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この「思考を育てる」というのは、100のトピックスに対する森さんの意見(ある種とても偏っているし、「上から」であったりもする)を受け取って、自分なりにそのことについて思いを巡らせる、意見を持つ、ということなんやろか。と思った。
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相変わらず「言葉で表すうまさ」を持っている人だと感じさせる.「そうそう,それが言いたかった」と,そういう感じだ.同時に,いかに自分が頭の中を整理せず,考えていなかったかということを反省させられるのもこの瞬間である.
自らの思考を止めてはいけない.
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同意するところもあれば疑問に感じる論点もある。そもそも全て同意してしまったら、タイトルにある思考を育てる意味がない。発想として自分にないものを得られたことが、この本の良さや醍醐味であると感じる。
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ここ数年、森博嗣は優しくなったなあと思い、レビューでも何度かそう書いた。他の方のレビューでも同じように思っている旨が書いてあって、おお、自分だけではないのだなと思っていた。
ら。
なんと、森博嗣自身が「彼が優しくなった問題」について取り上げていて、ちょっとびっくりした。と同時に、なんだか今まで彼の目には触れないだろう(だって、そんなレビューとか気にしなさそうだったから)と好き勝手に思いのまま、熱い気持ちを前面に出していたレビューが、もしかしたら彼の目に止まったことがあったのかもしれないと思ったら、嬉しいよりも恥ずかしくなりました。恐るべし、森博嗣。
いつもの森博嗣節がたくさんあって、くすくす笑ったり、ほうほうと頷いたり、うむうむと考えさせられたり、ここまではいつもの通り。ただ、いつにも増して、人を煙に巻く率が高いな、と感じました。
なので、もしかしたら、やっぱり彼は私のレビューを読んでいないかもしれない。ただ、読んで欲しいかというと大きな疑問符が残るので、読まれていない方が個人的には嬉しい。ということは、もしかしたら読まれているかもしれない。だって、なんだか、森博嗣ってさらりとそういう、ひとがちょっと恥ずかしくなることをしそうだから。
なんて、確証もつかめないことを延々と考えて楽しめるような思考をくれるのです、この本は。
「なんの」知識や情報をくれるか、ではなく、「どんな」思考を自分は可能にしているのか、そして「どんな」思考を実は可能にしていたのか、をさらりと、あくまでもさらりと教えてくれる風のような本です。
やっぱり私は、森博嗣が大好きだ。
と書いてしまった私は、自分自身に負けた、のかもしれない。
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短編エッセイ集みたいな本である 畏まったり 相手を論破するまで話し、或いは、その理論がもう使えなくなるまで修正しつつ、組み合わせつつ、出力していた。今は、まあ、そこまでしなくても、という気持ちになる。こうして文章に書いておけば、誰かがそのうち読むだろう、と思って、壊れないうちに飾っておくのである。良いとか悪いとかという問題ではなく、その程度のものだからだろう。いつものように、あまり時事ネタを入れないように、抽象的な書き方をしている。でも、少しずつ零れ出る具体的な部分を、みんなは目ざとく拾うようだ。それもまた、興味深い現象で、やはり人間というのは、同時性、共有性みたいなものを大切に感じるのだなぁ、と毎回唸らされる。僕に欠けているのはそれか、みたいなふうに。 明日死ぬと考え、同時にいつまでも生きられると考える。そういう想像が人間ならばできるはずだ。現実は、その両極の範囲内に必ず収まるので、どんな事態になっても想定内ということになる。自分だけではない、自分の家族も、自分の愛する人も、この両方を考えて、それに従って行動し、考えることが良いと思う。競争社会だというけど、まずスタート地点が同じではない。 人生はたしかに競争だ。それは、主に自分と戦う、という意味である。 既往の研究 副産物 やらないよりはやった方が良い、という法則が確実視されることになる。だいたい、こんな力学で、僕は生きているようだ。 歩くほど疲れるのが、物理的というか肉体的な傾向のはずなのに、実はこの逆に感じられることが多い。しかも、殆んどのチャレンジにこれは共通している。やり始めるまえが、最も道が険しく見えるのだ。 ようするに、お金持ちだけれど、一日に五千円しか使えません、みたいなものである。それをコツコツと使えば良いのだが、ついついむだなものに使ってしまう。そうすると、自分の使いたいものに中々時間が回らない、という結果になって、そのまま歳を取っていくことになる。 人は、何を作り出しているのか、で評価されるものだ。「やすい」ものへと流れることが一種の「退化」だと気づくこともない 芸術家というのは、過去の仕事に価値が生じる職業だ。 芸術家でも、一流と呼ばれる人は、仕事を期限までにこなすし、例外なく多作である。二番煎じ 二つめが、一つめを超えないのが癪に障るから、創作者は、いろいろ工夫をして、より力を注ぎこんで二つめを作る 客観的に見て、二つめのほうが質が高く、芸術性もあるし、高度になっている、と思われても、人気は伴わない。「またかよ、厭きたよ」 「死に物狂い」という言葉はあまり使わなくなった。いくら頭の良い人間であっても、さらに頭の良い人間に囲まれれば馬鹿になるわけだ。そういう相対的なものだということを、ときどき思い出した方が
