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強引な勧誘とか脱退の難しさとか、怖いイメージが先行していたが、これを読むと、もっと「怖い!」と思ってしまうほどのクレバーな集団。これからの活躍も楽しみになった。
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創価学会が存在意義、教義に据える「平和主義」を、公明党という与党を通していかに実現しようとしているか、同時にSGIを通してナショナリズムに対抗しつつ、世界規模での平和を実現しようとしているかを解説。
公明党が創価学会と深く関係しているのは周知の事実であるし、他国においても宗教を標榜する政党は数多くあるので、公明党も創価学会の教義に則った政党運営をしていくべき、というのは興味深かった。
此岸性が彼岸性を包み込み、この世での現実的な問題へのアプローチを大切にしつつ、「平和」実現するためには柔軟な立ち位置を維持し続けるというのも、強かだと感じた。
一方で、創価学会とサウロの回心をなぞらえるのは違和感を感じた。組織宗教としての拡大と、一個人の天命には違うものがある気がする。
創価学会を創価学会たらしめてる論理や、与党としての立ち振舞いなどを、キリスト教徒して一歩下がった立場から考察していくのは読んでて興奮した。
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○作家の佐藤氏の作品。
○創価学会をテーマに、その実態を明らかにした作品。
○先入観を抜きにして、きわめて客観的な書きぶりな印象であり、創価学会について知ることができた。
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昨年の閣議決定により、「集団的自衛権行使による自衛隊の海外派遣は遠のいた!?」その背後にあって公明党・創価学会の貢献があった。とのクリスチャン著者の実に楽しい逆説論証。「何?」と思わずびっくりするが、確かにこの説明で論証できている!著者は違う宗教ではあるが、創価学会には非常に公平な立場で評価しているように思われる。日蓮と同様に此岸の現実と向き合って解決していこうという姿勢はカルヴァニズムと共通しているからだろう。王仏冥合という考え方が、日蓮正宗から破門された学会ではあり得ないため、政教分離をここまで強調する必要がない!とまで。しかし池田大作氏そのものが、学会の秘儀だという説明であり、理解できるものの、学会は何を信じる宗教なのかが分からなくなってきた。学会が初代・牧口常三郎の獄死を象徴としている以上、平和主義は彼らの存在意義そのものだということは良く理解できた。
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公明党の平和主義は本物である。安倍政権において、そのブレーキ役を果たしている、という筆者の主張。冒頭で述べられたこの主張と、自分の理解とのギャップに意外性を感じ、つい購入してしまった。筆者はプロテスタントであるが、国家権力を肌で感じるという点で、初代会長が獄中死している創価学会に共感が持てるのだろう。
国家の定義の一つに、警察や軍隊など暴力装置の独占があるという。この言葉に鈍感でいられるなら、幸せな生活を送れているということだ。しかし東アジアの緊張とともに、国家もまた変容しうる。
創価学会インターナショナル(SGI)は、各国間の個別利害を留保しても、SGI自体の存続を優先させる。このメカニズムこそが、平和主義をうたうSGIの存在意義だという主張。しかし、SGIとそれ以外、という二項対立を新たに生むことにならないか?例えば、浄土真宗などへの排斥性はいかがなのだろう?
