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ヨーロッパを対象に、人々が夜をどう認識してきたかを、膨大なエピソードとともに紹介している。
夜イコール闇だったものが、人工の光の進歩に応じて、徐々に「昼」化していく。
物理的な、つまり、明るさで計った時の夜はどんどん短く、はっきりとしてきているのに対して、ヒトにとっての夜は相変わらず神秘的で。
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失われた夜の歴史 ロジャー・イーカーチ著 神聖だった「もうひとつの文明」
2015/3/8付日本経済新聞 朝刊
かつての時代、夜はほんとうに暗かった。あまりに暗黒で、外出や労務はほとんど困難。狼(おおかみ)やコウモリなど不吉な有害動物が跋扈(ばっこ)していた。盗賊・追剥が待ちかまえていた。なによりも、夜は悪疫の空間であり、魔女や妖精や悪霊が横行する時間でもあると、恐れられていた。昼という安全で信頼をおくことができる時間とちょうど真逆に、夜は忌避すべきもの、悪の領分であった。現実にも、夜火事といった惨事が犠牲をしいた。せめて、夜闇は安穏な休息の時間であったなら。
けれども、夜の被害から逃れるための防備もほどこされたし、これに仕える装置も発案された。錠前も魔除(まよ)けも、それに夜警も番犬も、いやそれどころか、夜になって活動する特別な古来の職業だって存在した。
ところが、その夜についての、別な感覚が実在した。いわく、夜こそ解放と自由の領分だった。夜は危険だが神聖な時間。しめやかな会合と厳粛な祈りと、またときには放縦と陶酔が許される時間だったから。恋も瞑想(めいそう)も、人間性の自由な発露が認められた。他人から干渉されないプライバシーは、夜にこそ保障されたし、視覚がかぎられるので、かえって聴覚と嗅覚がいやがうえにも研ぎ澄まされるから。つまり、夜とは文明の負の対極ではなく、もうひとつの別の文明なのだと。
さて、本書がかたる「かつての時代」とは、ヨーロッパの中世から啓蒙主義までの時代。そのとき、夜は恐怖されながらも、神聖視もされていた。だが、その夜はやがて失われていくだろう。街灯などの公共の照明が導入され、私有の室内は明るくなる。夜間の治安を保全する警察が登場し、追剥のための闇が遠ざけられ、夜間の散歩も不安が解除される。こうして、夜への恐れと夜への讃仰(さんぎょう)は、ともに根拠をうしなった。
めでたし、めでたし。冷徹に観察すれば、そんな穏当な結論で完結するだろう。だが、「失われた夜の歴史」というしゃれた邦訳タイトルの本書は、大量の記述資料を動員したうえで、そんな無味乾燥な結論をめざしたのではない。
暗闇の夜が昼の光明との対照によってしかけてきた想像力の減退や、あまりの照度が除斥する奥行き感の喪失に、精一杯(せいいっぱい)の警告を発すること。せめて、昼と夜との劇的な対話やせめぎあいを保全したい。そこに歴史の省察のための焦点が絞りこまれる。その論法の説得力に、ほとんどため息がでる。
原題=At Day’s Close
(樋口幸子ほか訳、インターシフト・3200円)
▼著者は米国生まれ。ヴァージニア工科大教授。本書は英オブザーバー紙ベストブックなどに選ばれた。
《評》西洋史家 樺山 紘一
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近世ヨーロッパのイメージを膨らませてくれる。睡眠が2回にわかれているのが普通というのは本当だったんだ。
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夜の歴史とは壮大で資料を集めるのが難しかったのは想像に難くない。お金と同様に夜自体に色はないが、それを使う、あるいは過ごす人間次第でどうにでもなる。泥棒業界の方にとっては稼ぎ時のゴールデンタイムになる。多くの人にとっては闇に包まれる怖い時間。権力者にとっては庶民が何をしているか管理しづらいのでイヤな時間。
今のように電気が通って一日中明りに包まれ、都会で生活していればきらびやかな高層ビルやタワーのイルミネーションが街を包み込む。光にあふれた現代と違って、夜の闇が支配していた時代に生きていた人々は、夜とどう向き合い過ごしてきたか、そんな息遣いが伝わってきそうな今回の本。
テーマが壮大な割には約500ページとは言えどもコンパクトにまとまっている。死の影、自然界の法則、闇に包まれた領域、私的な空間の4部から構成されている「もう一つの王国(by著者)」をひも解いてみると、やめられない止まらない。夜の世界もいろいろあるものだな
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[メモ]
・産業革命以前は「夜」の定義が違っていた。
古代以来は、時間の区分もあいまいだった。
もっとも一般的なのは、日没から夜明けという自然の推移によるもの。
・近世の住居は狭苦しかった。プライバシーなどない。