良い。世の中には、もっと上な奴がいるし、もっと下な奴もいる。同じ量のものであれば、化学反応が速いほど早く終わる。さて、この本を読んで、僕はこの先生の自己顕示欲が、多少鼻につくかなとは思ったけれど、それくらいは個性というか、個人の性格の幅の範囲内である。それよりも、工夫を凝らす姿勢や、自分を売り込む努力、その誠実さには感心した。アイデア自体も面白いと感じた��� できるだけ得をしたいから、素直な気持ちで読むことにしている。 歴史や経済を学ぶ人でも、エネルギー保存の保存の法則くらいは理解しておいた方が良い。これを知らずに、地球環境は語れないし、社会の発展を現実的に捉えることもできないからだ。 何故か、単語は覚えられないが、ストーリーや理由や理屈は覚えられるのだ。映像はもっと覚えやすい。そういうものに変換して覚えるしかない。 日本人は、論理というものを曖昧に捉えていて、これを操ることが苦手だと思う。だから、演繹という基本的な言葉でさえ、使う機会がないのだろう。上手くいかないときには、必ず理由がある。それが現実というものだ。 小さないざこざがあった方が、大きな喧嘩にならないように思える。だいたい大きな仲違いというのは、それまでの信頼があって訪れるものだ。気にしても仕方がないことなのか、それとも、気にしなければならないことなのか、をしっかりと判断すべきだ。失敗したときのその原因については、気にしなければならない
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『競争社会だというけれど、まずスタート地点が同じではない。むしろスポーツのように人為的に公平にしているのが不自然なのである。マラソンランナーはみんな苦しそうに見える。それは走っていない者の観察なのだ。ゴールインしたランナーは、どんなに苦しくても、また走ろうと思うものだ。それに一番ではなくても笑顔になる。走らない者には絶対にわからない。人生はたしかに競争だ。それは、主に自分と戦う、という意味である。』
大学教授でありながら、ミステリ作家として長いこと活躍してきた森さん。
近年思想書とでも呼べる考えさせる本を多数発表しています。
頭の良い人の頭の中を少し覗かせてもらえたます。
さらりとした文体ながら、かなり噛みごたえがあります。
消化するのに少々手間がかかる一冊です。
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このエッセイ集は本当に講義のようだと感じた。読んでどうするかは自分次第、学ぶもよし反論するもよし、読んだ後が重要になるタイプの本だと思う。
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常識の100の講義に類似してるとこもあるけど。
昔からこうなってるからしょうがないではなくて、あれ、おかしくない?と気づくこと、考えること。
自分にとっていいように解釈しようかな(笑)
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The・理系
の人の思考の一端を垣間見れる一冊。
合理的で理知的で理性的。
世間のせかせかしている多くの人に足りないのはこれらの要素なのだろなぁ。
しかし
『成功した人間だからこそ言えるのだろう』と少々鼻につく部分もある。
でも、それもまた森博嗣氏の魅力だろう。
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森さんの小説は読んだことがあるが、エッセイは初めて。
理系の論理的思考だなぁと思いながら読み進めていくうちに、ちょっと偏屈なのか…?と感じる部分も。
でも、この本でも書かれている通り、いろんな考え方の人がいる、と受け止めることができた。
エッセイは主観が大部分で書かれるから、それは違う!とか思っちゃってあまり好きではないのだが、この方の場合、もとが論理的思考だから読みやすかった。
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森博嗣は「思考」している。
「観察眼」とはちょっと違う。
世に「それは正しいか?」と、常に疑問を投げかけている。
多勢に流されていないか。
思考の停止をしていないか。
森博嗣は投げかけてくる。
私は思考しているか?
