紙の本
ホントに日記
2017/04/19 18:03
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しましま - この投稿者のレビュー一覧を見る
このシリーズ、日本の古典と中国の古典はほぼ揃えてます。多くは原典を抜粋したダイジェスト版だが、この作品は小品であるおかげで、全文の訳文と本文が掲載されている。
平安日記文学の多くが年を経てからの回顧録的な内容だが、これは、女の振りして描いていても、日々の記録であり、ブログ的である。高知県から、2ヶ月もかけての船旅はさぞ大変だろうと思いきや、酒を飲みたらたら過ごし、なんだか楽しそう。
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古文はさっぱり分からないので、主に現代語訳されている部分を読んでみた。
モダンな感じの訳で、読みにくい感じはしなかった。所々に入るコラムも、知識に乏しい僕には嬉しかったし面白かった。
大体の内容を押さえて古典の雰囲気を楽しむには良書だと思う。ばりばり古典を読める人には物足りないかも。
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2011/07/09
古典学習用に。
国司の任を終えた紀貫之が女性に扮して書き下ろした、土佐から京への紀行文。
2ヶ月弱の船上生活を思えばさぞかし大変だったに違いないが、今の時代から考えると、なんてのんびりとした旅なんだろうと思ってしまう。
それも、出立後10日余りは、土佐から大して離れることもなく毎日飲んだくれている始末。笑
とはいえ、長く読まれているのは、笑いの要素も入れつつ、喜びも憂さも率直に気持ちを書き綴った、紀貫之の人柄の表れもあるのだとも思います。
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なのめのネカマのブログならむと思ひて読み始めたてまつれど、さしもあらず。まうけたまふネタの数々、自身の待遇を心うく思ひたまへるさま、道すがら海賊のむくひもこそすれなどとおびえたまふさま、そして今は帰らぬわが子を思ひたまへるさま…。いづれをとりても、いとあはれにをかしかりき。解説もゆかしかりき。
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一部は教科書で読んだことがあったがこんな内容だったとは…。短いから古文を習っている高校生などが読んでも、古典に親しみがわいてよいと思う。
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承平四年(934年)に土佐守の任期を終えた
紀貫之(866年または872年頃?- 945年?)が、
京都の自宅に着くまでの五十五日間の旅を描いた日記文学。
承平四年(934年)は朱雀天皇のころ。
五十五日とは、12月21日~2月16日にあたる。
日記中に出てくる和歌の下敷きになっているものの作者、
また日記中言及される(と思われる)人物は、
在原業平(1月8日)、藤原兼輔(1月13日)、阿倍仲麻呂(1月20日)、
藤原興風(1月21日)、惟喬親王・在原業平(2月9日)などがある。
藤原兼輔は藤原冬嗣の曾孫、蔵人・蔵人頭として
醍醐天皇の側近くに仕え、921年に参議として公卿の座に列なった。
貫之は兼輔の庇護を得るため、延喜年間には兼輔の家人となり、
主従の関係を結んでいたとのこと。(P78)
現代語訳、原文、解説、コラムが掲載されており、
とても読みやすい構成になっている。
(古語一つに対する現代語訳(単語解説的なもの)は掲載されていない)
入りやすい本だと思う。
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平安期の大歌人、紀貫之が侍女になりすまし、帰京の旅をかな文字で綴った紀行文学の名作。国司の任期を終えて京へ戻る船旅は長く苦しい日々の連続であった。土佐の人々に温かく見送られ出発したものの、天候不順で船はなかなか進まない。おまけに楫取はくせ者。海賊にも狙われる。また折にふれ、土佐で亡くした娘を想い悲嘆にくれる。鬱々としながらも歌を詠み合い、ひたすら都を目指す一行の姿が生き生きとよみがえる。
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図書館から借りました
『姫のためなら死ねる』という漫画(百合。清少納言と定子のいちゃこちゃら)に出てきたのですが、「紀貫之」を「あいつネカマだろ」「違います、男の娘ですよ」「どっちもあまりかわらないわ」という会話に惹かれて、どんな話なのかなーと借りて読んでみた。
古典って、奥深いな!