カーテンをひいておくことはむしろ怪しまれた。どんな秘密も召使いたちの格好の餌食。
・「プライベート」という語は1400年代に初めて使われ、
シェイクスピアの時代には日常語の一部となり、その劇中でも使われている。
(略)近世の人々にとって、地域の監視と制裁の脅威は、人目のない状態をいっそう貴重とみなす気持ちを助長した。
(P.230)
・夜は魔術にとっても絶好の機会。
16世紀の文書には魔術について「好きで貧しい暮らしをしているわけではない物、あるいは
貧しさに耐えられない者の中に潜む悪の根源であることが多い」と記されている。
夜になると、ぎりぎりの生活をしているこうした人々は、「超自然的秩序」に参加することを熱望し、
(略)魔法の呪文に希望を託した。
(P.349)
・魔術はいつ何時でもかけられたが、その力が最も強くなるのは霊が動き回っている時だと考えられていた。
(P.351)
・「同衾者」がいるのが一般的だった。
・産業革命以前には、「第一の眠り」と「第二の眠り」があった。
18世紀末までは、時間の区切りを示す表現として普通に用いられていた。(P.434)
・二回の眠りの間には、祈ったり、同衾者と話したり。(P.424)
「失われた夜の歴史」ロジャー・イーカーチ
インターシフト、2015.2
第1章 夜の恐怖 天上と地上
第2章 生命の危険 略奪、暴行、火事
第3章 公権力の脆弱さ 教会と国家
第4章 人の家は城壁である よい夜のために
第5章 目に見える暗闇 夜の歩き方
第6章 暗闇の仕事 仲間と共に
第7章 共通の庇護者 社交、セックス、そして孤独
第8章 騎士(ナイト)ウォーカー 王侯貴族たち
第9章 束縛から放たれて 庶民
第10章 寝室でのしきたり 儀式
第11章 心の糸のもつれ 眠りを妨げるもの
第12章 私たちが失った眠り リズムと天啓
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おそろしく緻密な研究を積み重ねられてきたことが、文章にとめどなく現れてくる大量の事例たちから読み取れる。今や24時間営業のお店も当たり前となったこの時代。いつでもどこでも仕事に追われる悲しいこの現実。かつての夜がたたえていたその寂しさ、恐ろしさ、孤独さといったものは、今ではなかなか感じ取れなくなっている。
大量の事例集が延々と続く箇所などは眠さに負けたけれども、じっくり読めばまた新たな発見も多かろう。かつて、ひとびとが「夜」に感じ、抱いてきた気持ちとは、いったいどのようなものであったのか?
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月明かり・星明かり、そしてロウソクのようなほのかな灯り
しかなかった時代、「夜」は一つの別世界だったことが実感
できる本。当時の文献や日記から膨大な量のエピソードを
博物学的に収集してまとめている。その圧倒的な調査量には
驚くばかりだ。
ただ、個人的にはこの手の「集めてまとめました」という
本はあまり得意ではない(苦笑)。その頃は二分割睡眠が
当たり前だったという話は興味深かったが。
照明というものは人間から漆黒の闇を奪い、人間の生活や
社会どころか、人間そのものを変えてしまったのではない
だろうか。
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ヨーロッパの夜の生活史である。この本は、14世紀から19世紀の初めをあつかい、地域はイギリスが中心だが、植民地アメリカ、フランス・スペイン・イタリア・ドイツ・ポーランド・ロシア・北欧の史料を引いており、その守備範囲はたいへん広い。
基本的には、人工照明が普及していなかった時代の夜の危険について書いている。夜の空気が有害だとされており、横行する盗賊団などは幽霊や悪魔に変装していた。これは現代の幽霊伝説にもつながるだろう。
18世紀(1730〜1830)には、都市では召使いや徒弟や学生が、夜に暴動を起こしていた。通行人を襲ったり、物を盗み奪い、奇声をあげて走り回り、器物をこわし、金持ちの家を襲っていた。農村でも作物や家畜や樹木が盗まれ、家屋が放火されるという事件が頻発していた。くみ取りなどの不潔とされる仕事は夜におこなわれていた。19世紀に警察が整備されるまえは、夜警がいたが、レンブラントの絵に描かれたようなものではなく、つかれた老人か貧乏人でたいした力はなかったらしい。それでも「夜警は売春より古い職業であろう」と著者は指摘している。
この本の特徴は、産業革命以前の人間の睡眠が分割睡眠であったことを指摘した点である。だいたい、七時か八時くらいにベッドに入り、「第一の眠り」に入る。真夜中に目覚めて、同衾者と話したり、性行為をしたり、省察をしたり、夢を解釈したりした。そのあと、「第二の眠り」についたのである。これはアフリカの民族学や「太古の眠り」を再現する医学実験でも確認されており、ヒト本来の睡眠ではないかと指摘されている。産業革命以後、人工照明が発展し、警察が整備されたことにより、就寝時間がおそくなり、この分割睡眠の習慣は消えてしまった。
