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【文楽太夫の巨星が引退までの真相を語る】惜しまれつつ引退した浄瑠璃語りの最高峰にして最長老89歳の竹本住大夫が、日本人の情とは何か、文楽の来し方行く末を語り尽す。
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初読。図書館。聞き書き形式のためか、物語として面白く構成されているとは言い難い。正直、NHKのドキュメンタリー番組のほうが、住大夫さんの人物像や熱い思いを魅力的に伝えていると思う。ただひとつひとつのエピソードを少しずつ少しずつ積み重ねることによって、住大夫さんにちょっとずつ触れることができたような気になって嬉しくなった。住大夫さんの愛した文楽を守り続けていくためにも、1回でも多く劇場に足を運ぶことをここに誓います。
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文楽の裏側の勉強になる。
それだけではなく、本のジャケットが美しい。
インタビューを編集したものだが、大阪の好々爺っぷりが伝わって来て、生粋の大阪人である僕にはとても心地よかった。作り手の気合いが伝わってくる名著。
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☆3(付箋11枚/P255→割合4.31%)
“名作中の名作『菅原伝授手習鑑』、これを語ってお客さんが泣かなければそれは大夫が悪い。”
“この「コケコッーコ、あ、鶏が鳴いた、夜明けじゃィ」が、どうしてもうまく言えんのです。”
いや、芸を突き詰めること、千の道に通ずるものですね。
まず深呼吸、ただ語るだけでは会場の端まで声が通らないのだけれど、無造作に語っているように聞こえるよう語る。役ごとに語る時も他人の語りで気持ちを乗せていないと、“間が抜ける”。
・『菅原伝授手習鑑』は名作中の名作です。最初から仕舞まで、悪いところのない、ほんまにようできた演目です。「桜丸切腹の段」は「寺子屋」と並んで、物語のクライマックスとなる三段目。これを語って、お客はんが泣きはらなんだら、それは太夫の責任、やってる者の力が足らんということです。
・駆け出し時代の私をご存知の方に、「師匠はな、いまでこそ偉そうにしてるけど、前は舞台でけったいな声出してたんやでぇ」と言われると、つい嬉しくなって、弟子たちを振り返ってすぐ言います。
「ほれ、みてみ。ボーンとあがってすぐ仕舞いになる打ち上げ花火みたいなのがいかんねん。細く長く続けていれば、 芸の下手はわかってても、お客はんは来てくれはる。『あいつ下手やけど、また行ったろか』、そういう気を聴く人におこさせる“情”のある浄瑠璃を語らんといかん。これは人間性や」と。
・源平ものの『一谷嫩軍記』に「脇が浜宝引の段」というチャリ場(滑稽な場)がありまして、お百姓さんたちが連れたって山畑を行く場面ですけど、これが面白いんです。
「ヲゝ、太郎兵衛かいの、早いのぉ」
「ヲゝ、今朝は又朝霧で夜明けが分からぬわいの」、コケコッーコ
「あ、鶏が鳴いた、夜明けじゃィ」、ドイヤドヤドヤ、ドドンヤドヤドヤ…
この「コケコッーコ、あ、鶏が鳴いた、夜明けじゃィ」が、どうしてもうまく言えんのです。もう三十分は声を張り上げてました。喜左衛門師匠が住んでおられた界隈は、夜遅くまで仕事して、日が高くなる自分に起き出す人が多いんです。それを朝の九時ごろから、浄瑠璃のおんなじとこを何度も何度も、そりゃえらい近所迷惑ですわ。さすがに周りの人たちも辛抱たまらんようになったんでしょう。
「じゃかましィっ、夜の明けたん分かってるわいっ!」と大夫顔負けの迫力の、ちょっと怖い声で怒鳴られました。これを聞いた喜左衛門師匠が血相変えて、言い返すために、物干し台に上がろうとされるのを必死で押しとどもえて、大騒ぎになりました。
・脳梗塞のあとの運動のリハ ビリでは、まず深呼吸をするよう指導を受けました。方の力を抜いて、深く息を吸って、大きく息を吐く。焦らずにゆっくり落ち着いてやる。これを何度も繰り返していると、麻痺した右足が前に出て、手の振りも足の動きにおのずと付いてきます。息づかいが基本というところは、「リハビリも浄瑠璃と一緒やな」と思いました。
・みなそれぞれが自分の持って生まれた声や体を自覚して、足りんところはどうしたらええか、何年も試行錯誤して積み上げるから、その人にしかない芸になるんやと思います。最初に言い指導者につくことは本当に大事ですけど、どんな素晴らしい師匠に習って、真似してみても、それぞれ持って生まれたものが違う以上、絶対そのとおりにはいかない。ここに芸の難しさも面 白みもあります。