日記文学であるが、まごうことなく日記的。というか、ブログ的。
記録的に近いかも。
和泉式部日記・更級日記は時系列がとびとびというか、毎日のことではないのだが。それはつまり、回顧録で、その日その日に書き綴る日記ではないから。
これは毎日の備忘録のようなこともあり。
何もないこともメモっている。
「二日。なほ大湊に泊まり。講師、物、酒おこせたり。(天候悪くてまだ船が動かせない。お寺の僧侶がいろいろ持ってきてくれる)
三日。同じ所なり。もし風波のしばしと惜しむ心やあらむ。心もとなし。
四日。風吹けば、え出で立たず。(まだ出られないよー)・・・」
一行、一文でも、とにかく日を追っている。
土佐に赴任した紀貫之が同行の侍女(女房)のふりをして書き綴っているのだが、あちこちおかしいので当時の人にはこれが女の書いたものではないとわかるらしい。わざとばれるように書いている模様。最後の日はもう紀貫之そのものの感想であるから、途中までまったく気がつかずに騙されていた人たちへも暴露をする。名乗りはあげないが、家にたどり着いて、そこが荒れているのを見て、また松が伐採されたり、新しい小さな苗が生えていたりしたりするのを見て、その感慨をそのまま書き綴る。それまでは「娘を亡くした人が詠むのですが」といった第三者目線であったのに。ここが完全謎解き章。ほら、「私」でしたよ。
名前は出さないけれど。
真面目な話ばかりではなく。
「土佐に赴任するときは誰もこんなにいろいろしてくれなかったのに、帰ってきたら(赴任先で金を儲けてきたから)みんなこぞって出迎えてくれる。なんかこのもてなし、嫌な気分。もちろん謝礼はするけどさっ。あ、別にその家の家人たちは礼儀正しくて、嫌な気分にさせるわけじゃないんだけどさっ」
とか書いてあったりする。
公開して大丈夫か、これ。。
だから、自分の名前伏せたのかなー。
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教科書に載ってて存在は知ってるけど内容はよく分からないから読んでみたいシリーズその1。
せっかちさんには向かなそう。土佐から帰京する船旅の、日記の体の文学だそう。でも船が悪天候やらなんやらかんやらで、遅々として進まない。まだ同じ場所で停泊しなければいけない、そんな船上の人たちの不満や不安が伝染するようで、あーもう早く!と思ってしまう。
読者は作者が本当は男だと分かっている前提で女性のフリして女もしてみんとてするなりと書いていたらしい。一種のギャグのようだけど、当時からそういうのってあったんだなあと、平安時代がちょっと身近に思った。
紀貫之さんは和歌の名手のようで、至る所で上手かったり下手だったりする歌が散りばめられている。文学のミュージカルみたい。
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何となく読みたくなって気まぐれで購入。
面白い。
1話ずつ現代語訳→原文→解説・註釈の順に並んでおりとにかく読みやすかった。
多分最初に原文だと嫌になってたかも。好みの問題かもしれないが。
この作品は平安貴族・紀貫之による’女性になりすましたおじさんの旅行日記ブログ’。
高知から京都までの55日間のクルーズ旅行で起こったアレコレを女性のふりをして綴ったもの。
高知を出発する数日間ずっと飲んでる。やっと出立したと思いきやすぐに着岸してまた飲んでる。シケで停泊してイライラする中、海賊が近くに来たっていうので船頭に八つ当たりバチ切れしちゃう。船酔いでぐったり。家に着いたら着いたで、隣の人に4年間留守をお願いしていたのに家じゅうメチャクチャでしょんぼり。
任地で亡くした幼い娘に想いを馳せる時は一際哀切な歌を詠むのでその場面はストレートにグッとくる。しかし出発数日目には下ネタもかます。淡路の婆さん(「淡路の専女」)がお茶目。
個人的には十九日目がツボ。
高校古典の授業では冒頭の節を扱うけど、もっとフランクに教えてくれれば興味を持てただろうな、などと振り返ったり。
11刷
2021.4.6
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停泊続きの航海のなか、人間模様を描く。
帰宅後、亡き子を偲んで詠んだ歌。
「見し人の 松の千歳に 見ましかば 遠く悲しき 別れせましや」
(亡くなった娘のことを、千年の齢を保つという松のように見ていたなら、永遠の悲しい別れをしたことだろうか。そうならなかっただろうよ)
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私はこのビギナーズクラシックスシリーズをすごく信頼しています。
