紙の本
周りとの調和という考え方
2016/11/14 18:15
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:うむうむ - この投稿者のレビュー一覧を見る
確かに、由緒ある建物の横に似つかわしくない威圧的なビル、山肌に巨大なコンクリートの壁、必要以上に目立つ看板や案内など、周りとの調和という考え方が不足している事実が、この本でよく分かります。
ただ、最近の観光化された古い町並みみたいに、表層的に調和さえ取れていればよいかというと、それだけでもない気がします。住民の息吹が感じられないテーマパークみたいになってしまってもつまらないので、その辺のさじ加減が難しいように思います。
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東京は住む環境に値しない。
長野県どん詰まりの田舎から東京に帰るたびに常々思う。
人が多すぎ、なんか生ゴミ臭い、空は狭い、水がマズい。
そんなコンクリートジャングルの汚い写真がこれでもかと本書には掲載されている。
だから本来の日本の風景を取り戻そう、というのが筆者の主張である。
さて、ここまで同意してきたのだが、この主張には反発してみよう。
一転反論である。
かつて日本の町は木と紙と土の家だった。
大地震が起き、戦争で焼け野原になり、その度に焦土の中から復興してきた。
現在の日本の(特に東京)のコンクリートジャングルは合理性の塊である。
地震に強い、火事に強い、さらには東京一極集中の人口を飲み込むマンション群。
景観、そんなものは災害の度に失くしてきた。
出口戦略がまるで無く、ただただ合理性のみを追求してきた街並みが東京である。
その結果、日本が得た最大の武器はインフラ技術である。
家電、半導体など日本がかつて市場を席巻していたことは今は昔、軒並みオワっている。
21世紀に入り情報産業で日本は押され続け、世界に対して技術的優位を保っている分野は、もうほとんど無い。
残ったのは自動車産業、そしてインフラ技術だ。
コンクリートで谷を埋め、コンクリートで川を堰き止め、山を削り、道を伸ばし、自然を破壊してきた代償に得たのがインフラ技術である。
そのインフラ技術を求める声が世界にある。
その技術は誇ってもいい。
だから、日本の醜い景観を並べ「だから日本は醜い」とディスるだけの主張には腹が立つのだ。
数百年前の街並みが未だに残る大学町、オックスフォード。
塔から見下ろすレンガ色の家々、フィレンツェ。
いくつもの時計塔が町から突きだす、コペンハーゲン。
旧市街のカラフルな家が並ぶ旧市街、ストックホルム。
川向うに立ち並ぶ無数の塔が夜の街に浮かぶ、プラハ。
ヨーロッパの国々は美しい。
景観を壊すことは文化を壊すことだ。
しかし、東京のどこに守るべき景観がある?
描くべき未来がなく、合理性を追求し続ける都市、東京。
SF映画で描かれる未来的な都市になる可能性があるのは、世界中で東京だけなのではないかと思う。
ならばいっそ、その可能性に賭けてみるのが面白いのではないか。
東京は汚い、住む環境にない、ならば田舎に来ればいい。
今住んでいる長野県は空家率が全国二位、お隣の山梨県は全国一位だそうだ。
これから空家率は増える一方、需要が無いなら価格も下がるだろう。
平日は東京で仕事をして、休日は田舎ライフ。
都会の汚さを嘆くなら、そんなライフスタイルはどうだい?
