投稿元:
レビューを見る
まだ素人くさい。
やっぱり長編を書くタイプの人じゃないと思う。
筆が進まず、苦労して長くしてるのが感じられる。
内容もねぇ。
犯罪のような犯罪じゃないような、芸術のようなそうじゃないような。
著者としてはもっとアートな作品に仕上げたかったんだと思う。
でもその想いも力不足で未踏に終わり。
やっぱり短篇を書いていくべきなのでは。
投稿元:
レビューを見る
あいかわらずソリッドな文体。スルスルと読まされる。シーラッハにしてはビーグラー弁護士が非常に人間味溢れるキャラで好印象を受けました。面白かったです。
投稿元:
レビューを見る
ビーグラー弁護士は言った
「若い娘を救えば、あなたは英雄になれる」
「悲劇の英雄です。
あなたは人間の尊厳を貶めた。あなたの拷問によって尊厳を貶められた人は、ただのモノを化するのです。その人からなにかが引き出せるという一点においてのみ、役に立つ存在となるのです。
あなたが若い娘のために自分の人生を投げうったことを称賛します。あなたが辿る結末は目を覆わんばかりのものでしょう。英雄は称賛される。しかし地に落ちる」
――英雄が英雄であり続けるために、法改正が必要だということだろう
投稿元:
レビューを見る
話のポイントは見えにくい。芸術の話?真実の話?犯罪の話?どれでもあるような、ジャンルのわかりにくい本。
実際には起きていない犯罪を起きたように見せて訴えられる主人公は、ある意味犯罪をでっち上げたわけで、こう言う罪はないのかなと思う。
それに巻き込まれて拷問しちゃう刑事は可哀想すぎる。なんで、そんな試され方をしなくちゃいけなかったのか。
主人公の特殊さ、自閉症的な部分は今時ありそう。登場人物は全体的に善良で、ストーリーも面白いけど、その刑事だけは気の毒だった。
投稿元:
レビューを見る
一読した後さっぱりわからず、あとがき読んで分かったような気になったけど、やっぱりわかったようなわからないようなふしぎな気分。
面白かったけれどもミステリーとは別物の何かだし煙に巻かれたような気がします。
投稿元:
レビューを見る
文章や雰囲気が好みだった。
けど共感覚エピソードはあまり関係ない…
シーラッハが共感覚あるのかな⁇
そこ期待してたのでちょっとがっかり…
投稿元:
レビューを見る
"「八つ当たりしてすまなかった。人生が指の間からこぼれ落ちていくものだから」"(p.57)
"「わたしが冷淡かどうかは問題ではない。わたしたちが毎日関わっている犯罪者が問題なわけでもない。肝心なのは、あなたとわたしと裁判官が、それぞれの役目をちゃんと果たせるかどうかにある。そのことがまだ理解できないのなら、あなたはいる場所をまちがえている」"(p.208)
投稿元:
レビューを見る
あのシーラッハの長編小説。
シーラッハで長編て成り立ちうるんだろうかと思いながら読んだが、これが完璧なまでにらしさを失わず、物語が紡がれている。
”極限までにそぎ落された”と評されている文体が長編の間中続き、終始緊迫感と不気味さを覚える肌の粟立つ読書体験を与えてくれる。
ある意味ただの事実、エピソードの羅列に過ぎないのだが、何故かシーラッハの紡ぐ物語にはその行間や周囲に独特の空気感が生まれ物語に入り込んでしまう。
こういう本を読むと読書がほんと止められなくなる。
空虚な芸術家エッシュブルクの生い立ちと芸術家として名声を挙げるまでの成り行き、そしてそこからの誘拐犯容疑での逮捕。
著者の投影とも思える弁護士ビーグラーの語る法と拷問、人間の尊厳、正義に関する洞察、良寛の詩を冒頭に添えた著者のあとがきと、暗に明に様々な気付き、思索を与えてくれる一冊。
投稿元:
レビューを見る
名家に生まれたエッシュブルク。
父が自殺し、母親と別れ、有名な写真家となった。
しかし、ある女性の誘拐事件の犯人として逮捕されてしまう...
芸術とか、罪とか深く読めない私には最後、期待を裏切られた感あり。
投稿元:
レビューを見る
うらを見せ、おもてを
見せて、散るもみぢ。
良寛の有名な句を引用
し、
悪とはなにか?という
問いなど意味はないと
説きます。
私たちの人生など一瞬
の間でしかなく、
人生の意味を求めても
そこに答えはない。
仮に悪を定義せんとも
嬰児殺しの若い女性を
救うことはできない。
あるがまま受け入れる
こと。
容認することとはまた
違います。
前向きな諦めの境地と
でもいうのでしょうか。
私も貴方もあの有名人
も、
うらを見せ、おもてを
見せて散っていくだけ
です。
投稿元:
レビューを見る
この本はすごい。ある意味発明だし、ある意味では推理小説の禁忌に平然と足を踏み入れた。禁忌というタイトルはそれを意味しているのかどうかはわからないが。
才能溢れる写真家が若い女性を誘拐したとして緊急逮捕される。果たして彼は有罪か、無罪か。
この本を読んだ者の反応は二種類に分かれるだろう。
「そんなのアリかよ!」と壁に本を投げつけるか、「こんなのアリかよ!」と驚きにひっくり返るか、その二種類だ。
ネタやアイディアは出尽くしたと思われる推理小説だが、それは幻だ。我々がまだ見ぬアイディアがこの本にはある。224ページという短いページ数に収められた緻密さに目を見張れ!
投稿元:
レビューを見る
独自の感性をもつ貴族出身の主人公が、幸福とは言えない少年時代を経て成人するまでの前半と、突如事件の容疑者となりその弁護士が中心となって進む公判劇の後半の、2部構成。色の三原色をつかった章立て構成が美しい。
前半部分は、主人公の内面を反映するように、短文の連なりで淡々と進む。変わって後半は、弁護士でもある著者の手腕か、テンポよく読ませる。弁護士にも、読み手にも得体が知れない主人公の、本意は最後に明らかになるのか?
私は正直すべてが理解できたわけではないけれど(スフィンクスってなんだったの?弁護士は街のポスターをみて何でわかったの?ソフィアは自分の写真合成されて気づかなかったの?)、そのわからなさも含め、罪も悪も美醜も線引きできない曖昧なものと受け入れて、主人公の、そして本を超えて読者の生も続いていくというのがこの本の芸術の完成なのかも。