紙の本
埋もれている才能を見つけ出し、それらを活かしてバンドのパフォーマンスを高めてゆくマイルス・デイヴィスという傑出した存在
2015/01/15 14:11
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投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る
レコード史上に残る名盤『カインド・オブ・ブルー』の製作過程を追ったドキュメントである。二回にわたって録音されたマスター・テープを実際にスタジオで聴き、当時のことを記憶する関係者にインタビューし、どのテイクは誰の失敗によって没になったか、どんなノイズが混じったのか、それらに対するミュージシャンたちの反応を、事細かに文章化している。
読むだけで十分面白いが、レコードを聴きながら本文にあたるとなお好い。同じアルバムながら時をおいて録音された二回のセッションで、録音のマイク位置が逆転しているキャノンボール・アダレイとジョン・コルトレーンのソロの受け渡しの変化が手にとるようにわかる。ソロの順番は、どちらのセッションでもコルトレーンから、キャノンボール・アダレイへと移るが、この時期、急激に力をつけつつあるコルトレーンのソロがテクニックやキャリアにおいて上回るアダレイに影響を与えていることがよく分かる。
『カインド・オブ・ブルー』という画期的なアルバムの成立事情については、前々からいろんな論議があった。すべてがマイルスの作曲なのか、ビル・エヴァンス作曲によるものもあるのか、それとも二人の共作なのか。録音に呼ばれたメンバーが、トランペットのマイルスを筆頭に、テナー・サックスのコルトレーン、アルト・サックスのキャノンボール・アダレイ、ピアノのウィントン・ケリーとビル・エヴァンス、ベースのポール・チェンバース、ドラムのジミー・コブとなった理由はなぜか(この時期、ビル・エヴァンスはバンドを辞めていた)。
マイルスは一つのスタイルで括られることを拒否し、常に新しい試みにかけ、次々と脱皮を繰り返してはファンを翻弄し続けたが、果たして『カインド・オブ・ブルー』は、その中でも特別の意味を持つアルバムなのか。初期から『カインド・オブ・ブルー』に至るまでの音楽的な変遷を追うことで、「クール」から「ウェストコースト・ジャズ」が生まれた経緯、名盤『クールの誕生』を共に作りながら、白人ミュージシャンと袂を分かち、ニュー・ヨークに戻って「ハード・バップ」の中心となった消息が手にとるように分かる。
どこからともなく響いてきて、中空に漂い続けるかのような『カインド・オブ・ブルー』におけるマイルスの抑制されたリリシズムは、ビル・エヴァンスとの出会いなくして生まれなかった。クラシックに造詣の深いビル・エヴァンスと、アルバン・ベルクやストラビンスキー、ラヴェルなどを聴いていたというマイルスが、どのようにしてこのアルバムのサウンドを創造するにいたったか。本当は内気であるのに、強がった物言いや素っ気ない仕種で孤高を気取るマイルスと学究肌の白人ピアニストとの遭遇が化学反応のようにして『カインド・オブ・ブルー』に結実したのだ。
マイルスはディジー・ガレスピーのように高音域を思うように響かせることができなかった。そのことが『カインド・オブ・ブルー』における中音域を生かした歌うような独特のサウンドを生み出したこと、同じように不器用なコルトレーンの中にある創造性に気づかせ、彼を仲間に引き入れ、手綱を引いたり、突き放したりしながら、後のコルトレーンを準備したことがよく分かった。埋もれている才能を見つけ出す能力、それらを活かしながらバンドのパフォーマンスを高めてゆくこと、それまでのジャズ・ミュージシャンができなかったことを次々と実現させてゆくマイルス・デイヴィスという存在を鮮やかに描きだしている点でこの本は優れている。
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10数年前、図書館で借りて一気読みし、あまりの面白さに購入しようとしたところ既に廃刊となっていることを知り、仕方なく機会があれば原書を読んでみようと考えてそのままにしてしまっていたが、今回思いがけなく書店でリイシュー版を発見、即購入した。当時とジャケとタイトルが違う(当時の方が良かった)理由は不明だが、ジミー・コブの序文に始まりあとがきに至るまで、内容はほぼ変わっていないようだ。
あの研ぎ澄まされた静謐さに満ちたアルバムが、延べ2日、たったの9時間そこそこで、しかも全曲ほぼファーストトラックで録音されたという事実に改めて驚かされる。さぞメンバーに緊張を強いたであろうが、それは本書に収められた多数の写真からも見て取れる。和気藹々とした雰囲気を感じさせるものも(アダレイを中心に)あるが、特にマイルスとエヴァンスが楽譜を覗き込みながら何やら真剣に打ち合わせをしているところなどは、まるでラボラトリーか軍事戦略室でのそれを彷彿とさせる。
また、後年崇め奉られることになるこのアルバムが意外にぞんざいな扱いを受けている(有名なトラック名取り違え、再発時のジャケットのいい加減な差し替え)ことや、エヴァンスのライナーノーツの真偽などなど、興味深いエピソードも満載。同時期に発表されたオーネット・コールマン「ジャズ来るべきもの」の革新性との比較論も面白い。訳もかなりこなれていて、翻訳物であることを忘れさせるほど読み易い。