いずれにしても、国家と個人の中間に位置する団体として、あるいは移民増加時の排外主義に対する緩衝作用を持つ団体として、創価学会の意義を筆者は期待している。
著作全体を通して、筆者の視点から、創価学会への高評価を追体験することはできた。
我々読者に必要なのは、多面的な視点なのだろう。
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昨年、集団的自衛権 の行使を容認する閣議決定がなされた。連立与党である公明党は自民党に押し切られ、日本が戦争に巻き込まれる危険が高まったという見方が一般的である。ところが、この著書の新聞広告では、「公明党の要請による文言の変更により、むしろその危険は少なくなった」と紹介している。田原総一朗も「納得できた」と推薦しているので、気になって読んでみた。
集団的自衛権の問題については、単なる導入に過ぎない。読み始めてすぐ、「創価学会の平和主義は本物である」ということが一番訴えたかったことだと分かる。しかし、キリスト教徒が創価学会について論じるのだから、これは虚心坦懐に創価学会について学ぶチャンスと思い読了する。
<価>値を<創>造するという理念から生まれた創価学会の歴史を辿り、『人間革命』などの著作を元に、池田大作の思想に迫っている。平和への思いの深さは、母親が沖縄生まれであることや、長兄がビルマで戦死していることなどからも窺える。
「星々のかけらから生命が誕生したことを思うと、この宇宙それ自体が生命的存在であるといえよう。星々も地球も、花も木々も人間も、すべて同じ次元から発して、今ここにある。ゆえに人間は、全宇宙と一体なのである」
「国家主義というのは、一種の宗教である。誤れる宗教である。国のために人間がいるのではない。人間のために、人間が国をつくったのだ。これを逆さまにした”転倒の宗教”が国家信仰である」
これらは、すべて池田大作の言葉であるという。自然及び社会に向ける根源的で透徹した眼差しに驚かされる。
著者は、政教分離の問題にも踏み込み、憲法第20条は、国家及び政治が宗教に介入することを禁じているのであって、宗教団体の政治活動を禁じているのではないとする。さらに、創価学会は世界に向けて布教活動を展開することで、普遍性も獲得しつつあるという。
そして、現実の社会に影響を与えている創価学会は「生きている宗教」だと結論付けている。このことを、宗教用語を用いて「此岸性に彼岸性を包み込んでいく」とも表現している。しかし、この志向性は創価学会や著者の信じるキリスト教だけではなく、この他の宗教にもあるのではないかという疑問が、最後に一つだけ残った。たとえば親鸞の説く浄土真宗には、彼岸(浄土)に向かう往相廻向と、此岸(穢土)に向かう還相廻向があるように。
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集団的自衛権の行使容認閣議決定により、自衛隊の海外派遣は遠のいた、それは公明党の活躍によるものだというのが筆者の主張なのだけれども、「遠のいた」とする根拠にそもそも疑問を抱いてしまった。。閣議決定で「現に戦闘行為を行なっている現場では支援活動は実施しない」というのが現実に機能するならそうかもしれない。ほかに、中東を例として筆者が根拠とする「国際法に照らして日本が中東で戦争をする蓋然性が高い事態に国会承認が得られるか疑問」「戦争になり、イランに住む日本人が拘束されるというリスクを日本政府は負わないだろう」ということも本当にそれが機能するかよくわからない。「閣議決定せざるを得ない中でも最善を尽くした公明党」とは言えるのかも。
本は全体として公明党、創価学会、池田大作の大幅な礼賛になってて驚いた。創価学会の発端から現在までしっかり書かれていて創価学会の公刊物を読んでいるようだった。「創価学会の活動すべてが池田大作という名と結びついている」ことがポイントらしい。
筆者のプロテスタント信仰と、創価学会の教えは通じるものがありそうだなぁとは読んでいて感じた。こういう政党があってもいいよねとはおもった。
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新・戦争論をきっかけに読んだ。
池田大作の平和志向は本物。
SGIになってカルトではなくなり、新時代の新宗教になった。
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多くの人の感想にあるように、私も宗教アレルギーあるいは食わず嫌いがあり、創価学会についても、近寄ってはいけないイメージがあった。
本作を読み、大分意識は改まったが、何故か、今でも近寄りがたいものを感じるのは何故だろう。
ともあれ、私は世の中バランスが大事だと思っているので、右傾化している今、政権与党内でそれが取れるのは、公明党であることには間違いないと思う。大いに期待したい。本音言うと、民主よしっかりしろだが・・・
それにしても論理明晰な佐藤さん。本作でも、分かりやすく、宗教と政治のあり方について教えてくれている。
