批判的なものが多いが、中立的な立場で書かれたものというレビューがあったのでお取り寄せ。
7月15日のみたままつりは10代の若い世代の女性が多数で人気の行事らしい。彼らはそこがどういう場所か認識は不明だが今の日本の平和を象徴しているのではと。
靖国神社の問題は、歴史や国家間の対立、信仰やイデオロギーの違いといったことで複雑であるが、この本では議論の前提を整理することが目的とのこと(「はじめに」より)。
人を神に祀る風習という柳田國男の論文参照にて、死後に祟ったものだけが神として祀られてきた、その例として北野天満宮に天神として祀られている菅原道真の場合を挙げている。
靖国神社の祀られた目的は国家に殉じたことを顕彰するためであるが、祭神の合祀というやり方は特殊で、二柱以上の神を一つの神社に合わせて祀っている。
それまで神として祀られてなかった戦没者の霊を招きそれを新たに祀る方法であり、靖国神社と護国神社のみにみられる合祀のやり方とのこと。
靖国神社は東京招魂社と呼ばれていた時代は内戦における官軍の戦死者だけだったが、靖国神社と改称されてからは維新殉難者が合祀されて対象者拡大(変容第一段階)
日清日露という対外戦争のあと官軍と賊軍の区別がなくなり日本全体が対象となる この時期から「死んだら靖国で会おう」ということが若者たちのあいだで合い言葉 ハレの場としての機能(変容第二段階)
戦後戦没者慰霊だけでなく国や天皇のために立派に戦死を遂げ英霊として祀られるという目的実現のための軍国主義の施設へ(変容第三段階)
民間の宗教法人になったにも関わらず合祀の作業は国と協力して行っていたため戦前の体制がそのまま受け継がれている。元軍人主体の厚生省引揚援護局との密接不可分の関係
準軍属として、徴用工、動員学徒、女性挺身隊員、満州開拓青年義勇隊員、対馬丸学童も政府の疎開命令のため含まれた
A級戦犯の合祀は軍人を嫌っていたらしいという筑波藤麿宮司が長らく保留にしていたが、元海軍少佐で松平永芳宮司へ交代となって昭和53年秋秘密裏に合祀となり、天皇陛下が行かれなくなるということもわかっていての対応
日本遺族会の政治的圧力で国家護持
昭和54年4月19日新聞のスクープでA級戦犯が靖国神社に合祀されたと明るみになった
首相の公式参拝は政教分離の原則に違反するかどうかの裁判が各地で行われている
境内にありながら存在封印された鎮霊社については、筑波宮司の「日本の英霊だけでなく世界の英霊も祀ることで世界平和の実現を」という強い意向で一部反対がありながらも昭和40年7月建立
昭和49年北海道神宮放火事件や昭和52神社本庁爆破事件など過激派などの攻撃の危険性のために閉鎖
A級戦犯の分祀の意見があるが、分祀する施設が決まらないという難問
自衛隊が勤務及び訓練中に亡くなった場合、殉職者慰霊碑は防衛相市ヶ谷駐屯地にある(1800人以上) 自衛隊費用負担ではなく寄付によって賄われているとのこと
今後自衛官が戦死を遂げた時、靖国神社に祀るというべきではという議論が今後出てくる可能性あり、その時点で靖国問題の性質が変化
2014年7月1日集団的自衛権行使容認の閣議決定が行われた日にと締めくくっている