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『セロニアス・モンクのいた風景』。
数々のセロニアス・モンクの評伝、あるいは、様々なミュージシャンに書かれた本の中でセロニアス・モンクについて書かれた部分を村上春樹さんが翻訳して書いたもの。
『ポートレイト・イン・ジャズ』で村上春樹さんが、書いた文章ももちろん(?)冒頭を飾っている。
取り上げられた文章の数々からセロニアス・モンクというジャズ・ピアニストの個性が伝わり、そして、村上春樹さんのセロニアス・モンクに対する愛情が感じられる一冊である。
個人的には、セロニアス・モンクのCDは一枚しか持っていない。『ポートレイト・イン・ジャズ』にも取り上げられたものではない。
この本を読みながら、ずっと聴いたこともないセロニアス・モンクの音楽を聴きたくなった。
そして、なぜか濃いブラックコーヒーを飲みたくなった。
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ボブ・ディランが無名の頃、セロニアス・モンクに会ったそうです。
ニューヨークにでてきた若いディランが、ジャズ・クラブ(ファイブスポット?)にピアノの音に惹かれて入りました。
弾いていたのはモンク。演奏が終わると、ディランが声を掛けます。
「僕は、フォーク・ソングを演奏しているんです」と。
セロニアス・モンクがディランを見て、
「私たちはみんな、それをしている」と答えた、という…。
フォーク・ソング。民話的音楽、民族的音楽、民衆のうた。まあそういう解釈での問答なんでしょうね。
嘘かホントかは知りません。でも、なんだか嬉しくなってしまう逸話です。
そんな話がいっぱい入っている、まあ、言ってみればそれだけの本なんです。
2014年、つい最近出た本です。
村上春樹さんがセロニアス・モンクについて愛着たっぷりに描いた文章。
それから、村上春樹さんがセロニアス・モンクについて、愛着たっぷりにアメリカ人が書いた文章を翻訳した文章。
を、集めて出来ている本です。
セロニアス・モンクと、モダン・ジャズと、村上春樹さんの文章が大好きな読み手にとっては、もう、キュンとなってタマラナイ本なんです。
(そうじゃない人にとってどうなのかは、ちょっとサッパリわかりませんが)
村上春樹さんは、なんといっても、大学卒業後は「ジャズ喫茶のマスター/オーナー」として生活されていたそうなので、知識も愛情も深いものがありますね。
それから、押しつけがましくもなく、教条的でもないので、僕は村上春樹さんの音楽について書かれた文章は、すごく好きです。(小説より好きかも知れません…)
ポップやロックとジャンル分けされる音楽についても書かれていますが、個人的には「ポートレイト・イン・ジャズ」という本なんか、とっても愛おしいです。
僕が個人的にジャズを聴くのが割と好きなのは、別段村上春樹さんの文章を読んできたことと、直接は関係ないと思うのですが、かれこれ20年くらい、好きです。
そして、これは誰から何か言われた訳でもなく、セロニアス・モンク、好きなんです。
なので、この本はびっくり狂喜しました。ありがとうございます。ごちそうさまでした。
大半を、新幹線の中で、モンクの音楽をガンガンに聞きながらゆったり舐めるように読みました。至福。
別段、内容の備忘録ということもありません。生前のモンクさんを知る、ジャーナリストやジャズ関係者の想い出話です。
以下、蛇足。
個人的に、好きなモンクさんのアルバム。CD単位になりますが。
「ソロ・オン・ヴォーグ」1954(煙が目に染みる、などは最高ですね)
「セロニアス・モンク・ウィズ・ソニー・ロリンズ」1953 (ロリンズの豪放さ、愉快さとモンク的なひねくれた快楽が実に素敵に融合していると思います)
「イン・アクション」「ミステリオーソ」1958 (吹きまくりのジョニー・グリフィンと相性が良いと思うんですよね。ライブ盤だし)
そしてやっぱり、村上春樹さんも触れている、マイルス・デイビスの��ーダー作になるんですが、
「バグズ・グルーブ」「モダン・ジャズ・ジャイアンツ」1954 この演奏は、ほんとに素敵ですねえ。
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和田誠氏の表紙、そして今は亡き安西水丸氏の裏表紙が、
ハイライトを一本あげたというエピソード(セロニアス・モンクに)が効いている絵が味わい深い。
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初読。図書館。村上さんが好きで、モンクは特に好きというわけではないので、結局最初と最後の村上さんの文章がよかっただけ。いろんな人がいろんな風にモンクを語り、「ああ、モンクってこんな人だったんだ」とは思うけど、それまでかな。裏表紙のイラストを描いた安西水丸さんへの追悼エッセイ(抜粋)が泣けた。・・・っていうのはまったく的外れな感想だよね。