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公明党・創価学会と聞くだけで思考停止になるのではいけない。物語は1つでない。複数の視座を持つことが必要である。政権与党を担う公明党・創価学会の内在的論理を読み解くことで、その平和主義の真贋を知り、個人と国家の中間団体としての可能性を探る。
異なる視座を持つことで見える世界が違うことに改めて気づかされました。
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集団的自衛権を容認した2014年7月の閣議決定は、日本を戦争のできる国にする大転換と評価されたが、著者は、さまざまな「縛り」によって実際に行使は不可能な内容になっていると指摘し、公明党が一定の歯止めの役割を果たし得たと評価している。
本書で読む価値があるのは、この第一章まで。あとは公明党=創価学会を擁護するだけの内容である。それも、公明党の政治的戦略を客観的に分析したうえで導かれた結論なら説得力もあるだろうが、根拠にしているのは学会自身がうたっている教義と、戦争中に軍部の弾圧と闘ったという歴史だけ。これでは日本共産党のプロパガンダと変わりません。
だいたいさ、社会党や共産党を「反米ナショナリズムをあおる」と批判しておきながら、創価学会がナショナリズムに陥らないと主張する根拠はというと、池田大作個人とむすびついた宗教には国境がないから、とは恐れ入る。それを言ったら共産党だって、理論としては国境をもたないはずだったのに、まんまとナショナリズムにはまった歴史があるわけでしょ。まして個人崇拝にもとづく宗教が、どうして排他的性格を免れると言えるのか。
実際に戦後政治のなかで公明党=創価学会が果たしてきた政治的役割の分析もないし、池田大作への批判封じや共産党への盗聴事件など、学会に都合のわるい歴史はすべて無視したうえで、日本の政党政治で空白となっている中道左派の部分を公明党が埋められる、とまで言う。とても中立客観的な立場から書かれた本とは言えません。
むしろ興味深いのは、佐藤優は公明党が実際に日本政治で果たしている、かなり黒に近いグレーの部分だって知っているはずであるにもかかわらず、あえてキレイな宗教的教義の面から、公明党=創価学会の擁護論を押し出してみせたということ。この出版に政治的意図がないわけがない。プロテスタントが評価しているから客観的、という装いにだまされず、冷静に彼の狙いを考えるべきでしょうね。
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表題には創価学会とされているが、公明党と平和主義としたほうがしっくりくるのではないかと思う。内容は確かに創価学会の宗教団体としての考え方についてだけれど、宗教団体が平和主義を標榜するのはある意味当たり前のことで(今は物騒な宗教団体も多いけれど)、公明党が今や完全に右翼となってしまった自民党の動きに歯止めを立てている、という事実こそ知る価値があると思うからだ。
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ある種毛嫌いしていた創価学会と公明党ですが、記載されていた側面もあるのだとわかり、よかったです。
普段目にする信者さん方々の行動発言等々だけで、創価学会や公明党すべてがおかしい、とは限らないですからね。。
(であれば盲信的な布教活動をやめたほうがいいのでは?と思いつつ…)
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佐藤氏の著者はとても知的で、内実を知らない人じゃないとわからない視点から世界の事象を見ることができるため、とても好きでよく読んでいる。今回は、テーマが創価学会ということで、著者がこの宗教法人についてどのような視点を持っているのかというものに興味があって読んだのだが、結果は期待外れであった。内容が、創価学会に肩入れしたようなものになっているからというわけではなく、著者にしてはあまりにも視点が偏っていて、創価学会側が出した資料ばかりを引用して話が展開する点にがっかりしたのだ。もっと客観的かつするどい視点を期待していただけに、残念な印象しか残らなかった。集団的自衛権容認について、創価学会が果たした役割という視点では、著者の論じている点はその通りなのかもしれないが、もっと逆側からの視点も取り入れた論述をしてほしかったところだ。しかし、創価学会と聞いただけで盲目的に毛嫌いするだけでは真実は見えてこないという視点を提供したところは評価したい。
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創価学会の人の活動で、とても嫌な思いをしたことがあるので、苦手な宗教。
池田大作氏の初代会長・二代目会長への思いから平和主義をとっているということは知らなかった。
でも、創価学会内で世代交代が行われたときに、それが維持されるのか?
佐藤優氏の作は、納得できることが多かったが、どちらかというと創価学会より公明党に重きを置いたタイミングで書かれているので、「カトリック信者から見た創価学会」という内容を期待していた分、少しがっかり。