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紙の本
戦争の
2020/01/04 16:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ケロン - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦争をはっきりと否定しているわけではなく、むしろ日常のひとこまのように描いているのに、きちんと戦争の醜さや悲惨さが伝わってくるのはヴォネガットの手法ですね。
紙の本
「ライヒェントレーガー・ツー・ヴァッヒェ」
2009/07/07 23:49
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ハワード・W・キャンベル・ジュニアの告白を著者が編集したということになっている。
「この人物はあまりにも公然と悪に仕え、あまりにも密かに善に仕えたが、その罪は彼の時代が負うべきである。」
題名の「母なる夜」とは、ファウストに出て来るそうだ。単純に言えば「悪」なんだろうけれど・・・アメリカ=“善”でないことは、ドレスデンの空爆を体験したヴォネガットさんは、承知の上。風刺や皮肉もちりばめて・・・面白く読みながら、いろいろ考えてしまう。人間の心って難しい。
ナチの人たちはあまりにも厳格な親に育てられ、成長し親の束縛から逃れても子どもの頃と同じように権威に従ってしまったのではないか?という説を読んだことがある。オウムの場合はどうだったのだろうか?
イスラエルで監禁されている時にアイヒマンと言葉を交わす。「「あなたは六百万人のユダヤ人の虐殺について有罪だとお考えですか」とわたしはたずねた。
「全然思わんね」と、アウシュヴィッツ監獄の建造者であり、火葬炉へのベルトコンベアーの導入者であり、チクロンBというガスを世界一大量に消費したこの男は答えた。
この男のことをよく知らないわたしは、仲間内だけに通じる皮肉をー仲間内ならば皮肉として通じるだろうと思ってーぶつけた。「いかがでしょう、あなたは単なる一軍人でしたから」とわたしは言った。「世界中どこでも軍人ならそうであるように、上長からの命令に服従しただけでは?」
「・・・わしが展開しようとする弁論をどうして知った?」」
これを聞いて、彼は
「アイヒマンには善悪を見分ける能力がなかった」「わたしの場合は違う。私はうそをつくとき、いつもうそだと意識しているし、そのうそを信じた人がどれほど残酷な目にあうか想像できるし、残酷さは悪だということもちゃんと心得ている。」と思うのだった。
ハワードの父は仕事中毒、母はアル中であったようだ。10歳の時に、母の異様な行動に怯えた体験を持つ。それ以来、母との距離を置くようになる。ドイツに転勤以降は、ドイツに育ち、脚本家となり、女優をしていた、ベルリンの警視総監の長女と結婚。両親が米国に帰国後もドイツに留まる。ナチの宣伝大臣ゲッペルスの下で、
「英語圏に対するラジオによるナチ宣伝の原稿書きと放送によって生活費を稼いだ」。終戦後は、「青い妖精の代母」に依頼され、米国のスパイにもなっていたハワードは、吊るされる運命から逃れ、ニューヨークに移住。屋根裏部屋にひとり住む。窓から見える小さな公園からときおり「オリーオリー・オックス・イン・フリー」という声が聞こえる。かくれんぼをしていた子どもたちが終わりを告げる、「もういいから出ておいで、うちに帰る時間だよ」というような意味合い。
ひっそりと暮らしていたハワードに、友達ができる。画家のクラフト。そして転機が訪れる。ハワード・キャンベルが、”あの”ハワード・キャンベルであることがばれてしまったのだ。イスラエル政府、ソ連、ドイツから追われることとなる。そこへ現われたのは、人種差別扇動家のジョーンズ達。彼らは、行方不明となり、すでに死亡していると思っていた妻のヘルガを連れてきたのだ。
彼らはハワードを崇拝していた。もちろん放送も毎回聞いていた。
「戦争中に真実を語った勇気に対して」とジョーンズは答えた。「あのころ、ほかの者はみんなうそをついていたからな」。
舅に最後に会った時にはこう言われた。「わしははっきり気づいた。わしがいま抱いている考えのほとんど全部、一人のナチ党員としてこれまで感じたり行ったりしたあらゆることを誇りにさせてくれる思想のほとんど全部は、ヒトラーからでも、ゲッペルスからでも、ヒムラーからでもなく―まさにきみから教え込まれたのだ」と。プロパガンダとは、実に凄いものだ。後に吊るされた舅も彼のお陰で心安らかに死ねたのかもしれない。
ハワードは射撃の標的をもデザインしていた。
「わたしは―ドイツ国内やジョーンズ家の地下室以外ではただばかばかしいと見なされるような―衝撃的効果をねらって、うんと大げさに、そして実力よりははるかに素人くさく描いた。
にもかかわらず、それは成功であった。
その成功にわたし自身が面食らった。」
「わざと素人めかした描き方のおかげで、それは公衆便所の落書きに似ており、あの悪臭と病的な薄暗さ、じめじめとした音、そして便器の上でのあの汚らしいプライバシーを連想させ―したがって、戦地に送られた兵士の魂の状態をまさしく反映していた。
私は意外にうまい絵を描いていたわけだ。」と述解する。相手がどう受け止めるかについては、計算不足だったというわけだ。彼の放送を理解していたのは、ルーベルトだけだったのかも。
イスラエルの刑務所の看守たち(交代で4人)の話も印象深い。第二次世界大戦も長い人類の歴史の中のほんの一齣に過ぎない。死への呼びかけは実に甘いささやきと感じられる。「ライヒェントレーガー・ツー・ヴァッヒェ」(死体搬出係は衛兵所まで)を繰り返し聞いているうちに、自分から志願してしまう。恥を感じない人間もいる。アウシュビッツの司令官へスの首吊りのために足を縛るのも、スーツケースを縛るのも同じ。戦争を体験したほとんどあらゆる人は不感症。
エブスタインにイスラエル政府に通報するよう依頼した時、当惑するエブスタインにその母親が言う。
「人からどこへ行けといわれなければ動けない、今度はこうしろと言われるのをいつも待っている、なにかしろと言われれば、だれの指図であろうと言われたとおりにする。はじめてじゃありません。アウシュヴィッツでこういう人を何千人も見たはずです」
ハワードは、もしかしたら、母親の狂気から目をそむけた時から、自分なりに考えたり、選択することをせず、廻りの要請にこたえる人生を歩むことになったのかも知れない。ヘルガとの関係も、濃密ではあったが、ベッドの範囲から越えることもなく、話し合うこともせず、彼女からの批判抜きの無条件の愛によって、精神的安定を得ていたのだ。それでは、本当の愛とは言えまい。本当の人間関係を紡ぐことから逃げていたのだ。
ハワードが犯した罪とは、そういうことなのだと思う。
そして、プロパガンダについては、受け取る側にも責任がある。「自己の知性ではなく心情に耳を傾ける男女が存在するかぎり、おそらく人類と共に永遠であろう」。みんな自分の都合の良いように受け取るのだ。
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