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禅の極致は、主観的心理的神秘的経験の上になければならない。
2020/09/15 15:30
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投稿者:三分法 - この投稿者のレビュー一覧を見る
仏教は宗教である。宗教的な体験は、伝統的、知的、儀式的、そして神秘的という4つの要素からできている。神秘的要素は、受動性から出てくる。現わそうとしても現わすことができない神秘的という要素が含まれて始めて宗教は生き生きとなってくる。また、禅宗は仏教の一派である。仏教は4つの因子から構成されている。すなわち、仏の人格と体験と教えという3つの因子、それに仏以後の一人一人の仏教者の生活の体験という第4の因子が加わって動いている。この第4の因子がなければ仏教という流れの水が、持続し、勢いが加わることはない。この自分で体験するということ、体験を重んじて理屈は重んじない、ということが、本書では強調されている。禅宗では、このことを自覚聖知と言い修行の中心であるといわれる。何を自覚するのかというと、すべてのものは自分の心一つに納まるということ、すなわち所造であるということを自覚するのである。
紙の本
禅の位置付け
2019/05/23 17:09
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投稿者:ただの人間 - この投稿者のレビュー一覧を見る
禅そのものだけを扱うわけではなく、仏教、宗教とどのような関係に立つのかという点に多くの部分が割かれていた。 なかなか禅の話題にならず、初めは前置きが長いな、という印象を持たないでもなかったが、最終的に禅についてが語られる段階で、 それまでの説明が必要なものであると感じさせられた。 個人的な経験を重視しながらも、独りよがりにならないようにすることも説いており、一読了解というよりも、奥深さを示したという印象を受けた。
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仏教には4つの要素がある。仏の人格(カリスマ)、仏の経験、仏の教え、実践者の経験である。実践者の経験がそれぞれあるからして仏教にはいろいろな宗派が認められた生きた宗教となる。
仏の経験の中で特に大事なのは涅槃と成道である。
仏の教えの根本は菩提樹の下の正覚を説くのが目的である。悟った(知)だけでは十分でなくそれを広める(説法)のも大事。社会性を有する。
禅の極致は心理的方面になければならない。すなわち神秘的体験の上になければならない。禅宗とは論理的(客観的)に考える哲学のようなものではなく、心理的な(主観的な)もの。禅はいつも自分に戻ることであり、個人個人の信仰、体験に立脚してそれが土台になる。その信仰を押し進めていくとそれは自分の経験事実があるからでこの経験を解釈すると禅の意味もわかる。意識の底の底まで入って突き破ったところは吸う教的解釈の領域で、自分と天地とがそこでは一つになる。
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なぜか禅よりも仏教について多く語られていたような気がする。
おかげで、仏教に関する疑問点が解消し、いちおう仏教的な考え方を理解することができたが、禅のほうはよくわからなかった。
いわゆる禅問答とかについて知りたかったんだけど。
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読み終わったというだけで内容は理解できていない。解説にある「自分の読み方の不徹底から読み所を見つけず、講演筆記の徒に冗漫なもののように考えたりしてはならない」が耳に痛い。禅の初心者、修行者を問わず、最善の禅入門書として定評があるというが、初心者である私は混乱しただけだ。
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禅ってそもそも何なん?という疑問に答えを求めてみたものの、一度読んだだけではやっぱり、よくわからないままです。ほかの本を読んでからまた戻って、深まればいいのかなと。
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日本を代表する禅学者、鈴木大拙の講演をまとめた本。
入門書として最適との触れ込みではあったが。。
いかんせん、私には難しすぎた。
一応、すべて読み切ったものの、全体像は「?」が付いたままで、容易に理解できない。
そういうものかもしれないが。
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コトバがほとんど心に入ってこなかった。ーー目の前に広がる大自然に無感情に佇む自分。大自然に囲まれて空気美味しいはず、、、心癒されるはず、、、という思い込みが頭にあるものの、身体がほとんど反応しない状態のようだ。彼の著作に直接触れる前に、彼の教えについての初級者向けコンテンツから入ろうと思った。
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電子書籍。
わたしの読み方が浅いのか、禅でも仏教でもなく自分自身の思想を語っているだけにしか読めない。
この時代すでに仏教を学問として研究されており、鈴木自身大学で研究しているにもかかわらず、仏教学の学問的成果を無視している。さかんにたとえはなしをするがそのたとえがいつもよくわからない。
鈴木が紹介する公案にシュレディンガーの猫にそっくりなのがあった。禅問答のようなたとえではあるが、実際にあるとなんか笑う。
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禅ってニーチェの考えに近いかも??他力本願ではなく、自分で苦難を乗り越えなければならないというのが教えだから。
ここから思ったのが、資本主義って案外悪くないのでは?自分の苦悩を乗り越えた部の結果がお金であるという考え方を持てるかもしれない。マックス・ウェーバーもプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の中で言っているぽいけど、めっちゃ働くというある種の禁欲主義的発想なのでは?
宗教はその人・時代に合わせて柔軟に合わせる必要がある。←仏の教えは変わらないけど、それを受け取る人々の差はある。いわゆる原理主義というものは意味がないとみていいのではないか?(これはさまざまなことに言えると思う)→ツァラトゥストラの中でも言われているけど、生み増やすのではなく生み高めるということなのかもしれない。
理屈も大事だし、神秘性も大事、そしてモノをそのまま見る力全てが必要。
苦しみが多いほど、そしてその苦しみが大きい(?)ほどよいみたいな感じだけれど、以前weekly Ochiai で羽生さんが「良い人生とは後悔の多さだ」と言っているのはまさしくこれじゃないか?