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建築家が対談相手なので、海外国内の土地建物や、国内の建築計画のエピソードに絡めて、人の死を考える本です。
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死をテーマにしているが、どこか他人事で飄々としとしている二人。タイトルほど死について語っているだけではなく、森羅万象なんにでも話は及ぶ。つまりは人の死は宗教から離れたところではすべてどうでも良いことだらけである、というなんだか適当なところに話は落ち着き、それでいいんじゃないかとどこか安心できる。他人の死は悼むことができるけれども自分の死は悼みようがない。そんな根本的な諦観が意外に楽に生きられる秘訣なのかもしれない。
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農業の後継者問題で、田舎のじいさんが、「いやー、後継者がいなくて」と、こぼしているんだけれど、「お前がいるからだろう」って、おもわず画面にむかっていいたくなる
スイス人は、冷蔵庫にいろいろなものをいつまでも貯蔵しておく、へんな人たちだ ジョーク
マケドニア 1963 大地震 そのあとの復興の国際コンペ 丹下健三が当選 尊敬されている
駅の地下に 、タンゲケンゾウというバーがある
方丈記は原稿用紙で24,5枚
歌舞伎座3階席 3FA 6000 3FB 4000 見通しがいい
1F 座敷は2万円
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図書館より。
さらりと読了。意外にも面白かった!
養老先生の語り口、読みやすくて好きです。
隈研吾氏も建築の本で知っていたけど、こんな人だったとは。
この二人の対談、他にもあるようなので読んでみたい。
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二人の対談本から、隈研吾さんのことを知ったのだった。
「死」をテーマとしながら、話は違う方へ脱線していく。
日本という自然災害の多い場所に住んでいる以上、
家はずっと住み続けるものというよりも、
変化して流れてやり直せるものであるほうが自然な気がする。
「死」はつまるところ、2人称(近しい人)の死が一番の問題で
自分は死んだらおしまいで自分にはわからないのだから、
今ちゃんと楽しまないでどうすんの、今やることやらないでどうするの、
という考えが底にあるので、読んでいると気持ちが上がっていく。
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有名な二人の対談をまとめたもの。
主題は表題の通りだったようだが、ふたを開けてみるとやはり建築の話に寄り道することが多かった。隈研吾氏の作品や、栄光学園時代のお話などは興味深いものではあるが、「日本人はどう死ぬべきか」という内容にはあまり関係のないものだった。
特に4、5章は飛ばして読んでもそれほど問題にはならないだろうし、言ってしまえば1、6章を読めば両氏の考え方は概ね理解できる。
隈研吾氏が舞台の重要性を主張していたのには共感できた。自分という存在が死んだあとでも精神的な存在として残り続けることが出来る場所の大切さ、それは都市化と共に空き家問題が顕在化している現在の日本に必要なものなのだろうと思った。