かなり噛み砕いて解説してくれているので古典初心者にはありがたい…!このシリーズはとっつきやすくなる!入門編にぴったり。
ただし、これだけを読んで原作を読んだ気になるのはやや気が早い感じがする。これより堅めの解説や原文を読んで、やっと読んだと納得できると言える。と、思う。
コラムの解説も、痒いところに手が届く。現代に繋がる例を挙げてくれたりして理解がしやすい。
まだ読み途中
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平安時代の大歌人、紀貫之が女性になりすまして土佐から京の自宅を目指す旅を描いた日記文学の名作だ。
編者の「はじめに」を引用すると“笑いあり、涙あり、スリルあり、そして作品全編にただよう水の匂い。それが『土佐日記』の魅力”
時にはデーブ・スペクターにも負けないようなダジャレを繰り出し、紀貫之の堅いイメージがいい意味で崩れた。
また、この日記には様々な登場人物が詠む五十八首の和歌が出てきて和歌入門書としての側面もある。一番好きなのはこの和歌。
棹させど 底ひも知らぬ わたつみの 深き心を 君に見るかな
(棹をさして知ろうとしても測り知れない大海のように、深いご厚意をあなた方には感じますよ)
土佐を去る紀貫之との別れを惜しみ、見送りに来てくれた人たちへ送った紀貫之の和歌だ。きっと貫之は関羽のように義理人情に厚い男だったのだろう。
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ほむほむ短歌会の皆で鑑賞した紀貫之特集の番組で紹介された土佐日記。読まなくちゃとしばらく積読状態でした、なんとか読了。
四国の高知から任期を終えてあとの京の都へ帰るまでの、想像を絶する船での移動旅日記(約五十五日間、ある年の十二月二十一日から二月十六日)。
現代訳、原文、解説、時々コラムの構成なので比較的読みやすい。付録に和歌歌謡初句索引、巻末に旅程地図がありそちらをたどりながら道中移動を体感できる。
コラム欄を抜粋。「歌集」でなく「家集」個人の歌を集めた私的な歌集のこと、歌人の家に代々伝わる父祖の歌集という意識が強かったとのこと。歌合とは紅白歌合戦のように二チームに分かれて和歌の優劣を競う文学的遊戯で、チーム名は赤白でなく左右で一首ずつ歌を出し合い勝負を競う。古典文学は、書き写して転写を重ねて残され、自筆本はほぼない状態で読み違いや間違いだらけの写本の可能性もあるとのこと。解説によると、著名は実は『土左日記』らしい。
特に好きな歌を抜粋。
池に住む住人からの贈り物と一緒に添えられた和歌
<浅茅生の野辺にしあれば水もなき池に摘みつる若菜なりけり>
別れをしのぶ幼子が詠んだ歌
<行く人もとまるも袖の涙川汀のみこそ濡れまさりけれ>
風も波もやまず二十五日以上も停泊して焦る様子を詠う 波も雪に見えるくらい途方に暮れている様子
<霜だにも置かぬかたぞといふなれど波の中には雪ぞ降りける>
海賊の噂を聞きつつ船を出すことになった嬉しさを詠う
<追ひ風の吹きぬる時は行く船の帆手うちてこそうれしかりけれ>
梶取の無茶ぶりな要求に呆れている様子 大事な鏡を投げ入れたら海が穏やかになったらしい
<ちはやぶる神の心を荒るる海に鏡を入れてかつ見つるかな>
無事に京に入り桂川を見てしんみり帰京の嬉しさに浸っている様子
<ひさかたの月に生ひたる桂川底なる影も変はらざりけり>
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空を漕ぐ船
影見れば 波の底なる ひさかたの 空漕ぎわたる 我ぞわびしき (水に映る月影を見ると、波の底に大空が映っているが、その空を漕いで行く私は、何とちっぽけで頼りない存在なのか)
廬山寺 ろざんじ
京都にあるお寺。紫式部の邸宅跡と言われている。
昔の旅行は本当に大変だ。海賊の心配をしたり、天候のために何日も足止めされたり…
「わだの泊の別れの所」での段で、在原業平の名前が出てきて驚いた。
故在原業平だって。死んでる…
在原業平は平安前期の人で、紀貫之は平安前期から中期にかけての人。
それに紀貫之が前の世の優れた歌人たちを六歌仙と名付けたのだから、同じ時代の人ではないというのは、考えてみれば当然だった。
さらに言えば、在原業平の北の方は紀一族の女性だったか。紀貫之にとっては名高い親戚という位置づけだったのかな?
人はなぜ歌を詠むのか?
「思ふことに堪へぬ時のわざ」
土佐の国から京まで、今の高知県から京都までか。
紀貫之一行が京にたどり着いた章では、一緒に帰京したかのようにほっとした。55日間の冬の旅だ。