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変な話だが、この本、セロニアス・モンクの音楽を聴いたことがない人が読んでも、かなりいけるのじゃないかと思う。まあ、全くジャズに不案内という人にはおすすめしないけれど。というのも、おそらく、おおかたの村上ファンは手にとるだろうし、手にとらないまでも気にはするだろう。なにしろ村上春樹の新刊なのだ。とはいっても、小説でもエッセイでもない。著者名の後に「編・訳」とあるように、海外のジャズ評論家や作家――なんと、あの『ジャズ・カントリー』の著者ナット・ヘントフまで――が、モンクについて語ったり書いたりした文章を探し集め、新たに訳し、編集したものである。
知っての通り、物書きになる前はジャズ喫茶のマスターをやっていた村上春樹のこと。ジャズに詳しいのは当たり前だが、セロニアス・モンクについては若い頃、かなり集中して聴いていた時代があったらしいことが、前書き代わりの「セロニアス・モンクのいた風景」という、これだけは本人の文章の中に書かれている。セロニアス・モンクの音楽について触れた文章の中で、これだけ美しく的確な比喩を駆使して書かれた文章はないんじゃないだろうか、と思わせる名文を皮切りに、著者が折に触れて集めた音楽本の中から選りすぐったモンクを愛する人々の文章がセッションを繰り広げる。
山羊髭を生やし、帽子をかぶった大男、というその風貌と、モンク(修道僧)という名前から「ビバップの高僧」などという愛称をもつセロニアス・モンクだが、その音楽自体が他のジャズ・ミュージシャンと比べてみてもひときわ飛びぬけた位置にあることが、それらの文章から伝わってくる。実は、やはり若い頃、セロニアス・モンクに魅かれ、何枚かLPレコードを買い集めたことがある。表紙カバーの折り返し部分にあるポール・デイヴィス描くところのジャケットが有名な『ソロ・モンク』や、村上による「私的レコード案内」で二枚目に選ばれている『アンダーグラウンド』がそうだ(懐かしい!)。
さすがに今でもよく聴くのはマイルズ・デイヴィスやジョン・コルトレーンといったところだが、このジャズ史に残る天才たちも、その若い頃、セロニアス・モンクによって導かれ、目を開かされたのだ。マイルズは後年になって述べている。「もし、モンクに出会わなかったら、自分の音楽的進歩はもっと遅々としたものになっていただろう」と。村上は、モンクの音楽には「謎」がある。マイルズもコルトレーンも天才にはちがいないが、モンクにあるような「謎」はない、と書いている。その「謎」とは何だろう。
モンクの音楽は誰のものでもないモンクだけのものだ、というのが多くの人が書いていることだ。ジャズにも流行りすたりがある。モンクもその成立に一役買った「ビバップ」がディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーによって脚光を浴びていたとき、モンクは、流行なんぞには鼻も引っ掛けず、自分の音楽を極めようと沈潜していた。彼の名は、プレイヤー間では有名でセッション希望者は引きもきらなかったが、一般には浸透していなかった。というのも、彼には独特の人格があったからだ。
他人とコミュニケーションをとることが不得手で、初対面の相手��は無言で通し、他者が自分を理解していないのではないかという疑心を抱くと、完全に自分を他者から切り離してしまう。そういった性格が災いして、数々のトラブルに見舞われている。最悪なのは、警察に薬物所持の疑いを持たれ、キャバレー・カードを取り上げられてしまうという事件だった。後にモンクの庇護者となったバロネス(男爵夫人)パノニカ・ド・コーニグズワーターの尽力で取り戻されるまでの間、彼は収入を得る手段である酒場での演奏をすることができなかった。
それ以外にも、プレッシャーから逃避するための酒やクスリの常習と、そこから生じる打ち合わせや演奏への遅刻といったこと。それに何にも増して、彼自身の音楽に対するよく言えば純粋さ、周りから見れば独善的な態度。仲間がソロをとるときでも、ソリストに合わせようとせず、自分のピアノに合わせることを要求するところなどが不興を呼び、モンクの音楽を認める演奏家からも距離を置かれることが多かったようだ。
しかし、そういうモンクの音楽を愛し、深く理解する人が妻のネリーはじめ、彼の周りには少なからずいて、彼を援け、励ましてきた。ニュー・ヨークを離れたら、必ずといっていいほどトラブルを起こすモンクをワールド・ツアーに連れ出すプロモーターや、レコード・プロデューサーの彼らだけが知る苦労話が惜しげもなく披露され、謎に満ちたセロニアス・モンク像を多方面から照射する。
これを書いている間もステレオからはモンクのピアノがずっと鳴りっぱなしで、久しぶりに充実した時間を過ごすことができた。あまり村上春樹の良い読者ではないのだが、ときおり彼がおくりだしてくれる、半分くらいは趣味のような仕事を、どこかでいつも愉しみにしている自分がいる。
