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序章といった感じ。感覚的なものをうまく言語化しているが、あまり目新しい印象はなかった。しかし、続きが非常に楽しみ。部活をバリバリやっていた頃に出会いたかった本でもある。
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元ラグビー日本代表、平尾剛さんによ身体論。生身でぶつかるラグビーというスポーツで、当時の日本で一線級の選手だったからこそ見えてくる身体の不思議、感覚的なところを、うまく言葉に落とし込むというか、言葉で共有できるようにしてくれている。
ラグビーを好きな人も、そうでない人にも、身体を動かすことをしている人、教えてる人におすすめ。
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元ラグビー日本代表の平尾剛さんによる身体論。根性論が幅をきかせていた体育会系スポーツも徐々にスポーツ科学を取り入れて、次の段階に進もうとしているようだ。その中でも体格の差が大きく勝敗を分けるラグビーという競技を通して、従来のスポーツ科学に留まらず、武道的な精神性や心身の整え方、身体操作の方法など、広く深く探求する筆者の姿勢が興味深い。井上雄彦「バガボンド」のエピソードなどを引いている箇所など非常に共感できて楽しい。
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もうちょっと深い話が書いてあるのかと思ったけど、目新しいものはあんまりなかったかな。
ラグビーにおいて、チーム全員がひとつの身体になったような感覚、についてのところは、内田樹さんの『修行論』に通じるところがあって、おもしろいと思った。
文章がほんのりと不器用なかんじがして、それでもゆっくり書き進めたような、気持ちがこもった本。そんなふうに感じた。
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スポーツ系のエッセイはあまり読んでなかったのに、これを読むきっかけとなったのは、年末年始に大阪まで行って高校ラグビーを見たこと。元ラグビー日本代表の著者平尾剛さんが述べる身体論は今まで自分があまり意識してこなかったものばかりなので、興味深く読めた。ラグビーについてもやさしく説明しているので、にわかファンにも理解しやすかった。
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元ラクビー日本代表だった著者が語る「身体」。ラクビーに関してはルールを含め全く知らないのだが読んでいるうちにちょっと面白そうだなと思った。実体験からくる身体の気づきや考え方などは説得力があって面白かったです。あと5年後くらいにこの方がもう一度身体について本を書いたときにどんな内容になるかが興味があります。
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その瞬間に埋没すること
流れのままに身を任せれば自分は消える
鍛錬とは苦しさを苦しくなく経過できるようになること。苦しさに耐えていることは鍛錬ではない★
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楽をする、と楽しむ、の違いを意識する。
鍛錬とは、苦しさを苦しくなく経過できるようになること。苦しさに耐えていることは鍛錬ではない。
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ラグビー好きの気のいいお兄ちゃんの身体にまつわるエッセイ。
出だしに「言葉で理解できること(=わかる)と感覚で掴む(=できる)は違う位相にある」や、「身体知なるものは、誰かに教えよう、伝えようとしたときほど言語化されるものなのだろうか。」などとあり、言語的理解を通じてなにか身体の動かし方、トレーニングに向かう姿勢に変化が生じるか、あるいは何らかのヒントでも得られるかと思ったが、あまり方法論めいたものは記載されていない。
それどころか、
「どうすればよいのだろうか。選手も指導者もそこが一番知りたいはずだ。しかし残念ながらそこはよくわからない。」
とまぁ、なんともお気楽な、思ったことを思いのままに綴ったものだった。
“「言葉」は指し示すもの。頼るのは「感覚」だ”なんて著者の言葉からも、論理的な身体論ではないのだな、本書は。
でも、なんだろう、悪い気はしなかった。ヒトの身体はそれぞれだ。感覚もまたそれぞれだ。自分で試行錯誤して、自分なりの身体知を体得してけということだ。
ラグビー選手としての体験談が多いのも、2019年のラグビーW杯イヤーに読めて良かった。
彼の恩師同志社大 岡仁詩総監督の言葉が紹介されている。
「平尾よ、ラグビーは自分で考えるからこそオモシロいんや。そのオモシロさを学生から奪ってはいかんのだよ」
この言葉の通り、本書には何も答えらしきものは記されていない。自分で考えよう。
”単一の答えを探そうとするのではなく、「問いを重ね続けること」がそのまま答えになる。”
その通り!(ところどころ、いいこと言ってる・笑)
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身体を動かすのが嫌いな人はいない、けれど嫌いになった人はいる、と。
さしづめ僕は嫌いになった人、である。「わかる」と「できる」の違い、「楽しむ」と「ラクをする」の違い、そして身体と思考の違い。こういうことを、幼い頃に理解していたら、世界は変わっていたかもしれない。
声を出さないとパスがもらえない。技術がないと声は出せない。当然、聴かなければコミュニケーションにはならない。時間はあきらかに伸び縮みしている。
感覚的な表現が多いから、それを受け止められるか否かでもらえるもんが随分ちがうかもしれない。僕はまあまあいただきました。読書でも身体を感じられるかなあ。