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[ 内容 ]
「醜悪な建築」「邪魔な工業物」「過剰な看板」などの写真を並べながら、なぜ日本の景観は破壊されるのか、貴重な観光資源を取り戻すにはどうすればいいのかなどを論じた、異色のヴィジュアル文明批評。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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今年話題の新書とのこと。日本に長く住むアメリカ人で、東洋文化研究者である著者が、日本の公共事業がどれだけ景観をぶっ壊しているかを熱く語ってる。お説ご尤も、全く異論ない、ばっさり切って当然、でもなんかものすごく脂っぽいラーメン食べた後みたいなもたれ感はなんだろう?(苦笑)
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都会に憧れて上京した私にとっては、とても耳の痛い話。
若い頃はおそらく著者の意見に賛同しなかったろう。
しかし、40を前にして、日本の良さを見過ごしていたんだと強く感じる。
あまり意識しない日本の良さは、海外の人に指摘されるまでわからないことが多い。
多様性って大事。チームは様々なバックグラウンドを持った人で構成すべきだ。
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ニッポンの景観が壊されていくと。電信柱、橋、携帯の基地局、ダム、護岸、工事の際の防護壁、ブルーシート。欧米では、建物の工事の際も、景観と訪れる人への配慮で、足場などにも工夫を施すと。ちょうど、鎌倉の段葛も工事に入ったが、無愛想な壁面になり、道路を断絶している。もう少し何とかならないものかと、この本を読んで特に思う。
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日本を愛する外国人、という視点がよい。一見語られつくされ古びたような指摘も見られるが、そういう(素人的というか)市民的な指摘や、苦笑・嘲笑さえ見えてくるような数々の皮肉は、案外ピュアに心を打つ(よく伝わってくる)。まちなかの景観への関心高さも、社会制度への洞察も窺える。
末尾には「愛しているなら、怒らねばならない」という白洲正子の言葉も紹介。怒ってくれるカーに日本人として感謝するとともに、自身も街なかの情景に対する「怒り」の感情を、大切にしていきたいと思った。
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米国イェール大学 日本学部卒業。
この本では写真を多用して日本の景観の悪さを「これでもか!」というくらい指摘してくれている。京都も例外でなく観光都市としてあるまじき建築物や町並みつくりがしてきされている。あのグロテスクな京都タワー、ちっとも京都らしさを感じさせてくれない京都駅ビルなど。
全国の観光地や神社仏閣公園などにおける親切すぎるしつこい立て札のセンスの悪さ。
電柱が倫理する古い町並みの写真。電線は、地中に埋めるべきとの指摘。埋めるのには膨大なコストがかかると日本人は思い込んでいるが...コストと効能を比較したら安いものとの指摘。
公共工事でどんどん自然にそぐわないハコモノ建造物などが作られている。もう十分過ぎる!これからの公共工事の予算は不要な建造物を取り壊す予算に回すべきであるという指摘はすばらしい。私が議員になったら予算を取ってきて、ハコモノや橋や道路をつくります。だからアタナの一票をいれてください!という議員や完了や有権者の頭の転換が必要との指摘は素直に理解できる。
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これまで海外を旅してきて感じた疑問、不満が全て氷解されるような本だった。途中、?となるような所もあるが著者が日本を愛し、遅れている日本人に諭してくれているのが分かった。皮肉などの表現も愛しているからこその言い方だと、胸に刺さるようであった。日本の観光はもっと考えないといけない。良書であった。
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外国人の筆者が、日本の景観の問題点を、多数の写真を見せながら皮肉混じりに語る。
門司港レトロ地区も門司港ホテルは昔からの雰囲気を伝えているが、門司港レトロハイマートは周囲との景観の調和の点で ?
公共事業の質的転換が急務であると思う。せめて東京五輪までには全国津々浦々電線地中化してほしいものだ。
筆者が古民家再生に携わった長崎県小値賀町、一度行ってみたい。
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日本の景観を世界へ、というモンタージュ企画は皮肉が効いていて面白いと思ったが、田舎のブルーシートにまで文句をつけられると正直「そんなもんくらいほっといてんか!」というナショナリストの血が騒ぐ。西洋の優れた見識でアジア未開人の蒙を啓くというイヤミはシンガポール等のアジア優等生を引き合いにだして論を立てたところで否定しがたい。
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アレックス・カー健在である、というか全く変わっていない。もう20年も前から日本の風景を愛するとともに、それをぶち壊す電柱や看板や現代建築物に異を唱えてきた。
彼の主張にはまったくの同感である。
本書は彼のブレのなさを示しており好感は持てるのだが、もっと新しい意見や提案などがあれば、さらにおもしろかったと思う。20年前よりも携帯電話やインターネットなど生活様式が大きく変化しているのだから、別な取り組みや発展した考察がほしいと思うのは、欲張りすぎるだろうか。
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日本の伝統的な景観が失われていくことに対する著者の危機感に共感する部分が多い。一方、いささか皮肉できつい、上から目線の表現が多いのに、読んでいて疲れたのも事実。”マッドアマノ”も入ってます。
祖谷の「篪庵」に宿泊したいが、お高いです。
http://www.chiiori.org/jp/index.html
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内容紹介
「醜悪な建築」「邪魔な工業物」「過剰な看板」などの写真を並べながら、なぜ日本の景観は破壊されるのか、貴重な観光資源を取り戻すにはどうすればいいのかなどを論じた、異色のヴィジュアル文明批評。
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「今では稀少なものになってしまった「何でもない風景」」文中にあった言葉。心に残る。「何でもない風景」に心惹かれる人もいるのだから、変わらないことや当たり前のことが悪いことではないことを、忘れてはいけないと思った。