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率直に言ってこの本、どういう人が読むんだろうと思う。村上春樹が好きな人かな。でもほとんどが訳文で、村上春樹のオリジナルの文章はほとんどない。セロニアス・モンクが好きな人だろうか。たしかにモンクが好きな人はいるけれど(日本に何人くらいいるんだろう?)、モンクについて読むよりは、モンクの音楽を聴いたほうが楽しいんじゃないかという気もする。
というわけで、誰にも薦められないし、村上春樹じゃなかったら、どう考えて陽の目をみることのない企画だとは思う。これを読んでモンクについて理解が深まったとも思わないけれど、村上春樹とジャズが好きなぼくはそれなりに楽しんだ。村上春樹も楽しかっただろうと思う。誰も損はしていないみたいだし(出版社は知らないが)、まあ、そういう本が何冊かあってもいいんじゃないだろうか。
表紙のイラストとその解題が心に残った。
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横浜野毛の“ちぐさ”の吉田翁がお元気だったころ、生意気盛りのコチトラでも、さすがに敬意を表して「何を聴けばいいでしょうね?」と訊ねてみると「モンクだよ、あんたモンクを聴きなさい」と。
進駐軍払い下げのレコードはジャケットがなくて、茶紙に包まれて棚を埋めていた。ジャズの歴史はもう十分重厚だった。
本書は春樹さんが、個人の趣味で収集したという文献を自ら翻訳して編んだアンソロジー。上等なモンク頌だ。
「黄昏のネリー」が染みますね。
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図書館で借りてみた。CDも借りてみた。
セロニアス・モンクのCDをまず聴いてみたけれどいまいち良さが分からなかった。
聴いたCD
The Essential Thelonious Monk
Brilliant Corners
Live At The Jazz Workshop
Solo Monk
The Essential Thelonious Monkに入っていたRound Midnightはなかなか迫力もありよかった。ただ他はあまりピンと来なかった。だいたい最近の私はDACとかアンプとかヘッドホンなど新調してみてあまり音にこだわっても駄目だなって痛感した。私はそれほど音楽が好きではないのだなとも感じた。音に拘りだしてからなんだか自分の耳に疑いが生じた。耳鳴りが気になりだしてあまり具合がよくない。登山でもしてすっきりしたい気分になった。
そして漸く本題にはいる。この本を読んでモンクを聴く姿勢が変わったのには我ながら現金だと思った。私の場合は音楽を聴くのにそれなりの背景を知っておかなければ楽しめない質なんだなって思った。気まぐれな天才の演奏を録音できたというだけでありがたく感じる。それは知っていなければ感じられないもので純粋に音楽だけで理解することは私にはできない。
貴重な音楽であるけれど気軽に聴くのが最高である。
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俺が生まれた頃の短い期間に輝き、やがて隠遁してしまった孤高の天才ピアニスト・モンク。彼と同じ時代を生き、深くかかわった演奏家や評論家たちが、彼について綴った記録を村上春樹が訳し、自らも著し、そして編んだ一冊。かつて、ニューヨークの飲食店で生演奏を生業とするには警察署が発行するキャバレー・カードが必要で、袖の下を握らせないとその維持は難しかったんだろう。寡黙であって統合失調症で表現力が乏しいうえ、当時の黒人への辛辣な差別を思うと、やはり麻薬も濡れ衣だったのかな。村上春樹の私的レコード案内における表現力はさすがだ。
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ジョニー・グリフィンがテナーを演奏しているモンクカルテットが好きで、よく聞いていた。ジョン・コルトレーンがテナーを吹いているモンクカルテットの演奏が伝説になっていて、録音したテープがどこかに存在するらしいという噂があった。まず、ファイブスポットでの演奏が発掘されCDとなった。これはあまり音質がよくなかった。次にカーネギーホールでの演奏が発掘されやはりCDとなった。これは音質も悪くなかった。どちらの演奏も素晴らしく、コルトレーンは、何かをつかんだと思わせる演奏をしていた。伝説は本当だった。
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独特の音を醸し出すモンク.好きなピアニストだが、村上春樹の日本人としての評論が良い.それ以外のものは翻訳だからか、何故が読みにくい.この様な特異なミュージシャンはパトロンがいないと生活が大変だなと感じた.