一般に、パン屋が怒りっぽいのは、夜も働いていて、睡眠時間が短かったからだとか、召使いや奴隷がのろまだったのも、近代的「勤労精神」を欠いていたからではなく、寝不足のためであったとか、こういった点は歴史や文学を読むのに、大事な点だろう。
全編をよんでみて、柳田国男の『明治大正史』ににているなと思った。密度の濃い歴史書である。フランス革命なども「夜の暴動」の延長かもしれないと思う。
注釈を全部訳していないのは残念である。
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夜、という自然現象についての、西欧中心で中世(ざっくり10世紀あたり)から近世までの社会、文化、習俗をまとめたご本。読み応え抜群。「文明の光が都市に、村落に届くまでの世界」への解像度がめきめき上がる楽しさがあります。
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【由来】
・紀伊国屋ウェブの「おすすめ」本で
【期待したもの】
・「神々の沈黙」に通じるものを感じた
※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
・
【ノート】
・ニーモシネ
【目次】
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読み終わった、ぶあつい。
ヨーロッパの歴史、産業革命前にスポットをあてて、庶民~下層階級の人たちの暮らしまで、幅広く拾い集めた本。
「夜」がキーワードになっていて、それをめぐる小さな事実や逸話、エピソードや文章や格言などを拾い集めながら、私たちにとっての夜がどのような存在だったのか、を紐解いていく。
構成がおもしろく、長い長い夜の歴史のあとに、にわかに訪れる明るい夜明けの一筋。その鋭さが本当に夜明けのようで痛烈。
内容について言及すると、夜というものが、獣や魔物といった人外のものへの恐怖から少しずつ、人の中にある凶暴な感情へと移動していくという流れがあり、その中で、夜というのは弱者の味方であったのだなあと思った。
昼に強者からこき使われ、公正さを欠いて力づくで奪われたものを奪い返すために、彼らは闇夜にまぎれて奪い返した。そうしてバランスをとっていた。
ふとどき者がなぜ、そのようなことをするのか。秩序とは何なのか、無秩序すらも秩序を取り戻そうとする揺れ動きなのかもしれない。だから私たちは革命の物語にあれほど心を奪われるのかもしれない。
闇夜は照らされ、私たちは、暗く静かな内省の夜を奪われっぱなしである。しかし快適な夜になったことに違いはない。回顧主義ではない、しかし、「自分だけの夜を取り戻したい」と。これを読んだ人なら、誰もが思うのではないだろうか。
アンダーグラウンドなもの、サブカルチャーなものの持つ魅力は、今も私たちのなかに残り続けている。街灯を管理する力と同じように。
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https://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB17836495
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夜は暗闇だった。当たり前のようだけど、本当の真っ暗闇は、都市部ではまず出会うことが出来ない。
真っ暗闇からはいろいろなものが生まれた。病気も夜のほうが進行するだとか、魔術だとか。野生動物や闇に乗じて悪さをする人間だとか、そういったものも跋扈していた。
自分の家でさえ夜は事故に遭う可能性が高かった。召使は自分の部屋に灯りをもっていけなかったというから、お仕事が終われば真っ暗闇。けれど、つまり暗闇は仕事をしない時間、休息時間でもあった。
人工の光がほとんどない環境での眠りは、途中で覚醒してそのまますごしてまた寝るという、大いなる二度寝が標準的だったらしい。
「光が拒む快楽を、汝の闇は常に与えてくれる」闇は恋人達の隠れ家でもあった。いまのそれとはちょっと違う。
闇故に生まれた怖れや伝承のようなものは、もう現れない。いろんなものを隠してくれないし、快楽も24時間営業。魔術や野獣を怖れるのもいやだけど、平坦な1日もまたつまらない。人は欲深いねえ…。
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夜についてあらゆる角度からまとめた一冊。昔の人が夜に対して何を思っていたのか、夜に何をしていたのか、夜の問題点などなど、なんとなく想像してみたことはあったけど知らないことばかりで面白かった!特に夜中に一度起きるとか、知らない人と同じベットで寝ることもあったとかには驚いた。
読み物として面白いし、数百年前の人々の暮らしに思いを馳せることができて新鮮な体験ができた。