・同い年の気安さから、「大正13年生まれは、なんで声が悪いんでっしゃろ」と口にしたら、「お経あげるのに大事なのは声やないでぇ。心や」と、ご自分の胸をぽんぽんと叩いてみせられました。
浄瑠璃も「心」で語るもんです。心の冷たい人は冷たいように、心の温かな人は温かいように聞こえます。同じ浄瑠璃を語っても、人それぞれ特徴があって面白いです。
・三味線の燕三兄さんが、「貧乏には負けたらあきまへんで。貧乏には勝たなあきまへん」と言うて、みなを励ましてはりました。芸人が貧乏に負けたら、芸が貧乏臭うなります。私たちには芸しか、すがるもんがおまへんでした。
・芸人は、お互いに芸でつながれてます。いままで数多くの方に稽古して頂いて 、叱られて、ときには師匠を怒らせて、口を利いて貰えんようになったこともありました。それでもほとぼりがさめたら、また稽古をお願いしに行って、嫌味言われても教えて頂いて…いろんな人がおられましたし、いろんな教え方がありました。稽古はどなたも厳しかったですけど、ただの一度も「大夫をやめろ」と言われたことだけはありません。
・役ごとに分かれてても、人が言うてるときには、自分もおなじように腹のなかで語ってないと、ことばとことばの「間」の息が抜けます。舞台で間の抜けるのはあきまへんのです。
隣の大夫が語ってるときに気を抜くと、自分の番がきたときに、新しくこしらえて言わなあきまへんので、お客さんもそこで息が抜けるし、自分もやりにくい。掛け合いは、 大夫ひとりで五人ぶんを語り分けするより、五人で息を合わせるのが、むずかしいものです。
・晩年の杉村春子さんや狂言の三世茂山千作さんはふつうに会話するように、舞台でもせりふを言うてはりました。すごいもんやなあ、と思いながら拝見してましたが、浄瑠璃もおなじで、日常の会話と一緒です。ただ、広い劇場でふつうに会話するように語ったのでは、お客さんに届きませんので、大げさに言うてるわけです。
・私は社会面で、薬師寺の高田好胤管長とめぐり会えたことは幸せでした。高田管長の法話をお聴きして、時には涙し、時にはユーモアで人を引きつける話をされていましたので、私も早く人を引きつける浄瑠璃をかたりたい、と思いました。私が人間国宝の認定を受けたとき、高田 管長が色紙に書いて送って下さった、「奥深き語りの技を ただただに磨ききたりて今日の功(いさおし) なほになほなほ」―私はこの“なほになほなほ”のとこがとくに好きでねえ、「これに慢心せずに、一層精進しいや」という管長の励ましのことばは、私の座右の銘でありつづけました。
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人間国宝の竹本住大夫さん。昨年ついに89歳で引退されたと言う。そんなすごい人が書いた自伝とあって興味を引いたのですが、いかんせん文楽はほとんど無知なため、住大夫さんの文楽にかける熱い想いもよくわからず。
歌舞伎などの他の伝統芸能と違い文楽は家元や家系は関係無く、個人ががんばり抜くしかない世界だと言われる厳しい世界だと言うことはよくわかりましたが。
文楽そのものを知ってから読むべきでした。
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帯文:”自分の仕事をもっともっと好きになれ!” ”「文楽の鬼」の「生きる力」あふれる語りに大反響!” ”叱り、叱られ、命がけ!修業68年の「芸の真髄」”
目次:第1章 春のなごりに ~引退まで、第2章 師匠,先輩,弟子 ~修行とリハビリの日々、第3章 貧乏には勝たなあかん ~三和会の長い旅、第4章 デンデンに行こう ~私が育った戦前の大阪、第5章 文楽道場に生きる ~教えること・教わること、第6章 そして文楽はつづく、…他
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先日なくなった七世住大夫さんの本。出版された当時も読みたいなぁと思ってそのままになっていた。
浄瑠璃がどこからきたかとか、文楽という名の由来などにもふれつつ、ご自分の歩んで来られた道を語っておられ、引退された時の悔しさとか、ああすごい方だったのだなぁと思う。
四代目竹本越路大夫さんが、生前「修業は一生では足らん、二生欲しい」「二生あったら、もう一生欲しいと言うやろうなぁ」とおっしゃった、と。
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「文楽」をよくご存じの方は むろん
「文楽」をまだよく…の方も ぜひ
大阪の文化圏に暮らす人は ぜひ
大阪の文化に関心のある方は ぜひ
芸能人よりも「芸人」という言葉に惹かれる方は ぜひ
人が誠に生きるということに触れたい方は ぜひ