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翻訳調で最後まで読めなかった。
それでも、モンクとその周辺の人たち、その時代のムードは感じることができた。経験を積んでから、もう一度読んでみたいと思った。
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村上春樹の著書に『ポートレート・イン・ジャズ』というジャズミュージシャンについてのエッセイ集があって、その本が自分はジャズの音楽よりも大好きで何度も読み返しているのだけど、その中でもセロニアス・モンクについて書かれたものが一番好きなのだが、この本の序章にはその文章に加筆修正されたものが収められており、これだけでテンションあがります。
セロニアス・モンクのジャズミュージシャン及び人間としての孤高の天才性或いは透明性が感じられ、本書を読んだ方は、彼が弾くピアノの音色を必ず今一度聴き直そうとするはずであり、正に今、自分がそうです。
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p27 メディシン・ショー〔医薬品販売のための宣伝ショー〕
p43 一九四〇年代の初めにはレコーディングの技術は飛躍的に向上しており、放送局の経営陣は「これならわざわざ苦労して生の音楽を放送する必要はあるまい」と考え始めたのだ
p74 私が言いたのは、自分のやりたいように演奏すればいいということだ。世間が何を求めているかなんて考えなくていい。演奏したいように演奏して、自分のやっていることを世間に理解させればいいんだ。
p96 ブルー・ノート・レコードのアルフレッド・ライオン(モンクの最初のレコードを作った人)
p114 キャバレー(定義によれば「直接的また間接的に客に料理や飲み物を販売し、それに付属してエンターテインメントとしての音楽演奏、歌唱、舞踏、あるいはそれに類する娯楽を提供する、店舗、場所あるいは空間」ということだ)
p254 シットコム
p257 ストライドピアノ
p106 パノニカ・ド・コーイグスワーター
→【ロスチャイルド家】の娘 チャーリー・パーカー、セロニアス・モンクの庇護者
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最近セロニアス・モンクの曲を聴くことが多くなった。大好きな春樹さんが編集、翻訳した本ということで読むことに(^^)/
付箋
・まわりにいる人々にモンクの音楽の素晴らしさを伝えたいと思っても、言葉でそれを具体的に表すことができなかった。本当に大事なものを、本当に深いものを誰かと共有するには、言葉はむしろ余計なものになってしまう。僕はそれを痛いほど実感した。しかしもしそうだとして、言葉を抜きにして、僕らはいったいどうやって人の心に近接することができるのだろう?(中略)いつか何かのかたちで、人にうまく伝えることができるようになればと思って いろんな孤独のかたちをひたすら拾いあつめていたような気がする。
・彼がしゃべるかしゃべらないかなんて、私たちにとってはどうでもいいことだ。彼はピアノで大きく豊かに語りかけてきた。
・LP『リフレクションズ』スティーブレイシー
・大事なのはその場にいて、いつでも準備ができていることだ
・ジャズというのは「真夜中前後round midnight」に聴くのがいちばん良いと信じていた。
・『カミング・オン・ザ・ハドソン』モンクの人生の新たな段階の約束されたスタートを輝かしく刻んでいる。
・モンクの最も愛好する曲のひとつ『我と共に耐えよAbide with Me』プロテスタントの賛美歌
・「誠実さ」音楽的追求と音楽的意義への献身を意味する
・それがマイナー・コードだと、どうすればわかるかだと?だってそれはもともとマイナー・コードだからさ。三度をとばしたマイナー・コードなのさ!
・『ネリーと共にいる黄昏Crepuscule with Nellie』深い愛情のこもった音楽 ジョルジュドゥラトゥールの肖像画
・言うまでもないことだが、優れた音楽というのは一人で黙ってじっくりと聴き込めばいいわけであって、それについていちいち能書きを垂れたり、講釈をしたりする必要はない。実にそのとおりだ。まったく異論はない。とはいえ一方で、その音楽が素晴らしいものであればあるほど、それについて熱く語りたくなるものだし、その音楽の生まれた背景や事情を、少しでも詳しく知りたくなるものだ。これもまた紛れもない事実である。