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音楽ジャーナリストによる『カインド・オブ・ブルー』の、著者が言うところの「レコード」本。レコード史上に残る名盤『カインド・オブ・ブルー』がどのようにして作られたのかを追ったドキュメントである。中心になるのは、二回にわたって行われた録音の実際がどのようなものであったか。コロンビアから提供されたマスター・テープを実際にスタジオで聴き、当時のことを記憶する関係者にインタビューし、どのテイクは誰の失敗によって没になったか、どんなノイズが混じったのか、それらに対するミュージシャンたちの反応を、いちいち事細かに文章化している。
もちろん、読むだけで十分面白いが、できれば実際にステレオでレコードを聴きながら本文にあたることをお勧めする。同じアルバムでありながら時間をおかれて録音された二回のセッションで、録音のマイク位置が逆転しているキャノンボール・アダレイ、とジョン・コルトレーンのソロの受け渡しの変化が手にとるようにわかる。ソロの順番は、どちらのセッションでもテナーのコルトレーンから、アルトのキャノンボール・アダレイへと移るのだが、この時期、急激に力をつけつつあるコルトレーンのソロがテクニックやキャリアにおいて上回っているアダレイに影響を与えていることがよく分かる。
『カインド・オブ・ブルー』という画期的なアルバムの成立事情については、前々からいろんな論議があった。すべてがマイルスの作曲なのか、ビル・エヴァンス作曲によるものもあるのか、それとも二人の共作なのか。録音に呼ばれたメンバーが、トランペットのマイルスを筆頭に、テナー・サックスのコルトレーン、アルト・サックスのキャノンボール・アダレイ、ピアノのウィントン・ケリーとビル・エヴァンス、ベースのポール・チェンバース、ドラムのジミー・コブとなった理由はなぜか(この時期、ビル・エヴァンスはバンドを辞めていた)。
マイルスという音楽家は「クール」だとか「モード」といった一つのスタイルで括られることを拒否し、常に新しい試みにかけ、次々と脱皮を繰り返してはファンを翻弄し続けた人だが、『カインド・オブ・ブルー』は、そのマイルスの変遷の中でも特別の意味を持つアルバムのように思われる。それは、果たして正しいのか、マイルスの初期から、『カインド・オブ・ブルー』に至るまでの音楽的な変遷を追うことで、「クール」から「ウェストコースト・ジャズ」と呼ばれる一派が生まれた経緯、さらには名盤『クールの誕生』を共に作りながら、他の白人ミュージシャンと袂を分かち、ニュー・ヨークに戻って「ハード・バップ」の中心となったあたりの消息が手にとるように分かるのもありがたい。
『カインド・オブ・ブルー』におけるマイルスの抑制されたリリシズム、どこからともなく響いてきて、中空に漂い続けるかのようなサウンドは、ビル・エヴァンスとの出会いなくして生まれなかったと想像できるのだが、クラシックに造詣の深いビル・エヴァンスと家では、アルバン・ベルクやストラビンスキー、ラヴェルなどを聴いていたというマイルスが、どのようにしてこのアルバムのサウンドを創造するにいたったか。本当は内気であるのに、強がった物言いや素っ気ない仕種で孤高を気取るマイルスと学究肌の白人ピアニストとの関係が化学反応のようにして『カインド・オブ・ブルー』に結実したその内実もまた読みどころである。やがて疲弊したビル・エヴァンスが離脱するのもよく理解できる。
マイルスがトランペット奏者としては決して上手くはなく、バードやディジー・ガレスピーのように高音域を思うように響かせることができなかったことは以前から知っていた。しかし、そのことが『カインド・オブ・ブルー』における中音域を生かした歌うような独特のサウンドを生み出したこと、同じように不器用で上手くはなかったコルトレーンの中にある創造性に気づかせ、彼を仲間に引き入れ、手綱を引いたり、突き放したりしながら、後のコルトレーンを準備したことは、この本を読んであらためてよく分かった。埋もれている才能を見つけ出す能力、それらを活かしながら、自分のバンドのパフォーマンスを高めてゆくこと、それまでのジャズ・ミュージシャンがやろうとしなかったことやできなかったことを次々と実現させてゆくマイルス・デイヴィスという存在を鮮やかに描きだしている点でこの本は優れている。
ジャーナリストらしく自分をあまり前面に出すことなく、多くの仲間のミュージッシャンや録音に携わったスタッフの証言を配することで、人間的には毀誉褒貶相半ばするマイルス・デイヴィスという人物の音楽家的な側面を重視した公平な評伝にもなりえている。もちろん、インタビューに同意しなかった関係者の証言はないわけだが、汚い言葉もそのまま拾ったマイルス語録にはニヤリとさせられる。どうであっても、マイルスはやっぱり、かっこいいのだ。同じ著者による『ジョン・コルトレーン「至上の愛」の真実』も近く出されるようで、ファンとしてはこちらも期待したい。
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こんなに当時のレコーディングの様子に触れられるとは!
文字から伝わる臨場感で、レコードの音がより身近に感じれる様になった気がする。