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宮崎学という突破者が、半生を回顧し、共同体や社会のみならず、労働や政治も機械化・単純化・外部化・ 合理化された、ヤクザの世界もグローバル化されたとする分析は鋭い。
貧者・ヤクザ・在日・被差別部落等の弱者下層階級との実際の生活体験を通しての、いわば下から目線での理論と行動はある種説得力を持つ。
問題は筆者のいう不完全燃焼を踏まえ、次世代を担う若者が完全燃焼する術が果たしてあるかということだと思う。
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近代化によって失われた社会の構成原理を伝えてくれる書。納得させられる点が多かった。にしても,著者はすごい人生を歩んできたんだなと改めて認識。
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遊侠で生きていきたいと思えた。
戦前の共産党の活動は弱者や貧乏人のために命を懸けるというが今は違ってしまったという。共産党への失望も理解できた。
宮崎学は反省に依っている。そこから帰納により世界を認識している。世界改善の姿勢はそういった反省からの配慮によってありえる。そういう意味で革命の根幹である反省の本であると思う。
反省がなぜ必要なのかは学問的には悟性の能力の向上による帰納的思考と革命的には改善への配慮によってある世界を目指すことである。
カール・ポランニーの本を読んでいて思ったことがある。社会において反省に依ってある作用こそ重要だしそういった反省からの配慮を研究することが哲学であり経済人類学として経済の研究も可能になる。
僕はアダム・スミスは読んでいないが見えざる神の手があるすればそれは人間の反省からくる改善への配慮の姿勢であると思う。それは学問としては帰納によってなりたつ。批判と言われる書物がある。例えば純粋理性批判、国民経済学批判などであるがそれは帰納による学問の成立である。
宮崎学は見事に反省から配慮を見出している。彼が言う反省の配慮ある世界とはアナーキズム的なものである。遊侠とは面白い。
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突破者の著書、宮崎学のエッセイ。
戦後社会が、どう変化して来たかについて著者なりの見解が示されている。
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著者、宮崎学さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。
宮崎 学(みやざき まなぶ、1945年10月25日 - 2022年3月30日)は、日本の評論家・ノンフィクション作家・小説家。京都府京都市伏見区深草福稲高松町生まれ。
京都・伏見のヤクザ寺村組の初代組長を父に、大阪・釜ヶ崎の博徒の娘を母に持った、4人きょうだいの末子である。
で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)
昭和20年、終戦直後の京都に生まれた著者にとって、最初の「共同体」は家族だった。解体業を営むその家はヤクザでもあり、幼い著者は裕福に育てられた。
成長するにしたがい、「学校」「共産党」と新しい共同体に出会い、高度成長期には革命運動の闘士としてゲバをふるった。
その後、家業を継ぐが、恐喝容疑で逮捕の果てに倒産し、裏社会に身を沈める。世はバブル景気に沸いていた。
……「突破者」(無茶なことをする者)こと宮崎学が、幼少時から現在に至るまでの半生を回顧し、同時に戦後日本の「共同体」の変容ぶりを描く問題作。