う~ん、森博嗣先生のように、
「多勢」に流されず、思考出来ていない。
私も「思考」したい!
この本では、森博嗣の思考の前に、
「なるほど。そういう物の見方があるのか」と、
自分の思考停止状態を感じる。
本書で、「思考する道しるべ」が教えられるわけではない。
「いかに思考するか」そこから考えること。
それが本書の投げかける「思考」の第一歩だから。
道しるべはない。
しかし、思考するために、深く考察すること、
そう意識づけられる一冊である。
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森教授の本エッセイを読むのは4冊目くらいだが理系脳だからかそれとも独特な思考を持つ人だからなのか分からないが(おそらくその両方だが)書いてある内容がとても自分では思いつかない角度からの切り口でハッとなる。が決して荒唐無稽というわけではなくちゃんと説得力のある(当たり前か)文章に思わずメモをした。見開き2ページで読み切れる量もちょうど良い。「(知識はなまじ持っているために、その知識に関することを素直に受け取れなくなってしまう、先入観に支配されているといえる)物事を知るほど、物事は知ることが難しくなる。物事を知るほど、物事を知らない人間になるのである。」「やり始めるまえが、最も道が険しく見えるのだ、頭が回っていると副産物が生まれる。(中略)時々自分は何を作り出しているのか、を考えてみよう。」「難しいのは成功したときの引き際だ。ついやりすぎて遅くなってしまう。勢いづいているものを止めることもけっこう難しい。」「多くの人に共通している感覚というのは、自分がだいたい平均的な位置にいると認識しやすい、ということ。これはきっと本能的なものだろう。」示唆に富む〜!(←これギャグにしよ笑 このシリーズ他のも読んでみたい。
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生きていると自分の中に生まれてくる違和感が言語化されており、その違和感が解消された。
最も納得したのは、「現代人は何事にも理由を求め、理由がなければ認められない」という考え方だ。
自分も理由があるものしか正しいと思えず、そんな現代人の性質が自分にもあったことに驚いた。
理由を求め過ぎなくてもいいかもなと改めて思った。
このように、この本を読んでると自分の違和感が消えていったが、内容が同じようなことの繰り返しなので、最終的には少し飽きた。
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著者の視座から世の中のいろいろなことを、どのように捉えているのかを知ることができる本。
例えば、
34/100 世の中の人が大好きなのは、「確認作業」である
では、私も思わずハッとさせられた。
テレビでタレントが紹介する面白い体験や食べ物があると、その場所に足を運んで体験してみて面白かった、美味しかったという行為は、単なる確認作業である。自らの好奇心で誰に聞いたのでもなく、自分で見つけたものを体験することにこそ興味がある。との著者の主張にハッとさせられたのである。私自身も確認作業を結構しているなぁと思った。全てではないが、多くの行為が確認作業のような気がする。しかも、あまり意識もしていなかった。
このように本書で得る気づきから、自分の思考の幅を広げることができた。そして、中には行動にも影響を与えてくれるものもある。100あるエッセイから何か一つでも面白い気づきが得られれば本書を買う価値はあったと思う。私の場合は価値ある一冊であった。
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100の中から、自分が好きな話を探すという宝探し的な楽しみ方ができる?と思いきや、前半にインパクトがあるものが集中していて、後ろにいくにしたがってどんどん脱力している印象。編集者がそうやって並べたからなんだろうけど。
もちろん、後半の方が宝だらけだと感じる人も大勢いることは想像できる。